今日、晴れ。昨日のどしゃぶりが嘘のような秋晴れだった。
昼からエリーと一緒に市内の大型ショッピングセンター
ラPアへ出かけた。ガソリンスタンド(
エネオスと決めている)を探しながらのドライブ。青森県地図を見ながら、
エネオスマークを探し、ショッピングセンター方面へ行く途中のスタンドを目指した。ところが、地図には2箇所記されてあるのに、どちらの場所にも
エネオスはなかった。そこに建っていたのは、
ローソン。そう、2軒とも。商売変えしたのかしら?
それにしても、古い地図ではないのに、あっという間に消えてしまう会社。この前まで明かりのついていた建物も、気づくと人影もなく錆びれてしまって真っ暗。4月に八戸に来てからも、何度こんな様子を目の当たりしたろうか。
ラPアに着くと、さっそくラーメンを食すため、フードコートへ。ここのラーメンは、なかなかおいしく、さらに平日はご飯がサービスで茶碗に一杯付いてくるのだ。エリーと二人で、しめて420円のランチなり。しかしここ、自己申告しなければご飯は付いてきません。不思議でしょ?私も偶然に知った、知る人ぞ知る情報なのだ。たまたま、平日に行ったとき、「白ご飯だけというメニューありますか?」と聞いたことが、この隠れキャラのようなサービスを知るきっかけだった。お店の人は、「あ、平日なら言ってくださったお客様にはサービスでお付けしております。」と言った。なんと、不公平なサービスだろう。そこが、利用者の心理をくすぐるのか?そういう作戦か?
おいしいねと食べながら、近くにいる学生服の集団に目が行った。白いシャツに黒いズボンをはいている。引率の先生は若く、首からカメラを提げ、左腕に腕章を付けていた。その黄色く光っている腕章が、やたら目立って、思わずじーっと見てしまう。腕章には、「撮影許可証」と書いてある。何かの撮影?学生さんたちの日常を撮るとか、卒業記念アルバム用とかかなぁ?そんなことを思いながら、先生と話している男の子に目が行った。体がやせて、小さく、そして萎縮しているような感じがした。障碍者だな、とすぐに分かった。そして、他の生徒さんたちを見た。他の生徒さんたちも、何らかの障碍を持っていることが、なんとなく、本当になんとなくしか分からない程度だったけれど、空気が違って感じた。エリーは、ここに着いた時から何かを感じていたらしく、ずっとその集団の方に目をやっていたり、気にしていたりしていた。私は気にも留めていなかったのだけれど。
その子たちの配膳盆を下げる姿に、大丈夫?きちんと持てる?なんて心配の目を向けたくなってしまうのだが、あまり見ないように心がけた。そして、見ないようにすると不自然に、他のお客さんの動向を観察してしまった。他のお客さんも同様に、不自然にジロジロ見ていた。心配だったのかもしれないし、興味本位だったのかもしれない。心の中までは読めないので、なんとも分析しがたいが、それでも、ジロジロ見られのは、どんな理由にせよ、心地よい気持ちになるわけがないよな、と思った。
久しぶりに会った障碍を持つ子どもたち。かわいらしさを感じる子どもたち。思春期の、独特なフレッシュさと危うさを持った子どもたち。彼らは、なんの変哲もない思春期の少年たちだ。でも、久しぶりに会ったことで、私の目は興味本位の目になっていたのではないだろうか、と自問自答する。
数年前、
「ジロジロ見ないで」という本を読んだ。障碍を持つ者、病気で目に見える体の一部分が変形してしまった者たち9人の、日常的に感じる気持ちを綴ったものだ。彼らは、生まれつきだったり、幼い時からだったり、また大人になってから今の姿で生活をしている。彼らにとっては、不自由なことも多々あるが、それが普通として生きている。自分にとって普通のことに対して、外部の人間があれこれ言ったり、同情するだけだったり、ジロジロ見るだけだったりすることは非常に心外で、傷つくということが書いてあった。この本を読んでから、当たり前のことではあったのだが、人のことをジロジロと見るのはいけないことなんだ、と考えさせられた。人間観察が好きで、「この二人はまさしく不倫ちゃんでしょう!?」と興味津々なんだけど、見る時はそっと、これが鉄則だ。
今日は、ちょっぴりジロジロ見てしまった気がして、なんだか彼らに申し訳ないことをしてしまったと反省。
八戸で障碍者に普通に出会えるところは、どこでしょう?街を歩いていて、普通に挨拶できるような、そんな友人がほしいなぁ。健常者だけの街は、やっぱりどこか抜けていて、味気なくて、寂しいものです。街も私も欠陥商品になりそうで怖いです。