ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

バレンタインチョコレート

2011年01月28日 | 子ども
長女がバレンタインデー用なのか

部活の納め会用なのか わからないが

チョコレート作りにはまっている


今年はトリュフに挑戦するんだとか


初作製の サーヤ・トリュフ


実に美味しい!!

お店で出せるよ!ってくらいに 美味しい!


市販のトリュフなんかよりも

ずっと洗練されていて

脂っこくなくて

ヌメヌメしてなくて 後味がいい


これなら 何個でも食べれるよ?


偶然の出来栄えだったのだろうけれど

かなりいい感じです


彼女 ほんっとに いい味出しています


赦す でもなく 受け入れる でもない 青い空

2011年01月28日 | 手放す~しがみつくのをやめる時
今日も空は青かった

強く冷たい風が吹き、私の顔を平手打ちするかのようだった

この青い空も 冷たい風も

ただ「今」この瞬間を すーっと生きているだけ

自分の役割を 自分の使命を 今 ただ 行っているだけ

何かを赦すのでも 受け入れるのでも 否定するのでも

愛するのでもなく

ただ 淡々と 今の瞬間を 照らすだけなのだ


私は 幼い頃からの自分が傷つけられたと 思い込んでいる過去に

今は 縛られている

正確に言うならば 縛っているのは この自分だ


縛って 苦しんで 

どうしたいのかというと

その問題を打開したい 

その一心なのだ


私は かつては 「赦そう」と考えていた

そして 「受け入れる」ことをしようと思っていた


とても落ち込んで、どうしようもなくなったときに訪れた

精神科の医師に

「どうして、そこまで克服しようとするのですか?

克服しようと思わなくてもいいのではないですか?」

と言われた。

その言葉は、医師としてというよりは、

彼の心の中の何かが言わせたような、

そんな匂いがした。

「医師である私にも、いろんなことがあります。

だから、精神科の医者になりました。

苦しいことを乗り越えようと思わなくてもいいと、思いますよ?」


今また、その言葉を思い出す

考えた

そして 考えるのをやめた

そうしたら ふと言葉が降ってきた

「赦すのも、受け入れることもやめなさい」

それが、今年のお正月三が日にいただいた言葉だった


あまり元気が戻らない私ではあるが

その元気にならない部分を そのまま受け止めることができている

「今は、過去に止まっていてもいいよ」と

認める自分がいる

だから 苦しくて悲しいのだけど

精神的の深い部分は 実は 傷ついていなくて

楽だ


感情を 感情のままにするのではなく

感情が噴出したら その感情を少し頭上から見下ろすように

「そっか 今 あなたは 怒っているのね

腹立たしいのね」

そう声をかけてあげる

そうすると すーーっと何かが抜けていく


札幌の心理セラピスト 西谷真美先生が言われたことが

ようやく実体験できた


なんとかしたいと思わなくていい

なんとかなるときに なんとかなるものだ


今は 自分のその 過去に縛り付けている自分を眺めて

「悲しかったんだね 辛かったんだね

傷ついたね 怒っていいよ 泣いていいよ」と

感情を 認めてあげる作業

それだけで いいのだ


誰かを「赦す」ことも

何かを「受け入れる」ことも

やめて

自分の感情を「受け止める」ことをすれば

自然と

「手放す」ことに繋がるのだと

思っている


そう、今日ふと降ってきた言葉は

この「手放す」だったのだ

真面目すぎるっ

2011年01月28日 | これも自分あれも自分
「あゆみさんって、真面目だよね」

よく言われます。

不真面目だと思うんですが、

真面目らしいです。


短大時代、同じ系列の大学のレーシングスキーサークルでの

陸上トレーニング。

真面目に練習してたら、言われました。

先輩に「あゆみってさー、なんでそんなに真面目にやんの?」

力が抜けました。

短大のレーシングスキー部の方にしたらよかったのかなぁ?

なんて、考えもしました。


人生について、くそ真面目に考えたり、

人の心について、深く考えたり、分析したりすることが

大好きでした。

哲学の本を何冊も読んで、読むごとに真理がわからなくなってしまったり、

「結局はさ~、人間はさ~、

あんまり考えたりせずに、

動物的本能的性質としての人間の部分の営みを淡々と

やっていけばいいってことなんじゃないの?

種の存続もそうだし。自然と共生することもそうだし。」

って、極論を説いたりもしました。

周りの人には、引かれまくっていましたが。。。

今思えば、みんなに引かれたその極論は、

「今ここに在る」ということを乱暴な言葉にしただけであったのかもしれませんが。。。


なんでも、真面目に考えすぎる感はある私。

これからも、みなさんのサポートなしでは、

生き抜けないので、

どうぞ 皆様 よろしくお願いします<(_ _)>



実家には 戻りません の 波紋

2011年01月27日 | これも自分あれも自分
私の実家の方に

私名義の土地があります

数年前に購入しました

いずれ、住むつもりで です


まるで計画性のない私たち

そして、

その土地購入には、実は隠された私の脅迫観念が裏づけされていること


父は、とても怖い人です

突然怒り出したり、

突然キレたり、

突然不機嫌になると、物が飛んできたり

物が壊されたり、

怒号を浴びせかける

そんな父でした

若かりし頃の父は、それはそれは赤のエネルギーの塊のような人

そんな父に、いつもビクビクし、

父以外の家族は、皆同じ思いをして過ごしていました


八戸に転勤になり、住み始めたら

あまりに距離が近くなったので、

彼の念が、ここまで届きやすくなっていました

私の思い過ごしなのかもしれません

私の意識過剰なのかもしれません

でも、その思いがいつしか呪縛のように感じだし、

なんとかその念から逃れようと

土地を購入してしまったのです

これで、少しは安心してくれて、

念は飛んでこなくなるだろう。。。

保険のようなものだ。。。と思っていました


思考は、きっと正常ではなかったと思います

父のいいように

父の思うように

父の思いを損なわないように


私は 子どもの頃の自分の思考回路にのっとられてしまい

正常に機能しなくなっていました


そんなとき やっぱり気がついてしまったのです

八戸に来て数年がたった段階で

実家の方には戻れないんじゃないか

精神的に難しいのではないか




はじめ、克服するために父のそばに行こうと考えてもいました

自分の中にある恐怖心を 払拭したい

そこから抜け出したい 

その壁を乗り越えたい

そう思っていたからです


でも、何年経っても、その壁は低くなるどころか

ますます頑丈になって

高くもなって

いつしか

私の中の父への感情というコップの水が

いっぱいになってしまいました

もう 入りません


あのとき、保険だと思って、嫌な思いを回避するために、

そして、壁を乗り越えるためにと購入した土地に

悲しいことに、愛着どころか

むなしささえ感じるようになってしまったのです


「実家には戻りません」発言をしました

とあるきっかけで、そんな話が父に洩れ聞こえてしまった今

実家のほうは 大変らしいのです

弟から

何か言ったの?と電話がありました

会社でも、自分たちにも、

結構たいへんだよ?と


実家のそばに住み、同じ会社で働く弟は

一手にそれを引き受けてくれています

何を話したのかを聞きたかったから

それがわかれば 心積もりもできるからさ



頼もしい言葉をくれました


計画性のない 自分の 人生

それで 多くの人を傷つけ 失望させてしまっています


ありゃりゃ

ごめんなさい

波紋は かなりディープに広まり

当分 電話も連絡もできそうにありません

私は あなたと 

正常な人間関係を築きたい

望むのは ただ それだけです


泣きたいときに 泣けて

笑いたいときに 笑えて

怒りたいとときに 怒れる

がんばれたときに がんばったよ と報告できる

いつも びくびくするのではなく

いつも 否定されるのではないかと 恐れるのではなく・・・



その正常な関係を結ぶために

私自身の父との関係で

そこから動けずにいるインナーチャイルドを

癒してあげる作業が必要なようです





子どもに 会いたい!!

2011年01月27日 | これも自分あれも自分
子どもに会いたい!と題名にしましたが、

別れたわが子に会いたい(あ、別れた子どもは、私にはいないのですが)

とか

私の中にいる子どもに会いたい

とか

学校や幼稚園に行ってしまったわが子に会いたい

とか

そういうのではなく


誰でもいいから

子どもであれば 

やんちゃな子も

おとなしい子も

泣きべそな子も

やさしい子も

不機嫌な子も

どんな子でもいいから


子どもたちに 会いたいのです

今、無性に、会いたいのです


美容室で会った2歳の女の子

スーパーで買い物カートのシートに座る男の子

駐車場をたどたどしい足取りで歩く女の子


やさしい気持ちと笑顔とで見つめる私は

すでに おばあちゃんの領域です


子どもたちの 一生懸命な命のきらめきに

賞賛の気持ちさえ抱きます

その賞賛の気持ちと

この世に生まれてきた感謝の気持ちとを

笑顔で伝えたくて

うずうずしてしまうのです


あなたが だいすき って

無条件で だいすき って

伝えてあげたくて 仕方ないのです


子どもを愛する病気です 私

愛してやまないのです


でも、その前に

私は、私の中の子どもに会いにいき

彼女の苦しみを知り

それを受け止めてあげることが 必要なのです

そこ なのです


あなたが だいすき って

無条件に だいすきだよって

言われたいのは

実は

私なのです

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