今日も空は青かった
強く冷たい風が吹き、私の顔を平手打ちするかのようだった
この青い空も 冷たい風も
ただ「今」この瞬間を すーっと生きているだけ
自分の役割を 自分の使命を 今 ただ 行っているだけ
何かを赦すのでも 受け入れるのでも 否定するのでも
愛するのでもなく
ただ 淡々と 今の瞬間を 照らすだけなのだ
私は 幼い頃からの自分が傷つけられたと 思い込んでいる過去に
今は 縛られている
正確に言うならば 縛っているのは この自分だ
縛って 苦しんで
どうしたいのかというと
その問題を打開したい
その一心なのだ
私は かつては 「赦そう」と考えていた
そして 「受け入れる」ことをしようと思っていた
とても落ち込んで、どうしようもなくなったときに訪れた
精神科の医師に
「どうして、そこまで克服しようとするのですか?
克服しようと思わなくてもいいのではないですか?」
と言われた。
その言葉は、医師としてというよりは、
彼の心の中の何かが言わせたような、
そんな匂いがした。
「医師である私にも、いろんなことがあります。
だから、精神科の医者になりました。
苦しいことを乗り越えようと思わなくてもいいと、思いますよ?」
今また、その言葉を思い出す
考えた
そして 考えるのをやめた
そうしたら ふと言葉が降ってきた
「赦すのも、受け入れることもやめなさい」
それが、今年のお正月三が日にいただいた言葉だった
あまり元気が戻らない私ではあるが
その元気にならない部分を そのまま受け止めることができている
「今は、過去に止まっていてもいいよ」と
認める自分がいる
だから 苦しくて悲しいのだけど
精神的の深い部分は 実は 傷ついていなくて
楽だ
感情を 感情のままにするのではなく
感情が噴出したら その感情を少し頭上から見下ろすように
「そっか 今 あなたは 怒っているのね
腹立たしいのね」
そう声をかけてあげる
そうすると すーーっと何かが抜けていく
札幌の心理セラピスト 西谷真美先生が言われたことが
ようやく実体験できた
なんとかしたいと思わなくていい
なんとかなるときに なんとかなるものだ
今は 自分のその 過去に縛り付けている自分を眺めて
「悲しかったんだね 辛かったんだね
傷ついたね 怒っていいよ 泣いていいよ」と
感情を 認めてあげる作業
それだけで いいのだ
誰かを「赦す」ことも
何かを「受け入れる」ことも
やめて
自分の感情を「受け止める」ことをすれば
自然と
「手放す」ことに繋がるのだと
思っている
そう、今日ふと降ってきた言葉は
この「手放す」だったのだ