ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

なんとかなる・・・で、生きてきたw

2012年09月27日 | これも自分あれも自分
今まで

なんとかなるwで、生きてきた。

計画性 ゼロ

その場しのぎ

その場のノリ

直感重視

やなものは や

いいものは 誰が反対しても いい


自分に嘘をつかずに 生きてきた



なんとかなって きた


寂しい思いをしている私へ 愛をたくさんくれた親戚や

幼稚園の先生や 学校の先生を 尊敬してた

反面

自分の親のできていない部分を指摘し、悪口を言う親戚(愛をくれる人と同一人物)や

近所の人を 冷たい目線で見てきた


感謝はしてきた

小さくても

幼くても

感謝をしてきた

そして

いつでも 何か目には見えないけれど

確かに そこにいるものから

守られていることを

幼い頃から 感じて

その人たちのためにも

がんばろう って思って生きてきた


今も

その見えない何かに 背中を押されたり

袖を引っ張られたり

抱きしめられたりしながら

見守れていることを感じながら生きている


心から 感謝が 溢れて来るんだよねぇ。。。

そんなに、感謝ばかりしないで。。。って言われることもあるけれど

でもさ

自然に、出てくる感情なのよ

止められないし

溢れてもくるし

無理に、言っているわけでも、抱いているわけでもない・・・


これは

性分なんだと 思ってください


たくさんの 人に ほんとに ほんとに 感謝だなぁ。。。


そうして、

私は

やっぱり

なんとかなって

生きていくんだなぁって、思う


ほんとうに、幸せな人間なんだと 思う

相手の人生は相手のもの 私の人生は私のもの

2012年09月27日 | これも自分あれも自分
誰かにゆだねたり

こうしたほうがいいのでは?と思わなくてもいい

自分の人生は自分のものであっていい

誰かに無理して合わせないといけませんか?

無理にではなく

心からあわせたいと思ったら

心と心とが合い 行動も合ってくるでしょう


同じように

相手の人生は やはり 相手のものなのだ

相手が決めたこと

相手がしたいこと


無理に正論をかざしてアドバイスしたところで

その正論を 受け入れるかどうかは

相手次第・・・


はづき虹映さんのブログ

心にしみましたw

比べない

2012年09月27日 | これも自分あれも自分
私の周りには

すんごい人たちだらけです

圧倒されるほどに・・・

カフェれすとらん「ソラのおくりもの」さんに来店する方々は

私の癒しになっています。。。


そこに来る人たちは、たいていは一人で、もしくは二人で、、、

そして、そこでは

人に囲まれ

人を癒し

人を認め

人と調和をはかる人が多いです


不思議な空間です

だから、居心地が良くて

凹んだときには、何度も来店する、

魂の復活する場所なんです


「それで、いいんだよ」

「まるごと、おっけー」

そんな場所なんですねぇ


11月にイベントを企画していて

その打ち合わせで

そらさんと、ヨガのMiki先生と会ってました


人を呼ぶ、

人に出店の声をかける、、、などなど

ほんとうに、そういうことに関しては、わたしはなぜか苦手

彼女たちの周りには

一声かければ、ささーーーっと集まってくれる人たちがいます

すごいですよねぇ

わたしは、声かけても

だれも集まってきません(>▽<;;


そんなことを話しながら

適正ということを思いました


人と比べて

自分が劣っている・・・という部分があると

思わず、ガクン↓と、テンションも、気分も落ち込むものです


でも、待ってw

ある部分では、その人のほうが能力は上かもしれないけれど

違う部分では、自分のほうが、能力が上であったりするかもしれないんですよ


上とか下とかいうと、

力の上下で、人を測るように勘違いしてしまいがちですが

算数は10点でも、体育が100点

もうひとりは、体育が8点で、算数が98点・・・

トータルでは、さほど変わらない・・・


それが、人間なんだって思います

動物界をみても

植物界をみても

みんな適正で生きています


そこに その場に 合った生き方をしています

そこに 上下関係も 優劣も ありません


だから

比べないことです

あなたは

あなたで、いいんです

あなたは

そのままの あなたで

完璧なんですよw

(自分に、言い聞かせていますσ(^◇^;)


わたしが、八戸に、いる、理由

2012年09月26日 | これも自分あれも自分
私が、八戸にいる理由を

考えてみた

もう、転校・転勤・環境の変化・新しい環境への適応・以前の環境へのこだわり・・・

それらが、いやだという、自我我欲もある。。。



それだけではない・・・

そんな気がするのは、なぜなんだろうね




山口県にいるとき

たくさんの人に会った

たくさんの仲間に出会って

生きる喜びを知った・・・

その仲間と、涙が数日止まらないほどの別れをして、

八戸にやってきた・・・

「八戸に、呼ばれたんだよ」って、

山口の友人に言われた。。。

そうなんだろうね。って、答えた。

必然なんだろうね。。。って。


あゆみんの、その、誰でも受け入れる術を教えて欲しいと

言われたことがある


確かに、受け入れることはできる

確かに、その人のあるがままを、そのままオッケー!

すべて、オッケー!って、接することができる

どうしたらできるの?って聞かれても

うううん。。。わかんない。。。

わかんないけど、いま、八戸でも中学生たちが、体育祭のとき、

私といっしょにお昼ご飯を食べたい!と、4名も、やってきたw

ほんとは、あと3名も来たがってたけど、長女が座れないという理由で断ったらしいw

不思議だ。。。

けど、私は、彼女たちを色眼鏡で見たことは一度もないし、

対等に、そう、一人の人間として対応してるのかもしれない・・・

中学生、、って見てないかもね。。。

おんなじ、人間w って、目線です。


あああ、誰に対しても、そうかもしれません。

八戸市長に対しても、

きっと、総理大臣に会ったって、

尊敬はしても、上下の区別せずに、対等に接するんだね。。。


そういう特技はあっても、、、

人間関係に、深入りはしないんだよ

ずるいでしょw


深入りできないの

あなたを 受け止め、受け入れることだけで いっぱいなのか

存在を認めることだけで おわりになるのか

なんでなのか わかりませんが

深く深く関わることが できません


なので、相手に寂しい思いをさせてしまうということは

中学生の頃から、芽は出ていましたねぇ・・・

ん?酔っ払ってきたのか、なにを書いてるのかわかんないw


さて、

わたしが、八戸に、いる、理由

ですが


私の得意分野は、

あなたを受け止めること

実際、深くは関わらないでいても、

わたしは、あなたを受け止めている・・・って、

わかってもらえないかもしんないけど

あなたを 否定 していない・・・

あなたを 嫌だと 思えない・・・

そういう、性格なんです


そして、八戸でも、

そうやって、いろんな人と出会って

いろんなこと、経験して

調和 を 保つこと


私の一生のテーマは

「調和」

なんだと

最近、思うようになりました


これって、へんなんかなぁ・・・


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