[戦争のつくりかた] マガジンハウス
りぼん・ぷろじぇくと文
いのうえやすみち 絵
「わたしたちの国は,60年ちかくまえに,
『戦争をしない』と決めました。
だからあなたは,戦争のために
なにかをしたことがありません。
でも,国のしくみやきまりを少しずつ変えていけば
戦争しないと決めた国も,戦争できることになります。」
と始まる、絵の入った、そして子どもに分かりやすく解説されている本です。
約2年前の12月1日、山口で働いていた「子育てほっとサロン」http://www.teto2.jp/blog/?n=193でのスタッフ日記に紹介したことを、ほぼ2年後の今日思い出した。
以下抜粋~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
師走に入りました。今年もあと1ヶ月。私はまた、クリスマスと大晦日の控えたこの月を、なんとなく心ワクワクさせて、なんとなくテンション高めで過ごしていくことでしょう。いや、でもちょっと待てよ。高知県や新潟では、いまだ避難生活をしている人がたくさんいるし、海の向こうのイラクでは、いまだ昼夜を問わず戦闘体制で、不安な生活を強いられている人達がたくさんいるんだよね。それなのに、私、こんなにのほほんとしながら、年越ししていいのかしら?と、ちょっと反省。遠くのことだし、自分自身の問題ではないから仕方ないじゃない?で、いいのかしら?気持ちだけでも、困難に遭っている人達のことを思ってみよう、と思います。
「戦争のつくりかた」という絵本をご存知ですか?てとの掲示板でも紹介されたこの本は、薄くてとても読みやすく、憲法第9条や有事関連法のことを、子どもにも分かりやすいように説明している絵本なのです。現在戦争をしていない日本(自衛隊派遣をしたり、経済的支援をしていること自体、すでに参戦しているのではありますが。)が、戦争をするまでを描いた本で、書店にもおいてあり、東京ではベストセラーにもなっている本です。
私は、この絵本を、赤児におっぱいを飲ませながら読んでいました。読みながら、ある妄想にかかりました。
私の赤ちゃんにおっぱいを飲ませている上を、戦闘機がとんでいる。
私が、ああまた飛んでいる・・・。ん?でもなんだか音がいつもと違うような?
と思った瞬間、銃弾がダダダダダダダダーっと駆け抜ける、
ものすごい音が頭上で鳴った。
私の耳は、一瞬何も聞こえなくなった。
ふと見ると、赤い水滴が周りに飛び散っている。
「なにこれ?」と思う、耳の聞こえない私。
耳が少し聞こえてくるようになって初めて、状況を把握する。
おっぱいを飲んでいた私の赤ちゃん、頭に銃弾を打ち込まれて、
すでにおっぱいを吸っていた口は動いていなかった。
私の腿も、銃弾がいくつか貫通しているみたいだった。
腿が熱い。でも、赤ちゃんがピクリとも動かないことにショックで、
自分の足なんてどうでもよかった。
少し離れた場所にいた上の子が、走ってきて、
「ママー!赤ちゃんが!赤ちゃんが!」と泣いて叫ぶ。
だんだん自分の足の痛みが増してきて、苦しくなっていく自分に思う。
我が子が死んでも、自分の痛みには気付いてしまう。
そのことが悲しい、と。
読み終えて、涙が止まらなかった。再び戦争を起こしてはならない!と思った。涙を血で洗うようなことは、決して、してはならない!
でも、戦争をすることができるようになってしまってからでは、戦争反対とは言えない世の中になっている。戦争擁護派の情報戦略で、世論はなんとなく「戦争も仕方ない、外交のひとつとして持っとくべき」とかなんとか、正論ではない正論に傾き(傾いたように見せられ)、反対派は少数意見となり、無視され、そのうち肩身が狭くなり、誰も「反対」とは言えなくなるんだ。そうなってからでは遅すぎる!今から、「戦争反対!」と、強く思っていなくっちゃ!世の中の情報に左右されることなく、自分の、人間の本音に正直でありたい。
戦火の子どもたちは、みんなとても元気だという。悲しんだり、苦しんだりするよりも、こういう風に口をそろえて言うという。「僕が大人になったら、やっつけてやる!」
そんなだから、戦争は終わらない。止まらない。
だから、始まる前に声を出さなくちゃいけない。
日本を再び、あの異常な世界にしちゃいけない!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして、イラクではまだまだ戦火は絶えず続いている。
新潟の被災者や先月のサロマの竜巻の被災者は、仮設住宅での暮らしをよぎなくされている。
戦争のない平和なはずの日本では、自ら命を絶っている人々の叫び声やうめき声が聞こえている。
私は、我が子に、そして我が子と同然の大切なコドモタチに、何を伝えていかねばならないか。
どんな風に教えていかねばならないか。
未来は明るい!!!と決して言えないような混沌とした世の中であるけれど、諦めた時点でフェイドアウト。
先行きの見えないのは、今も昔も変わらないと思うから、先行きが見えないからこそ、前を向いて歩こう。
しっかりと、見据えながら。
りぼん・ぷろじぇくと文
いのうえやすみち 絵
「わたしたちの国は,60年ちかくまえに,
『戦争をしない』と決めました。
だからあなたは,戦争のために
なにかをしたことがありません。
でも,国のしくみやきまりを少しずつ変えていけば
戦争しないと決めた国も,戦争できることになります。」
と始まる、絵の入った、そして子どもに分かりやすく解説されている本です。
約2年前の12月1日、山口で働いていた「子育てほっとサロン」http://www.teto2.jp/blog/?n=193でのスタッフ日記に紹介したことを、ほぼ2年後の今日思い出した。
以下抜粋~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
師走に入りました。今年もあと1ヶ月。私はまた、クリスマスと大晦日の控えたこの月を、なんとなく心ワクワクさせて、なんとなくテンション高めで過ごしていくことでしょう。いや、でもちょっと待てよ。高知県や新潟では、いまだ避難生活をしている人がたくさんいるし、海の向こうのイラクでは、いまだ昼夜を問わず戦闘体制で、不安な生活を強いられている人達がたくさんいるんだよね。それなのに、私、こんなにのほほんとしながら、年越ししていいのかしら?と、ちょっと反省。遠くのことだし、自分自身の問題ではないから仕方ないじゃない?で、いいのかしら?気持ちだけでも、困難に遭っている人達のことを思ってみよう、と思います。
「戦争のつくりかた」という絵本をご存知ですか?てとの掲示板でも紹介されたこの本は、薄くてとても読みやすく、憲法第9条や有事関連法のことを、子どもにも分かりやすいように説明している絵本なのです。現在戦争をしていない日本(自衛隊派遣をしたり、経済的支援をしていること自体、すでに参戦しているのではありますが。)が、戦争をするまでを描いた本で、書店にもおいてあり、東京ではベストセラーにもなっている本です。
私は、この絵本を、赤児におっぱいを飲ませながら読んでいました。読みながら、ある妄想にかかりました。
私の赤ちゃんにおっぱいを飲ませている上を、戦闘機がとんでいる。
私が、ああまた飛んでいる・・・。ん?でもなんだか音がいつもと違うような?
と思った瞬間、銃弾がダダダダダダダダーっと駆け抜ける、
ものすごい音が頭上で鳴った。
私の耳は、一瞬何も聞こえなくなった。
ふと見ると、赤い水滴が周りに飛び散っている。
「なにこれ?」と思う、耳の聞こえない私。
耳が少し聞こえてくるようになって初めて、状況を把握する。
おっぱいを飲んでいた私の赤ちゃん、頭に銃弾を打ち込まれて、
すでにおっぱいを吸っていた口は動いていなかった。
私の腿も、銃弾がいくつか貫通しているみたいだった。
腿が熱い。でも、赤ちゃんがピクリとも動かないことにショックで、
自分の足なんてどうでもよかった。
少し離れた場所にいた上の子が、走ってきて、
「ママー!赤ちゃんが!赤ちゃんが!」と泣いて叫ぶ。
だんだん自分の足の痛みが増してきて、苦しくなっていく自分に思う。
我が子が死んでも、自分の痛みには気付いてしまう。
そのことが悲しい、と。
読み終えて、涙が止まらなかった。再び戦争を起こしてはならない!と思った。涙を血で洗うようなことは、決して、してはならない!
でも、戦争をすることができるようになってしまってからでは、戦争反対とは言えない世の中になっている。戦争擁護派の情報戦略で、世論はなんとなく「戦争も仕方ない、外交のひとつとして持っとくべき」とかなんとか、正論ではない正論に傾き(傾いたように見せられ)、反対派は少数意見となり、無視され、そのうち肩身が狭くなり、誰も「反対」とは言えなくなるんだ。そうなってからでは遅すぎる!今から、「戦争反対!」と、強く思っていなくっちゃ!世の中の情報に左右されることなく、自分の、人間の本音に正直でありたい。
戦火の子どもたちは、みんなとても元気だという。悲しんだり、苦しんだりするよりも、こういう風に口をそろえて言うという。「僕が大人になったら、やっつけてやる!」
そんなだから、戦争は終わらない。止まらない。
だから、始まる前に声を出さなくちゃいけない。
日本を再び、あの異常な世界にしちゃいけない!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして、イラクではまだまだ戦火は絶えず続いている。
新潟の被災者や先月のサロマの竜巻の被災者は、仮設住宅での暮らしをよぎなくされている。
戦争のない平和なはずの日本では、自ら命を絶っている人々の叫び声やうめき声が聞こえている。
私は、我が子に、そして我が子と同然の大切なコドモタチに、何を伝えていかねばならないか。
どんな風に教えていかねばならないか。
未来は明るい!!!と決して言えないような混沌とした世の中であるけれど、諦めた時点でフェイドアウト。
先行きの見えないのは、今も昔も変わらないと思うから、先行きが見えないからこそ、前を向いて歩こう。
しっかりと、見据えながら。