何かを提言したり
何かを訴えたり
何かの協力を求めたり
何かの相談を持ちかけたりしたとき
私にとっての話だと、
子育てという専門分野(?)に関係する協力や相談の時なのだけど
相手の方は決まってこう聞いてくる。
「保育士さんですか?」
「学校の先生か何かをされていたのですか?」
「看護師さんでしたか?」
「何か資格をお持ちですか?」
はぁ、またそれですか・・・。
資格がないとお話になりません、とは言われない。
資格がおありだと話が早いのですが、とも言われないが、特に資格は持っていませんと応えると、先方の顔に曇りが生じる場面をたくさん見てきた。
心の中で、
「資格が何か必要ですか?」と問うのだが、言葉にはならず、諦めと無念さがよぎる。
そして、帰宅しながら思うのだ。
「しかくかぁ~。」と。
そんなに「資格」「資格」と言うのなら、いっそそんな資格なんて持たないで、
いっそただのおばちゃんで、行動していってやる!!!と心に決めたり、意地になったりしながらも、どこかにひっかかる「有資格者優先主義社会 日本」。
いやもしかしたら、日本だけではないかもしれないが。
ずっと頭をもたげる「資格取得」。なんなら取れそうなものを片っ端から取ってやるぅ!と、投げやりに思ってしまいそうだが、そこまで私は乱れもせず、てんびん座らしくいろいろな情報を得つつ、いろいろな条件と生活状態と経済と、そして何より自分の思いを照らし合わせて考える考える考える。
そしてとうとう、考えながら1年が過ぎてしまった。このかん、資料請求した様々な講座やら大学やら通信やらからの、「資格をとりましょう!」DMは、2度3度届いていた。封筒を開けて見ては悩み、悩んでしまいこんで、また開けて読む数ヶ月。
結局、どれをも選べず、今になってしまった。
選べないということは、決定打がないってことだ。
ひっかかりはするものの、自分の思いとどこか何かが違っているってことなのだ。
レクリエーションインストラクター養成講座だって、受けよう!と思って、友人に意気込んだメールもしてみたものの、その後の子供たちの体調不良の2週間を経験した後には、こんなんじゃ、7ヶ月間毎週金曜日の夜7時から9時の講座への参加は無理難題と決め込み、結局キャンセルしてしまった。はぁぁあ。こんなんだよ、いっつも。
やろうと思えば、いつでもやれるさ。子どもがもう少し手が離れてからでもいいさ・・・。なんて言ってたら、きっと5年後6年後、その時にはもう現実的な家計救済措置の方に頭が回って、自己実現にほど遠く意識が変わってしまっているかもしれない。
それに、ほらやっぱり、資格なんてなくっても、やってできないことはないかもしれないし・・・。と、逃げ腰なんだか度胸だけはいいんだか分からない自己弁護が始まった。
そんな時、一冊の本を手に取った。
そして、それは迷いの中の私の心に、すーっとミントの香りを残していった。
つづく
何かを訴えたり
何かの協力を求めたり
何かの相談を持ちかけたりしたとき
私にとっての話だと、
子育てという専門分野(?)に関係する協力や相談の時なのだけど
相手の方は決まってこう聞いてくる。
「保育士さんですか?」
「学校の先生か何かをされていたのですか?」
「看護師さんでしたか?」
「何か資格をお持ちですか?」
はぁ、またそれですか・・・。
資格がないとお話になりません、とは言われない。
資格がおありだと話が早いのですが、とも言われないが、特に資格は持っていませんと応えると、先方の顔に曇りが生じる場面をたくさん見てきた。
心の中で、
「資格が何か必要ですか?」と問うのだが、言葉にはならず、諦めと無念さがよぎる。
そして、帰宅しながら思うのだ。
「しかくかぁ~。」と。
そんなに「資格」「資格」と言うのなら、いっそそんな資格なんて持たないで、
いっそただのおばちゃんで、行動していってやる!!!と心に決めたり、意地になったりしながらも、どこかにひっかかる「有資格者優先主義社会 日本」。
いやもしかしたら、日本だけではないかもしれないが。
ずっと頭をもたげる「資格取得」。なんなら取れそうなものを片っ端から取ってやるぅ!と、投げやりに思ってしまいそうだが、そこまで私は乱れもせず、てんびん座らしくいろいろな情報を得つつ、いろいろな条件と生活状態と経済と、そして何より自分の思いを照らし合わせて考える考える考える。
そしてとうとう、考えながら1年が過ぎてしまった。このかん、資料請求した様々な講座やら大学やら通信やらからの、「資格をとりましょう!」DMは、2度3度届いていた。封筒を開けて見ては悩み、悩んでしまいこんで、また開けて読む数ヶ月。
結局、どれをも選べず、今になってしまった。
選べないということは、決定打がないってことだ。
ひっかかりはするものの、自分の思いとどこか何かが違っているってことなのだ。
レクリエーションインストラクター養成講座だって、受けよう!と思って、友人に意気込んだメールもしてみたものの、その後の子供たちの体調不良の2週間を経験した後には、こんなんじゃ、7ヶ月間毎週金曜日の夜7時から9時の講座への参加は無理難題と決め込み、結局キャンセルしてしまった。はぁぁあ。こんなんだよ、いっつも。
やろうと思えば、いつでもやれるさ。子どもがもう少し手が離れてからでもいいさ・・・。なんて言ってたら、きっと5年後6年後、その時にはもう現実的な家計救済措置の方に頭が回って、自己実現にほど遠く意識が変わってしまっているかもしれない。
それに、ほらやっぱり、資格なんてなくっても、やってできないことはないかもしれないし・・・。と、逃げ腰なんだか度胸だけはいいんだか分からない自己弁護が始まった。
そんな時、一冊の本を手に取った。
そして、それは迷いの中の私の心に、すーっとミントの香りを残していった。
つづく