ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

子育て広場「となりんち」ご案内

2007年05月31日 | 子育て広場「となりんち」
明日も、そして来週も再来週も、
子育て広場「となりんち」はオープンします。

毎週金曜日、10:30~13:30.
八戸市福祉公民館の子育て広場にて。

おやつはできるだけ、開けないようにしたいのですが、
どうしてもおやつが食べたくなる時もあります。
わが子が一番、そうかもしれない・・・。
もしかしたら、アレルギーの子が来てくれているかもしれない・・・。
なので、アレルギー対応食をご持参いただければと思います。
ご協力よろしくお願いします。

誰もが住みやすい
誰もが参加しやすい
誰もが子育てしやすい
そして みんなでみんなの子を育てる環境を目指しています。


生きていれば

2007年05月30日 | 子ども
生きていれば
いろんな困難が立ちはだかって
これでもか これでもかって しごかれて
どんどんへこたれて
でも なんだか一生懸命にその日その日を生きていると
いつの間にか忘れている時がある
大切なこと

先日 夫や家族に対して爆発した
爆発して、そこらへんに置いてあったカバンや雑誌なんかを放り投げて
大声出して 家を出た
放り投げたカバンや雑誌は 自分がずーっと置きっぱなしにしていたもの
そのことにも腹が立って
自分のこともきちんとできていない
家のこともきちんとしていない
育児もなんだか自信がない
夫もいつまでたっても協力的でない

なんだかすべてがマイナスに働いて
なんで私だけこんなに大変なんだ!!!???って
そして そういう家にしているのは
紛れも無く自分なんだろうって思うと
余計に腹立たしくなって
どうしようもなくなって
家を出た

出たはいいけど、行く先もなく、
ただガソリンスタンドで給油しながら
自分の心の中にも 冷静な風を入れながら 少し落ち着いて
コンビニに行って 未払いだったものの支払いを済んだら
気持ちがすっかり落ち着いて
30分の家出だった

あ~あ
私ってばまた 自分のことばかり考えて
「感謝」の気持ちを忘れていたって気がついたんだ
子どもたちも 夫も
いつもは協力はしてくれるってことをすっかり忘れてたんだ
「ありがたい」という気持ちを忘れると
腹が立つのかもしれない

生きていればいろいろあるけれど
感謝の気持ちをふと思い出す時も必要です
例えば、こんな嵐の後にでも

グッドトイ展

2007年05月26日 | 子ども
今日は、青森で開催されていた「グッド・トイ展」に行ってきた。

青森には、「わらはんど」という青森県産材を主に使用した木のおもちゃや家具を作っている職人さんたちのグループが活躍している。
みなさん、とても素敵な方たちばかりだった!!
思わず、「わらはんど」サポーターズクラブなんてものを作りたくなるほどだ。
職人さん故の、販路拡大方法の模索(しかもほんとに悩んでいらっしゃる)という不器用さも、私の心をくすぐる要因だ。

「わらはんど」さんのおもちゃは、とても精巧で、木の滑りもなんとも滑らかで、肌触りは他国のグッドトイに負けるとも劣らないものたちばかりだった!!
これは本当に、すごい技術だと、素人の私でも分かるくらいだった。
こんなに素晴らしいものを作るのなら、もっといろんな人やいろんな所で見て触って遊んで欲しい、と思った。

“「わらはんど」の家”みたいな、木のおもちゃのあるフリースペースなんかがあると、いつも行っちゃうのになぁ。
おもちゃ図書館みたいに、借料を支払ってではあっても貸し出しなんかもしていて。
ホームページも、作ったらいいのに・・。
がんばれ!!「わらはんど」さん!!
私は応援しています!

思い出はいつも突然に

2007年05月25日 | これも自分あれも自分
今朝、歯磨きをしていた時だった。
突如として、幼き頃の思い出がよみがえった。
それは、私の幼稚園時代。

新しく建てられた園内。外には園庭とその向こうに広い空き地と、セメント工場の要塞が見えた。煙突からモクモクと出ている煙はいつも白かった。
私はいつものように園の教室にいた。担任の先生から離れず、なにやら話を聞いてほしくて、いつもしゃべり続けていたように思う。定かではないが。
この日も、先生に話しかけていた。最近、自分の大腿部がズキンズキンと痛むことを。「ズキンズキンと骨の中が痛いんだよ、先生。」
「ねぇ、先生、大丈夫かなぁ?」
「先生、ほらまた、痛いよ。ここ、ここ。」
先生は、私の目も見ずに、他の園児たちと戯れている。園児の小さな椅子に座って、前にも後ろにも子ども2、3人が囲んでいて、先生は笑いながらも大変だったのかもしれない。が、子どもの私には分かっていた。私の言葉を聴きたくないのだということに。
先生の立場から考えれば、先生の取った冷たい態度はよくわかる。逐一報告してくるそのよく見えない体のこと。いつも先生の周りにいて、しゃべりまくっているこの子どもを相手にするには、すべての言葉を100%聴いては仕事にならないこと。
子どもの私は割りと平気なふりをして、先生は今日は私の話を聞きたくないんだと思いたかった。
しかし、今朝急に思い出したのは、「あ、先生は私のこと、あまり良く思っていなかったな。」という新事実だった。そして、そう思い出すと、そういえばいつも目が笑っていなかったとか、担任の先生よりも園長先生が好きだったなとか考え出すと、きりがなくなってきた。自分のお弁当がなかった時にも、その先生にだけは「お弁当を忘れました。」と言えなくて、4人か6人で座ったテーブルに、じっとうつむいたまま、泣くのをこらえていたことも思い出し、なぜ言えなかったのかを勘ぐってしまう始末。なにやらおかしな方向に考えが及んでしまったので、コップでうがいをするのと同時に、洗面台にペッと吐き出した。

思い出は、いつも突然にやってくる。
しかもそれは、だいたいなんにも関係性のない時に起きるのだ。

母は言う それでも言う

2007年05月24日 | これも自分あれも自分
今朝のことだった。
サーヤはなんだかご機嫌がよくない。
朝はたいがいの人が機嫌はよくないものかもしれないが、サーヤのご機嫌ナナメの原因は、たいがいいつも、朝食メニューにある。

朝食に上る野菜たち。
今日は、ほうれん草とたまねぎとハムの出汁つゆ炒め。そして、トマト。
言いたくはないが、給料日前で冷蔵庫にあるものといえば、限られている。そして、たいてい野菜はほうれん草が余っているんだな、これが。
このほうれん草というのが、どうもキライらしく、朝一番に口に入れるものがよりによってこれかよ!!!という怒りがあらわなサーヤ。
私はそんな表情には目も触れず、食卓に出す。
むすっとしたサーヤが椅子に座ろうとするのを制し、「箸、用意してぇ。」と手伝いを要請する。ぷんぷんの様子のまま、箸を取りに来る。そして、「あ~あ、ほうれん草かぁ。」とブツブツ言って背を向けた。

さぁ、食べようねぇ!
普段どおりに明るく振舞う私と、相対照的なサーヤの不機嫌な「いただきます」。しかも小声。
ほうれん草が大好きな私は、ほうれん草からパクパクいただく。それを見て、あからさまに嫌そうな顔をし、夕べの残りの竹の子ご飯に、のりを巻いて食べるサーヤは、箸の使い方まで乱暴だった。
すると、私の頭の中で声がする。
おーおーおー、何様のつもりだ!?竹の子ご飯に罪はねーべー!!
しかし、しかしだ。
最近読んだ本に書いてあったじゃないか。
「どうして○○ができないの!?」と叱るんじゃなく、上手に叱る方法が!

一呼吸置いて、私は発した。次の言葉を。
「サーヤ、見て。すんごい気持ちのいい朝だよ。雲ひとつ無い、真っ青な空だよ。こんな朝に、サーヤと朝ごはんが食べれてママは幸せだよ。
新しい朝じゃない。新しいんだよ。毎日、朝は新しくやってくるのに、文句言って下ばかりうつむいてる朝から始まる一日と、明るく上を向いてありがたいと思って始める一日と、サーヤはどっちがいいと思う?
ママね、サーヤと一緒に朝ごはん食べれるだけで幸せなんよ。サーヤが文句を言っていても、ママはサーヤが大好きだよ。大好きだからさ、楽しく食べようよ。」

いや、こんな言葉がよく出たな、朝から・・・、と思う。
某テレビ局のみんなの歌で、「新しい朝」ってのがあった。この歌、サーヤもエリーも大好きで、3人でよく歌ってた。そのことを思い出したのと、前の晩に読んだ本のフレーズ「誉めたことを言った後に、“でも”を付けてしまうと、前に言ったはずの誉め言葉がすべて帳消しになってしまう。」というのを記憶していたということも、今朝の会話の参考になったのかもしれない。
“でも”や“しかし”ではなく、“だから”とか“そして”を付けるといい、とも書いてあった。
だから、「サーヤのことが大好き」の後にくるのは、「でも、どうして文句ばかり言うの?」ではなく、「だから楽しく食べよう!」なのだ。

これでサーヤのご機嫌は直り、一緒にほうれん草をムシャムシャ食べながら、サーヤの足りなくなったのりに、ママのを一枚あげて、ようやく落ち着いたのである。
ふうう。よかった。安堵。

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