ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

目をそらすな!

2008年10月27日 | これも自分あれも自分
久しぶりに電話で話せて、よかった。

っつうか、会いたいねぇぇぇぇ!!!!
会って話し出したら、きっとそのまま山口に3年はいなくちゃならなくなって、あれあれ?という間に住んでる気がするから、余計帰れないし・・・。

そんなくらい、私にとって山口は特別なソウルランド。

11月22日から東京へ2泊。
誰かカモン!トウキョウへ!


というのは冗談で。。。


自分の問題から目をそらすな、ということで、まだまだ苦闘中。
どうしたら抜け出せるか、いろいろと試している最中。
坐禅
浄化プログラム
読書
アロマテラピー
マクロビオティック
ルーシーダットン

まだまだやってみたいこと、いっぱいある。
早起き
瞑想
ヒーリング
デトックス
日記
レイキカウンセリング
リコネクション
フィトセラピー


よいよい、今はやれるだけやってみそ。
自分を見つめるだけ見つめてみそ。
答えは、すでに自分の中にあるもんだ。



ありがとう

2008年10月26日 | これも自分あれも自分
久しぶりにブログを開きました。

沈む自分を見せたくない自分と
こんな自分をさらけ出したい自分


他界した叔父には、会うことが叶いました。
どうしても会いたかったので、
会ってお礼を伝えたかったので、
行くことができてよかったです。

13年前、骨折の手術の時に血液製剤による被害を受けました。
それからずっと、肝炎から肝硬変、そして肝癌まで進展し、毎月の通院と手術で体はぼろぼろだったといいます。
そんな体の弱くなった叔父でしたが、若い頃は血のつながっていない私たち兄弟(叔父から見たら甥と姪)に、とても温かく優しく接してくれた大人の1人でした。

育ての母の実家に集まるときはいつも、緊張で体が震えました。
でも、その緊張感も、叔父の笑顔と
「よぉ来たなー!!」の明るい言葉で吹っ飛んだのを覚えています。

子ども心にも、こんなに大きく広く受け容れてもらえることが嬉しくて、そんな大きな器の叔父さんを尊敬していました。
こんな大人になりたいと、思っていました。

私たちも、大学だ就職だと実家から遠く離れ、縁遠くなってしまっていました。
実家へ帰省しても、会いに行くことをせずにいました。

代わりに、母から聞く情報で、皆さんの元気な様子にほっと安堵していました。


お通夜で叔父の安息な表情に会い、涙がぽろぽろと出てきました。
生きている時に、感謝の気持ちを伝えたかったと後悔しました。
でも、立ち読みした「死後の世界」という本に、
「心の中で思ったことでも、きちんと伝わる」と書いてあったのを思い出し、きっと叔父に私の気持ちは伝わっていると、確信しました。

なんとなくですが、
「あゆみちゃん、ありがとう。」って、聞こえた気もするからです。

人というのは不思議です。
亡くなってしまったからといって、残った人の記憶から消えないどころか、もっと鮮明に脳裏に焼きつくものです。
特別仲のよかったわけでもない方でも、少しでも関わったことがある方がお亡くなりになっても、忘れることはできません。

「死」には、深い意味があるのです。
教えがあるのです。
私たちに、いろんなことを教え、遺してくださってありがとうございます。

私たちを愛してくださって、ありがとうございます。
偽りのない、本心からの愛情、子どものときからずっと、ありがとうございました。




泣きそうなので・・・

2008年10月05日 | これも自分あれも自分
先日、山口の無二の親友から携帯へ着信があった。

着信履歴を見たときは、運転中だった。

何かあったのかな???と思ったけれど、そのときの私の感情も、何かあった感じで感情が揺れ動いている時だったから、未だに返信していない・・・。

返信できなくっても、私はあなたを想っているよ。
心の奥底で、あなたを感じているんだよ。そのこと、きっとあなたも分かっていると思ってる・・・。


ソウルメイト・・・
そんな言葉がふと頭をよぎる今日このごろ。
中間世(現世と前世の間にある、空間のこと?)で、来世で会う約束をした人のことだって。

ここ八戸でも、そんな風に思える人が私の周りにもいるらしい。
私を助けてくれる人、私を指南してくれる人、応援し協力してくれる人・・・
どこまでがソウルメイトなのかは定かではないが、
確実に今の弱気な私を力強く、そして辛抱強く支えてくれる人たちに囲まれている。
その存在のありがたさは、幾粒も涙を流せるほどだ。

誰もが言う。「困難は、その人が必ず越えることができる困難が訪れる。」と。
その困難がどんなに大きくて、どんなに深くて、自分の中のやわらかく触れて欲しくないことまで掘り下げられようとも、それは、自分が超えられる器の困難なのだと。

ちょっとしたことが重なって、人間不信に陥って、信頼すべき人の目まで疑って、誰をも信じられなくなったこの1ヶ月は、困難よりも、そんな自分が作った困難に悲しかった。
自分に克つことができない自分に、腹が立った。

家族をも犠牲にしていた。
外食、惣菜三昧の食卓、食器洗いをまったくしない台所、掃除をしない家の中、やぁカラオケだ!ショッピングだ!お金はあればあるだけ使ってしまえー!!
子育て?
そんなもの、勝手に育てーーー!!!
自分に対するイライラは、結局わが子へ発せられ、冷たい目線を向けるわが子にさらにキレル母である私・・・。

毎日、泣いていた。
涙が出ない日は、なかったと思う。一ヶ月も。

自分の中の「アダルトチャイルド」についても考えた。
私がここまで落ち込むのは、幼い頃の記憶が関係している。
信じていた人(産みの母親)からの度重なる裏切り行為は、私に底なしの絶望を思い出させる。
しかも、裏切られていると知っていても、私は彼女を心から信じて、愛していたのだ。
「わたしが いいこになったら ママはかえってくる」
そう信じていた。ずっと帰って来られなくなっても、ずっとずっとそう信じていた。

そんな幼い頃の記憶が、周囲の人(それまでは信じていた人たち)からの思いもよらぬ態度を受けて思い出し、急に子ども時代に戻ってしまった、そんな感じだったのだ。

「うつ」の本も購入してみた。
ヒーリングの本も、スピリチュアルの本も、心理学の本も買いあさり、借りあさり手当たり次第読んでみた。

いつかはこの混沌とした状態かた抜け出さなければ・・・と思っていた。
一進一退を続けながら、ようやく這い上がろうとしたのは昨日。
「死後の世界」という本を立ち読みし、なんだか心にすとんと落ちるものを感じた昨日の書店。


そんな矢先。今日、幼い頃にお世話になった叔父が、亡くなったという報せを受けた。

ほんとにまじめに、自分や世間の人に甘えて悩むのは終わりだと思った。

今、叫びたいほどの悲しみの中にいる遺族の方々、そして本人の気持ちを、私はたくさん感じてあげたいと思う。

ご冥福をお祈りします。最後に会いに行くことが叶いますように・・・。


広告