ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

バザーのサーヤ

2006年09月30日 | 子ども
サーヤの日記!?

~きょうは、バザーだった。
おばけやしきにおともだちといって、すごくこわかった。

おともだちも、こわいっていっていた。
おひるは、ジュースをのんだ。
バザーにまた行きたいと思った。でも、おばけやしきにはもういかない。~

小学校バザー

2006年09月30日 | 子ども
今日は、朝から小学校のバザー。
9時から学校へ。
撤収および掃除終了が4時半でした。おつかれっ!!

夕食のビール、すすむすすむ
合計2杯!

反省は、多々あるので、反省会で反省します。
でも、充実した一日でした。
写真を撮る余裕もなかった。。。

トンボ取り

2006年09月29日 | 子ども
八戸市の隣町であるおいらせ町。家から車で30分くらいのところにある、いちょう公園というところに行きました。
夕暮れになると、真っ赤なトンボが縦横無尽に飛んでいます。それをキャッチしようと、これまた縦横無尽に走る姉妹がいます。
こんな光景が、とっても幸せで、気持ちがほわんと温かくって、こんな状態のまま育児ができたら、さぞ、子どもも私も幸せだろうに・・なんて思ってしまった。
いつでも、どんなときでも、感情に溺れることなく、私はどこにいても冷静なんだなぁ、とこれを書きながら実感+がっかり(?)
もっと、幸せに浸ってみようよ!と言い聞かせてみた。いまさらだけど。

トンボは、2匹取れました。
「ゼッタイに持って帰る!!!」と聞かないサーヤ。
「じぇったいに!!」と姉を真似るエリー。
はいはい、持って帰りましょうか。「お持ち帰りデース!」って、誰に言うこともできず、ビニール袋にせっせと小さな穴を開け、2匹はそこに収まった。
うれしそうに、帰りの車の中で、二人は熟睡。
そんだけ走れば、疲れるよね。
また、来ようね。今度はパパと4人でね。

ちなみに、この公園は、「青森あそび場ガイド」を見て選んだ公園。

「あそび場ガイド」は、全国を網羅しているらしい。ちなみに、山口版は、私の友人たちが悪戦苦闘して集めた情報がたくさん掲載されている。ここ青森版も、青森や弘前や八戸に住むパワフルな主婦の方たちで、情報収集したもの。
ママの目線で選ばれた公園で、しかも細かい情報(トイレ、オムツ交換台の有無、駐車場の台数、駐車場から公園までの距離、昼食場などなど盛り沢山)がとってもありがたい。そして、ママたちの気持ちがあったかく感じられて、それがかなり私のウエイトを占めている。お疲れ様でした!


ジロジロ見ないで

2006年09月28日 | これも自分あれも自分
今日、晴れ。昨日のどしゃぶりが嘘のような秋晴れだった。
昼からエリーと一緒に市内の大型ショッピングセンターラPアへ出かけた。ガソリンスタンド(エネオスと決めている)を探しながらのドライブ。青森県地図を見ながら、エネオスマークを探し、ショッピングセンター方面へ行く途中のスタンドを目指した。ところが、地図には2箇所記されてあるのに、どちらの場所にもエネオスはなかった。そこに建っていたのは、ローソン。そう、2軒とも。商売変えしたのかしら?
それにしても、古い地図ではないのに、あっという間に消えてしまう会社。この前まで明かりのついていた建物も、気づくと人影もなく錆びれてしまって真っ暗。4月に八戸に来てからも、何度こんな様子を目の当たりしたろうか。

ラPアに着くと、さっそくラーメンを食すため、フードコートへ。ここのラーメンは、なかなかおいしく、さらに平日はご飯がサービスで茶碗に一杯付いてくるのだ。エリーと二人で、しめて420円のランチなり。しかしここ、自己申告しなければご飯は付いてきません。不思議でしょ?私も偶然に知った、知る人ぞ知る情報なのだ。たまたま、平日に行ったとき、「白ご飯だけというメニューありますか?」と聞いたことが、この隠れキャラのようなサービスを知るきっかけだった。お店の人は、「あ、平日なら言ってくださったお客様にはサービスでお付けしております。」と言った。なんと、不公平なサービスだろう。そこが、利用者の心理をくすぐるのか?そういう作戦か?

おいしいねと食べながら、近くにいる学生服の集団に目が行った。白いシャツに黒いズボンをはいている。引率の先生は若く、首からカメラを提げ、左腕に腕章を付けていた。その黄色く光っている腕章が、やたら目立って、思わずじーっと見てしまう。腕章には、「撮影許可証」と書いてある。何かの撮影?学生さんたちの日常を撮るとか、卒業記念アルバム用とかかなぁ?そんなことを思いながら、先生と話している男の子に目が行った。体がやせて、小さく、そして萎縮しているような感じがした。障碍者だな、とすぐに分かった。そして、他の生徒さんたちを見た。他の生徒さんたちも、何らかの障碍を持っていることが、なんとなく、本当になんとなくしか分からない程度だったけれど、空気が違って感じた。エリーは、ここに着いた時から何かを感じていたらしく、ずっとその集団の方に目をやっていたり、気にしていたりしていた。私は気にも留めていなかったのだけれど。
その子たちの配膳盆を下げる姿に、大丈夫?きちんと持てる?なんて心配の目を向けたくなってしまうのだが、あまり見ないように心がけた。そして、見ないようにすると不自然に、他のお客さんの動向を観察してしまった。他のお客さんも同様に、不自然にジロジロ見ていた。心配だったのかもしれないし、興味本位だったのかもしれない。心の中までは読めないので、なんとも分析しがたいが、それでも、ジロジロ見られのは、どんな理由にせよ、心地よい気持ちになるわけがないよな、と思った。
久しぶりに会った障碍を持つ子どもたち。かわいらしさを感じる子どもたち。思春期の、独特なフレッシュさと危うさを持った子どもたち。彼らは、なんの変哲もない思春期の少年たちだ。でも、久しぶりに会ったことで、私の目は興味本位の目になっていたのではないだろうか、と自問自答する。

数年前、「ジロジロ見ないで」という本を読んだ。障碍を持つ者、病気で目に見える体の一部分が変形してしまった者たち9人の、日常的に感じる気持ちを綴ったものだ。彼らは、生まれつきだったり、幼い時からだったり、また大人になってから今の姿で生活をしている。彼らにとっては、不自由なことも多々あるが、それが普通として生きている。自分にとって普通のことに対して、外部の人間があれこれ言ったり、同情するだけだったり、ジロジロ見るだけだったりすることは非常に心外で、傷つくということが書いてあった。この本を読んでから、当たり前のことではあったのだが、人のことをジロジロと見るのはいけないことなんだ、と考えさせられた。人間観察が好きで、「この二人はまさしく不倫ちゃんでしょう!?」と興味津々なんだけど、見る時はそっと、これが鉄則だ。
今日は、ちょっぴりジロジロ見てしまった気がして、なんだか彼らに申し訳ないことをしてしまったと反省。
八戸で障碍者に普通に出会えるところは、どこでしょう?街を歩いていて、普通に挨拶できるような、そんな友人がほしいなぁ。健常者だけの街は、やっぱりどこか抜けていて、味気なくて、寂しいものです。街も私も欠陥商品になりそうで怖いです。

大殺界

2006年09月27日 | これも自分あれも自分
占いを信じる方では決してないが、カウンセリングを受けるのを諦めた私は、書店で来年の「水星人」を購入した。
そう、細木○子の四柱推命というやつです。この印税が、細木○子の懐に入り、それが両手に余るほどの宝石に姿を変えるんだなぁと考えると、「ん?」という疑いを持ってしまうのだが、今日の横なぐりの雨である。帰っても、なんにもすることがないなぁ、少し自分のこと考えたいなぁ、コーヒー飲みながら読める簡単な読み物ないかなぁ、という気持ちになって、思わず購入していました。

来年から、大殺界だ。大殺界の入り口だ。

占いを信じる方では決してないが、気にはなる。
気にはなるけど、明日には忘れている。それがいいんだね。

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