ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

アキラメマセン

2011年10月31日 | これも自分あれも自分
イロンナ ヒトガ イルワケデ

ミンナ ミンナ ソレゾレニ

イッショウケンメイ イキテイルワケデ

ソコヲ ミトメナガラ

グループヲ ミダス コトハ

ヒトトシテ ハズレテイル ト オモワレルコトハ

ナントカシタイト オモウワケデス


ナントカシテ キヅイテ ホシイ

ナントカシテ カンガエテ ホシイ


アナタナラ デキルハズ



オモウワケデス


マダ

アキラメマセン

ハグ はぐ Hug

2011年10月29日 | これも自分あれも自分
被災地産品の買取に、ソラさんでMiki先生と待ち合わせました。

自らも被災しているのに、

被災地の方々に出向いて、手作りのものを購入し集めてくださっている、

石巻のA子さんとも、今回お会いすることができました。


初めてお会いしたのかと思いきや、

震災前の昨年の11月に、企画した「親と子の癒しのセミナー&抱っこセラピー講座」に、

わざわざ遠くから参加してくださった方と同一人物でした。


ああ、一度お会いしていますね!

あの時は、遠くから2歳になるかならないくらいの子を連れてきて、

講座の会場近くの託児所をご紹介して、午前のセミナーの時には、

そちらに預けてご参加くださった方です。


なんだか、ご縁を感じました。


被災地の方々、集会所での製作現場に行って、

買い付けてくださるA子さんと Miki先生には、

ほんとうに頭が下がります。


大きなNPO団体や、ボランティア団体などが、同じように

被災地のものを販売して、支援している中、

私たち個人が、くるくると動きながら販売をすることに、

異議をおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

他の大きなとこでやってるんだから、わざわざ個人でやらなくても。。。と

現に言われた私は、そうですねぇ。としか答えられませんでしたが、

でも、

このように、現地の人たちと交流しながら、

なんとか支援していきたい、応援したいという人の気持ちを

少人数でも汲み取ることができるのなら、

それでいいのではないだろうか?と思うのです。

自己満足の世界かもしれませんが、

私はそれでいいと思っています。



手から手へ

少人数から少人数へ

手と手を取り合って

生きていくんです わたしたち


2歳半の子を連れての、長旅でした。

A子さんが、なんだかとてもエネルギーが不足しているように

勝手に感じたので、

別れ際に思わず、ハグしました。


「ありがとう。ありがとう。ありがとう」

ありがとうの言葉が、3回出てきました。

「自分だって、辛いのに、

こうやって集めてくれて、ありがとう。」


A子さんから、

「末永く、よろしくお願いします<(_ _)>」と

お辞儀をされました。


ばいばーい!と手を振って、お別れしました。

車の中には、被災地から届いたばかりの手作りの品々も一緒です。


そうしたら、

とめどなく涙が溢れてきて、

どんどん流れてきて、

視界が結露状態。


ありがとうという気持ちと、

溢れてくる愛 愛 愛・・・

どうしようもない、愛のエネルギーが

体中に充満して

車の中じゅう、充満して、

ものすごく熱くなった体を鎮め様としながら運転していました。


A子さんをハグした余韻も残り、

その余韻は、そのままずっと、夜中まで続きました。

何をするにも、何を話すのも、何を食べるのも、

なんて幸せなことだなんだろう・・・と

思わずにいられませんでした。


私はすんごく幸せだと思ったら、

涙がとめどなく、また溢れてきてしまいました。


あああ、明日の朝、目がはれぼったいに違いない。。。


泣き上戸になったわけではないと思います。


これからも、

被災地の方が、もう支援はいいです、大丈夫です、と

おっしゃる時まで、

一緒に歩いていこうと、思っています。


吹上公民館まつりでの、被災地産品の販売ブースを

設けていただいて、ありがとうございました。

おかげさまで、また、多くの方々に知っていただく

よい時間となりました。


購入してくださった方々、立ち寄って、立ち止まってくださった方々、

公民館のスタッフの方々、

感謝いたします。


明日は、三沢の興雲寺さんでの

「興雲寺まつり」で午後から、販売させていただきます。

どうぞよろしくお願いします!







一瞬の意識不明

2011年10月27日 | これも自分あれも自分
ここ一週間。それ以上かも?

一瞬、意識がなくなるんです。

普通に会話している中、

相手の顔がすっと目の前から消えて、

自分の意識も、消えてしまいます。


すぐに戻ってくるのですが、

めまい、とも違い、

いったい、なんなんだろう?と思っています。


耳の調子も、よくないかも。


週末が、近いから。。。かな。

反省

2011年10月27日 | これも自分あれも自分
今朝、テレビを見ていたら、

とある番組内のコーナーで出てきた言葉が、

「反省」


はい、そのとおり。

今日も、私の人生の反省をします。

ゆっくり、自分の時間をとります。

そう、思った朝でした。


そして、いろいろと用を足して、

八食センターからソラさんへ向かう途中、

ウインカーも上げずに出てきた車と、

あわやぶつかりそうになり、

急停車。


相手は、老夫婦。


もう、びっくりしたのと、泣きたいのとで、

ごちゃまぜになりながら、ソラさんへ到着しました。


そしたら、偶然に

あゆみさんに会いたかった!という女性と会い、

また偶然に

手相のY氏が来て、

彼の憑いているものを祓い(?)、

代わりに、私も見てもらい・・・。

人生のアドバイスをいただきました。


ありがたい、一日です。


車での事故になりそうなことも、

ふわふわしている自分への戒め。

大きな事故に繋がらなかったのは、ほんとうに、

気をつけなさいというサイン。

ありがたい、サイン。


反省を繰り返すと、

どんどん、自分の人間としての小ささに気がつき、

腹黒さに気がつき、

申し訳ないという気持ちが出てきたり、

人のせいにしている自分に気がついたりして、

過酷な作業。


でも、それをすることで、何かがクリアになっている、

そんな気はします。

もっと、まじめに、やりまーーーす。

光の部分と 心の闇

2011年10月27日 | これも自分あれも自分
朝、来ましたね♪

スッキリしています!

私の多少の悩みなど、宇宙の大きさに比べたら、

ほんの塵。

ふ~~って一息で、なくなっちゃうようなものです♪

気にしない、気にしない。

問題に捕らわれると、まぁるい心が萎縮して、

自分を苦しめてしまうことになりかねないよ。

だから、朝が来たら、忘れるのだ!


さて、いつもの夢ですが。

今回も、ちゃんと出てきて、ご説明。

そのあと、波動塾の八戸の仲間たちが出てきて、

勉強会をしています。

本から出てきてしまった炎を、Kさんと私とで鎮めたりしています。

Kさん、右手、熱くないかな??

最後は、右手で蓋をしたから、火傷していないか心配です。


さて、今回の夢で、とても驚くシーンがありました。

つい先日、これまでの功労を表彰された、とある男性がおりました。

その男性は、どなたかはわかりませんが、

多くの仲間がいて、多くの慈善をなし、

多くの称賛をもらっているような、

それでいて、謙虚な感じの、体育会系の男性でした。

そのお祝いの会場に、私も出席していました。

面識はないのですが、何かしらの関係で、表彰式に出られたようです。

その、人格者である男性の笑顔と、

謙虚な物腰とを拝見して、こんな素晴らしい方もいらっしゃるんだなぁ、と

尊敬していました。


その3日後くらいでしょうか。

私は波動塾の仲間と勉強会をしていましたが、

その建物の中から、ふと窓を開けました。

すると、目の前には線路があり、

その線路の上で、先日表彰されていた人格者に見えた男性が、

刃物を持って、顔が狂乱して、

「死なせてくれ!」と叫んでいたのです。


周りには、仲間たちである男性たちがいて、

なんとか鎮めようとしています。

男性は、刃物を突きつけながら、

おれは、もう死にたいんだ!と叫んでいるのです。


私と目が合うと、

「あああ・・・」と言いながら、私に手を伸ばし、

私は一瞬手を取りました。

そして、男性は、そのまままた、

周りの人たちに大声で叫び、自殺を訴えました。


私は、その光景を見て、

栄光の裏にある、心の闇を見ました。

どんなに、輝かしく見えても、

どんなに、人徳者で、誰からも好かれているように見える人でも、

一人ぼっちじゃなくて、仲間が多くいたとしても、

人間の中にある、その人にしか分からない闇が

共存しているということに、気づかされました。


あまりに、リアルな夢でした。

男性の、すがるような、ふと静かないつもの顔になった瞬間と、

豹変する様子とが、目の前で繰り広げられる様は、

誰もが同じなんだということを、

確認させられた気がしました。


私たちは、毎日、普通に生活し、普通に悩み、普通に思い、

普通に子育てして、生活しています。

でも、どこかで誰かが、

そして、いつだって自分が、

狂乱しそうな時があるのだということです。


とてつもなく悩んでしまったときは、

人に話したり、人に会ったりすることができません。

人は、ほんとうに辛く、苦しくなったときには、

自分ひとりで立つしかないのです。


そうして、ひとりで立ったとき、

その足元が、ふにゃふにゃした地面か、

がっちりとしすぎた地面か、

適度な堅さと軟らかさとを兼ね備えた地面かによって、

立ち上がり方が、違うのかもしれません。


それは、やはり仲間だったり、

それは、やはり家族だったり、

それは、やはり自分自身の心の成長だったり

するのかもしれません。


狂乱した男性は、結局は、

多くの仲間たちに守られ、

心を静めることができました。


泣き崩れながら、自分のした愚かな行動を詫びて、

自分のふがいなさを反省したことでしょう。

それでも、待ってくれる仲間がいて、

だからこそ、より仲間たちとの距離が近づく彼がいて、

栄光の陰にある孤独を感じないような関係に、

発展していったことと思います。


考えさせられる夢でした。





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