ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

お別れの時期

2008年02月22日 | これも自分あれも自分
春は出会いと別れの時期、ではあります。

八戸では「八戸えんぶり」が終わりました。
春を呼ぶと言われる舞いと摺りが、私の家にもやってきて、摺ってもらいました。
そのおかげなのか、早い春がやってきたようで、
私の心の友の一人が、転勤になるという知らせが・・・。

一緒にいろんなことを楽しみ、知恵をしぼって新聞を作り上げ、
今春からはエリーと一緒の幼稚園に入れて、その後はますます楽しく激しく(?)活動の幅を広げよう!と思っていた矢先のことでした。

さ、寂しい。

物事に、偶然なんて一つもなくて、すべては必然。だとするならば、
私や彼女にとって必然の今回の別れにだって、必ず意味があるんだろう。
っていうか、意味のある別れにしようと思わなきゃ、なんだかしっくりいかない。

別れてからのそれぞれの道は、また確実にたやすい道ではないのだろうけれど、きっと遠くから、お互いを祈っていたり、応援していたりするであろうと思う。
その心の応援を感じるのとそうでないのとでは、何かがあったときの心強さが違う。
それは、転勤した私が経験済み。

バックグラウンドがあるから、あなたなら大丈夫。
きっとまたいい出会いが待っている。
あなたの素敵な個性を大切に、何かあったらいつだって連絡ください。



大好きです!えんぶり

2008年02月19日 | これも自分あれも自分
八戸の、国定重要無形民族文化財の一つである、春を呼ぶおまつり「八戸えんぶり」が始まっています。

昨年初めて観たときから、深い感動と、現存している縦社会(おじいちゃんから幼い子どもまでが一緒に舞いの練習をしたり、街中を巡ったりしている!)にも、感慨深いものがありました。

すっかり大ファンの私は、えんぶりの開催期間中は毎日どこかで鑑賞しております。

そして、今日はなんと自宅に!
ご祝儀をお渡ししたら、自宅の前で舞ってくださったのです。これは、こういう慣習なのですって。
どんなお作法があるかも知らずに、とてもありがたい思いで拝見させていただきました。
地元の方や、ご高齢のかたならば、きっと頭を下げて、五穀豊穣をお祈りするものなのかもしれません。
私たちは、なんと突っ立ったままで、とにかく目に焼き付けたいという一心で、眼力とばしておりました。たいへん失礼いたしました。

写真は、自宅前です。
ありがとうございました。

ゆっくり まったり お休みしながらね

2008年02月19日 | これも自分あれも自分
沈んでいた日が続いていたの。
だけど、昨日元気な人に会って、つらいことを話したら、なんだかすっきりした。
そぅなんだよね、って。
そうだったよな、って。

今までの自分の道を振り返ってみても、おんなじこと、たくさんあったもんね。
そのたびに、乗り越えて、かわして、すっきりして、
で、結局やめずに前に進んでいる。

「いいんだよ、やりたくないときはやらなくてぇ!
いっつも前進ばっかりなんてできないじゃない!休みながらでいいんだよぉ!
私だってこう見えて、2年間引きこもっていたことがあるんだからぁ!」

ずっと走ってきているであろうこの方に言われると、なんだかほっとする。
出会うことができて、よかった。
出会うべく人に出会っている気がする。


ゆっくり、まったり、お休みしながら、
今の自分にできることを できるかぎり する
これが、私の基本だった。
自分の器以上のことをしようとすると、気が張りすぎて、周りが見えなくなってしまう。


今日は下田へ行って、存分に遊んできた。
エリーも楽しそうに遊んでいる。満足満足の一日。
こうして二人でふらりとランチしたり、遊んだりできるのはあと2ヶ月だもんね。
ゆっくり、まったり、いきましょう!

不審者情報

2008年02月16日 | これも自分あれも自分
先週末から立て続けに起こっている八戸での“不審者”事案。
今の世の中、どこで何が起こるか、いつ被害者になるか、誰が加害者になるか分からない時代です。怖いですよね。。。

私は、現在「認定子育てアドバイザー」という資格を取得するために勉強中です。
その講義の中で、元警視庁警察官であり、現在「少年犯罪予防委員会」を設立して活動中の幸島美智子さんのお話を聴くことができました。
http://biz.sbrain.co.jp/keyperson/K-7288.htm
そこでおっしゃっていた、子どもに教えるべき危機管理について、少しですがここでお教えしたいと思います。


「10歳までは親と地域とで、犯罪から守る体制を取っていただきたい。そして、子どもに不審者のことを教えるとき、「あやしい人に声をかけられたら」とか「変な人が近づいてきたら」という曖昧な教え方ではなく、具体的に教えること!
 
 ・道を子どもに聞く大人はいない!ということ
 ・他人に、お菓子やゲームを買ってくれる人はいない!ということ

そして、変だなと思ったら、すぐに走って逃げる!一番最初に出会った大人に助けを求めること!
これを教えなさい。防犯笛を鳴らすまでに連れ去られるし、大きな声で助けを呼びましょうなんて学校では教えているけれど、実際怖くて大声なんか出ませんから。
まずは、走れ!と教えてください。」


「中高生くらいになったら、襲われそうになった時の対応を教えてください。
いいですか?ナイフを出されて脅された時、抵抗したら刺されてしまうかもしれないという最初のリスクを恐れてはいけません!

ナイフを振り払う!これをしなければ、次にはもっと怖いことが起こる!
恐怖を突き抜けろ!!と教え、こういうことが起こったことを想定したリハーサルをすると尚いい。」

とっても迫力のある、宝塚の男役のような方で、そのお話には説得力がありました。
ぜひ、ご家庭でもご参考にされてください。

吐き出そう!

2008年02月15日 | これも自分あれも自分
人は、悩みだすとどうしても引きこもってしまう。
私もそう。
歩いていないと、すぐに思考も停止。
停止すると、何をするにも「楽しい」と感じられない。
子どもと接することも、「嫌だ」と感じる。
夫と話すことも、「面倒」と思う。
自分の両親に電話することも、「億劫」と考えてしまう。
そして、友人に会うことも、「やめておこう」と引っ込んでしまう。

人の悩み方には、その人なりのパターンがあると思う。
それと同時に、悩みの解決方法にも、ある一定のパターンがあるように思う。

私の場合、
その名前のごとく、歩くのがストップすると悩みだす傾向にある。
きっかけは、誰かに言われたマイナス要素とか、子どもの病気で外出できなかったとか、自分の思うとおりに動けない自分へのもどかしさとかが主なきっかけ。

まずは引きこもって、なんにもしない。
家事・育児以外は、なんにもしない。
パソコンも見ない。
メールもしない。

それがしばらく続いた後、誰かとしゃべりだす。
メールで相談しだす。
元気で、しかもいつも肯定的な働きかけをしてくださる方に連絡を取る。
パソコンを開く。
自分の描くものを検索して、自分の考え方がきちんと社会に適応しているか確認する。
もどかしいのは、いつものことだ。
頭が悪い、そうなんだ。私ってば、頭で考えてもそれをどのように実行するかとか、システムを考えるのがとっても苦手。
なんだかアンバランス。

そうこうしていると、「となりんち」の日がやってくる。
ここですっかり復活する。
自分の居場所があるから?
みんなが優しいから?
なんとなく使命感が出るから?
責任感が生まれるから?
何が何でも、人と話すから?

そのすべて、だと思う。
これらすべてがあるから、私はまた元気になる。また頑張ろうと思う。
人は人でしか癒されない。

悩んできる真ん中のときは、人に会いたくないけれど、
人に会いたくなったら、となりんちに来て、誰かをつかまえておしゃべりしてみよう。
自分のこと、助けを待っていても、誰も助けてはくれない。
自分自身で動かなければ、気付かれずに、素通りしてしまうよ。
人はいつでも、気付けるわけではないから。
どうか、勇気を出して。出てきてほしいな。
私みたいに悩める人、たくさんいるんじゃないのかな?

広告