ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

協業するって、いいかも

2006年08月31日 | 観劇・読書・感想記
探していた
自分がいったい何をしたいのかを

探している
自分の人生を傾けて打ち込めるものを

探し続けている
人のため 社会のため そして何より自分のためにできるものを

子育てをしてる中で、たいていは日常に追われてぐったりしてしまう夕方を過ごすのに、ふと頭をもたげてくる「自分探し」。
それは、突然ふってくる子どものなぞなぞのようにやってきて、私の心にしばらくとどまっている。
そんな心のすき間の時間に出会った本がこれ。
「自分の会社をつくるということ」経沢香保子著 ダイアモンド社

その中で、感慨深くなった箇所があるので抜粋。
「友達と小さな会社をつくって経営していくのは一見楽しそうですが、とても難しいと思います。(省略)小さな組織では衝突が多くなって仲間割れになります。
(省略)これを防ぐ方法があります。友達には外注先になってもらって、あなたが発注する形をとるんです。つまりパートナーとして協業すればいいんです。

(省略)とかく、いっしょにやるとなあなあになる可能性もあるわけです。まあいいやという状態でやっていくと、お互い成長しません。相手の弱いところを見つけたり、うまくできていないところを見つけて非難し合って前に進まなくなってしまうのです。
 選択肢が少ないというのはビジネスにとっては致命的なことです。友情を優先するあまり、世の中にはもっといいものがたくさんあるというところを放棄してしまうんですから。これでは進歩もありません。」

考えさせられてしまって、しばらくそのページから離れられませんでした。そう書いている著者は、だからといって一人で経営するのも成長がないと書いています。人を雇うことで、経営者として人として成長していくのだ、と。

私は八戸へ転居した。これを機に、またひとつ成長していきたいと思っている。そして、子育て支援とはまた違った分野かもしれないけれど、仲間と協業できる何かを、自分の中に取り込むことができたらいいのになと思う。
ま、明日になったら、日常にかき消されてしまう妄想かもしれないけれどね。

福岡の弟が、中古車販売の会社を起業し、人と出会い人脈を作り、この6月に宗像市で飲食店を経営し始めた。ま、どうなるかは分からないが、このたびは人を雇っての経営らしい。つまりは、他人の生活までをも背負うことになったのだ。大丈夫か?とは、姉の心配。がんばれよ、も姉の激励。
しかし、とんこつラーメンが主の九州地方で、北海道ラーメンをはじめ、函館直送の魚介類を出しているお店は、東の人間としてはうれしいよね。山口にいたら、行きたかったです。(宣伝っ!!??そう、宣伝。これも姉の心情。許してね)

なぜパソコンが我が家に?

2006年08月30日 | 愛ある辛口
長い長い夏休みの後、八戸の我が家に帰ってみると、たった4ヶ月しか住んでいないのにもかかわらず、やはり気持ちが落ち着く自分に驚いた。
たまった洗濯やら掃除やら食事の準備やらをしていると、4ヶ月も住んでいるのに、道具のしまってある場所が分からず、手探り状態で家事をしている自分の老化にも驚いた。
1ヶ月も離れていると、忘れるんだね。夫の顔は忘れてなかったけど?忘れそうだったけど??ん?

八戸に帰宅した日の夜、夫がおもむろにパソコンを出してきて、画面に向かっている。夫は会社のパソコンを携帯しているので、この日も何か仕事をしているんだろうと思って、気にも留めていなかった。いや、夫の行動自体が気にも留まらないんだろう?と言われれば、児玉清の真似をした華丸が「大正解。アタックチャ~ンス!」と応えそうだけど・・・。

二日目。またもや、夫がパソコンを開いている。この日は、何となく私の視線を気にしている風にパソコンを食卓に出した。私の頭の隅っこは、「なんで、そんなこちらを気にして開くのか?」と思っていた。しかし私は忙しい。真夏に締め切っていた自宅には、嫌な臭いが充満していて気持ちが悪く、その臭いを消すのに掃除を念入りに、ソファカバーから夫の寝具まですべてを洗濯したかったからだ。
どうにか無視して、夜になった。
棚に置いてあるパソコンをカバーを開けて覗いてみはしたが、これがいったい会社のものなのかどうかは分からなかった。きっと会社のなんだろうと思った。それにしても、あの不可解な意味深な視線は気になった。本人に聞いてみよう。

「ねぇ、このパソコンさぁ、会社の?」
「え?違うよ。」
「は?じゃぁ、誰の?」
「うちの。」
「直したの?ん?違うなぁ。買ったの!!!???」
「ふふん。」得意げに答える夫。
「そんなお金、どこにあったん?」

というわけで、我が家にLaVieちゃんという名の新しいパソコンがやって来ていた。そんな予定外の買い物をしていいものかと、内心ハラハラドキドキしているが、私のストレス発散にはもってこい!の遊び道具が増えて、少しは気持ちがラクになるかもしれません。
ブログ、八戸からお送りできます。よろちく!

自我のめざめ

2006年08月24日 | 子ども
2歳になった。
山口で、自宅で、リビングで、母と夫に囲まれて生まれたエリーが、2歳になった。
生まれてすぐから同じ布団。お隣同士で眠っているエリーが2歳になった。
2歳になったのに、まだおっぱいは離れてくれない。
いや、ほんとのところは、私も癒されるおっぱいタイムをまだ手放したくない・・・というところ。

2歳のエリーは、自我が芽生え、きちんと自己主張をする。
大声をはりあげ、「ダメーーー!!!」と叫ぶ。
しゃがんだっきり、微動だにしない。
仰向けになったまま、「お菓子ほしいー!」と叫ぶ。
「せんべい食べたい!せんべい食べたい!」と朝食を目の前にしてほざく。

そんなエリーと、今日は八戸市庁前の噴水で水遊び。
飲み干したお茶のペットボトルで、水を汲んでは捨て、捨てては汲む。
溝を歩いて、流れる水に足を泳がす。
きもちいいね、エリー。

そして、市庁内の子ども家庭課にて、育児サークル情報を仕入れに行く。
しかしそんな情報は、市庁内のどこにもなかった。ショック。
「帰るよー。」と手を伸ばす私に、一言。
「やだ。」

エリーは、なかなか帰りたがりません。
受付の台の下から出てきません。

しばらくの攻防の末、一向に探しに来ない私を求めて「ママーー!!!」と泣き叫んで、この日は陥落。

ふぅ~、大変だけど、面白いヤツだぜい。

病院VSわたし

2006年08月23日 | 愛ある辛口
実家にある、とある耳鼻咽喉科とバトルした。
バトルせざるを得なかった理由は、治療の請求額が、予想以上に高かったことである。

事故は、私の愛娘エリーが、朝食を食べている時に起こった。
この日、ずいぶん体調の良くなっていた私は、早起きしたサーヤと一緒に朝食を食べたあと、エリーの起きる前に!と、食卓でサーヤの宿題を見ていた。すると、そんなサーヤとの少ない二人っきりの時間を遮るかのようにエリーが起きてきた。いつもこんな感じだ。サーヤとの時間を持てた時にかぎって、エリーが起きたり、エリーが邪魔に入ったりする
仕方がないので、エリーが朝食をとる横でサーヤが宿題をし、私が二人同時に見ることになった。
エリーは、ご飯をぱくぱく、合間に軽くほぐしておいた焼き鮭をぱくぱく食べていた。この日は珍しく、一人でフォークですくって食べてくれていた。それに安心して、私はサーヤの宿題にあれこれ言っていた矢先のことだった。エリーがいきなり咳き込んだ。ゴホッ!ゴホッ!その咳き込み方が、食べ物を詰まらせた感じとはちがって、変な感じだった。
「エリー、大丈夫?どうしたの?」と顔を覗き込みながら、私は直感した。
骨だ!魚の骨が刺さったんだ!!!
・・・そういえば、さっき鮭をほぐしていた時、白い骨が覗いていたのを頭の端で発見していた。でも、いつもエリーは上手に骨だけを口から出しているから大丈夫だろう・・・、と安易に考えていたことも思い出したのだ。あああ、失敗!大失敗!!ごめん、エリー!!!
非常に痛がるエリーに、サーヤもあわあわ慌てていた。宿題も手にはつかない。つくはずもない。母である私が動揺し、じたばたじたばたしているのだから。

口を大きく開けて泣いているエリーを覗く。白い骨が、左のノドに真横に刺さっているのが見えた。浅い箇所だ。長めのピンセットがあれば、取れるかもしれない、という近さだ。ご飯を飲み込むように促すが、2歳になろうとする幼な子が、ノドが痛いのに食べ物を食べるわけがなかった。首を横に振って余計に泣き叫ぶ。母親にピンセットがあるかどうかを聞き、探すが見当たらない。毛抜きを持って、エリーの口の中に入れてみたが、届かない!毛抜きで傷をつけてしまうかもしれない。もしかしたら、毛抜きまで誤って飲んでしまうかもしれない。私の頭の中は、どうしたらいいのか途方にくれていた。横でサーヤがお祈りをささげてくれている。

「おかあさん、病院に行ってくる!」
市内の近くの耳鼻咽喉科へ急いだ。調べている暇もなく、出かけついでになんとなく見かけた看板を頼りに、そちらの方向へ車を走らせてもらった。
病院に着くと、お盆明けにもかかわらず、患者さんはあまりいなかったので、すぐに診察室に入ることができた。医師は、少し不潔そうな小太りの男の人で、回転椅子の座席が少し狭そうだった。目は小さく、お盆休み明けの気だるさを残しているような感じだった。だが、私はそんな冷静な判断よりもまず、エリーのノドに刺さったままの骨を一刻も早く取ってほしくて、急いで症状を説明した。医師は、
「じゃぁ、お母さんに抱っこしてもらったまま、お口を大きく開けてみてねぇ。」と言い、看護婦さんがエリーの両腕をがっしり捕まえるのを待って、ノドの奥を覗いた。
「あああ、刺さってるねぇ。ちょっとまってねぇ。」
と言いながら、医師は長いピンセット(そうそう!私の探してたのはそんな感じのピンセットよ!!家にあったらよかったのに・・!!と心の中で思いながら)を手に持って、エリーのノドからやすやすと鮭の骨を取ってくださった。
「わー!ありがとうございます!!!よかったねぇ、エリー!」
エリーはまだ泣いていたが、母の安心した言葉に少し落ち着いてきた。
医師は、「まぁ、恐らく他には刺さっていないでしょうし、炎症も起きないだろうと思われますので。」と言いながら、カルテを書いていた。
「すみません、私の不注意です。ありがとうございました。」とお礼を言い、私は診察室を出た。

待合室に戻って程なくして、窓口で名前を呼ばれる。
「本日は、6210円です。」キレイなおねえさんが言う声にそのまま「はい」と言いそうになったが、いや待てよ!?今、なんつった!?「ろくせん???」って言ってなかった???
「す、すみません。おいくらですか?」再確認。
「6210円です。」おねえさん。
ろくせんにひゃくじゅうえんですか?」再々確認。
「はい、手術扱いになりますので。」おねえさん。
「しゅ、しゅじゅつですか?」再々々確認。
「はい、そうです。」おねえさんも、少々困惑した表情になった。ごめんね、ちょっぴり高くって。って顔つきだ。ちょっぴり、じゃあないですってば!高額、Expenciveだってばさ!
「はぁ。」仕方なく、私は支払った。泣く泣く、支払った。そして、一応お礼を言って、しかも憔悴ぎみのお礼を述べて帰った。
「エリー、ろくせん、だって。鮭の骨一本取ってもらうのに、六千・・・。」エレベーターを使わずに、階段を下りながらつぶやいた。

自宅に戻っても、どうにも納得がいかなかった。「おかしいやろ!?」だんだん頭に血が上ってきた。「どう考えても、人の足元見すぎやろ!?」気が落ち着くまで、言いたいことを声に出して言っていた。実家のリビングで、時には大きな声で、時には鎮めた声で。そして、「少し落ち着こう。落ち着いてから考えよう。」とも、声に出して言っていた。
10分~15分ほど経っただろうか。冷静になっていく自分の頭の中で、この病院に、この医師に、自分の気持ちをどのように伝えると一番伝わるかを組み立て始めていた。まず、取った行動は、これだ。
他の耳鼻咽喉科に金額を聞いてみること
他の医院に電話をして聞いてみたところ、今回の金額の半値が主だった。
それから、次。
日本医師会函館支部に相談する
電話をしてみたところ、金額が確かに高いとは思うが、医師会では何も言うことができないので、直接そこの医院に相談してみてください、とのことだった。もし、それでも納得がいかなかった場合はどうしたらいいかを聞いたら、そういう場合は渡島保健所の方で相談窓口があるので相談してみてくださいと言われ、電話番号を聞いた。丁寧な対応に感謝した。
そして、いよいよ。
その耳鼻咽喉科へ直接電話する
電話をすると、しばらく待たされた後、さっきの医師が電話口に出た。他の医院での金額のこと、医師会へ電話をしてみたことを話したが、医師は「うちの診察では、喉頭手術扱いにありますので、その金額なんです。」の一点張りだった。「手術といっても、手術台に上がったわけでもなく、私のひざの上での処置で、麻酔をするわけでもなく、難しい場所の処置でもないのにですか!?」何度説明しても、何度も同じことを返してきた。そして私は声を少し落として言った。
「・・・私はここの出身者なので、このような病院があるのは残念です。ほんとに、悲しいです・・・。」
すると、医師は「まぁ、処置の種類を変えることはできますが。」と言った!!聞き逃さんよ!!!
「手術には2種類あるので、もう1種類の方に変えることはできますが。」

私は、再度医院を訪れ、そのもう1種類の方に変えてもらった金額を支払いに行った。金額は、半分以下の2千円台だった。窓口で、おねえさんが「医療関係の方ですか?」と聞いてきた。関係者だったらなんなんだ!?と思いながら、いえ違います、と答えた。一般人をなめんなよ!!
そして、おねえさんは分厚い本を出してきて、処置の点数の違いをあてつけがましく見せてくれた。すると、喉頭手術の中にも簡単と複雑の2種類あって、その点数は4倍近くも違うのだった。
処置の種類を変えてくれることに、感謝の意を表しようと、医師に会いたい旨を伝えた。そして、25分待った。待ちくたびれて、帰ろうかと思った。その待つ時間にいろいろ考えた。きっとお礼なんかじゃなくて、苦情を直接言いにきたのだと思われているんだろうな。だとしたら、了見の狭い医師だなぁ。もったいないなぁ。あほだなぁ。15分経つと、だんだん腹が立ってきた。いい加減にしろよ!と。

ようやく中に通されると、すかさず医師は私の姿をちらりと見て、またすぐに前に向き直ると、こう言った。
「あれは、喉頭手術の部類に入りまして、うちでは2歳児は複雑の方に入れています。」
もうあまり話したくなかったが、私は「処置の内容を変えることは、医師として大変なことだったと思います。心の広さに感謝します。」と言い、最後にもう一度「ありがとうございました。」と深々と頭を下げて、診察室を後にした。
もう、来ることはないだろうと思った。回転椅子に、左片足を乗せた医師の元には、行かないだろうと思った。

医療は、技術だけじゃない。医療現場は、病気を治せるだけでいいのではないと思う。ましてや、地域に密着している開業医に関しては尚更のことだ。病気を治すのは最低限のこととして、精神的にも温かく迎えられる方が、安心感を生み、永く付き合いたいと思える病院となるはずだ。こんな枯渇した人間関係の現代ならなおさら。
心と心の通う病院が、地域にたくさんあることを望む。

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