ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

話す→笑う→泣く→すっきり

2006年01月31日 | これも自分あれも自分
凹んでいた。
いや、今も脱出したと言えないから、現在進行形かな。そ、凹んでいる。
そして、私の悪い癖は、本当に悩んだり凹んだりしている時は、誰にもそのことを言わない、言えないことだ。なぜか、溜め込む。便秘をする人は精神的にも溜め込むタイプだと、誰かが言っていたが、Exsactry!その通り。

辛口だから、こまめに吐き出しているかと思いきや、実のところ本音は言ってなかったりする。本音を隠すために、辛口なのか??と思ったりもする。いやいや、それは自己肯定しすぎやし。単なる辛口が先に出る癖というだけなんだけどね。

落ち着いてきたので、電話をしてみた。友人に。
夜遅くなのに、付き合ってくれた。話を聞いてくれた。深い話も、軽い話も、しょうもない話も、うんうん、あほやなぁ、そやなぁって、聞いてくれた。
笑ったり、泣きそうになったり、眉間にしわ寄せたりしながら話していたら、なんだかすっきりした。そして、落ち込んでるときは無理に這い上がらんでも、何かのきっかけでフツウーに歩けるようになるから大丈夫って言われて、安心した。
うん、少しテンション低いのもいいかも、って思える自分がそこにいた。

そして、なにはともあれ、そんな心の内を話せる友人がいることが、話させてくれる友人のいることが嬉しかった。ありがとう。

軽い厄っ!?

2006年01月30日 | これも自分あれも自分
厄年の時、夫の母が頼んだという宮城県の神社から、なんだか毎年のようにはがきが届く。「今年は○○の厄にあたっていますので、、、、、」
毎年必ず誕生月に届くので、すでに嫌気がさして、とりあってもいない。

ある日のことであった。
夫の前厄の年の、親子の会話。
夫「おれって、今年厄年なん?」
夫の母「そうなんかねぇ。」
夫「なんだか、前厄だってよ。前厄ってなにさ?」
夫の母「前厄ってかい?まぁ、軽い厄ってことだわ。」
夫「(笑いながら)軽い厄って、なんだよ!?厄に軽いもなんもあるもんかい!?」爆笑
一家でも爆笑。私も苦笑。
ほんとね、“軽い厄”って、おもしろい例えだなぁ、と思って、なんだかそれを聞いたとたんに夫の(軽い)厄が吹っ飛んだ気がした。よかった、軽くって。

そんな義母は、今義父とともに、沖縄の旅に出ている。
でも、雨模様なんだよねぇ。
これも、軽い厄か???
楽しい旅であります様に。

凧揚げ

2006年01月29日 | 子ども
今日、凧揚げをしに河川敷へ。
持ち物は、凧と縄跳びの縄とそり、レジャーシートとお茶に、カセットコンロ、フライパン、塩やきそばに、切った野菜。

少し風の出てきた河川敷は、黙っていると寒く感じる。
到着してすぐに、夫とサーヤは凧揚げに興じていた。楽しそう。
私はそんな二人を見ながら、エリーのとぼとぼ歩きを見ながら、お昼ご飯作り。
風除けにコンロの入っていた箱と、芝生の斜面滑り用に持ってきたそりとを立てて、フライパンで野菜を炒め、やきそばを作る。おいしそうな匂いが風に乗って遠くまで流れているのが分かる。んん、いい匂い!お腹がすいてきたぁ。日曜の午後2時。

食べる先から、ことごとく冷めていくやきそばをかっこみ、いよいよ凧揚げに再挑戦。
市販のひし形の凧は、とっても飛ばしやすいのだそう。
飛ぶ飛ぶ。
なんだか、なんの変わりのない穏やかな時間がすぎていく。夫やサーヤが飛ばしているのを見ても、何が面白いのか分からなかったけれど、自分で持ってみて、風に心を預けてみて分かった。これは、面白い!!穏やかな時、静かな時間、凧だけを見つめる目、風と折り合いをつける手、引っ張ってみたり、走ってみたり、糸をさらに伸ばしてみたり。
気持ちも一緒に飛んでいる感じがした。日常のすさみや嫌なことをすっかり忘れていた。なんだか、救われた気がした。日曜の午後3時。

凧揚げの後は、家の中でごみと化した古本をリサイクルに出すために、市内の本のリサイクル店を巡った。
1軒目で、28冊売れた。2200円だった。
2軒目では、8冊売れた。680円だった。
3軒目で、5冊売れた。420円だった。
今日の利益、締めて3300円也!家の中にあっても活用されずに眠っていたものが、3300円。今日はこのお金で、お好み焼きの具在を購入させていただきました。日曜の午後5時。

そして、そんな夕食は、とっても美味うございました。ありがとう、本たち。日曜の午後7時。

追伸:生活に困っているわけではありませんので、ご心配なく。
   在庫処分でございます。

浅田真央!?

2006年01月28日 | 子ども
我が娘、サーヤのスケートデビューです。
下松健康パーク内にある、スケートリンクへ!
サーヤは、立つこともままならず、必死にしがみついてます。
そう、最初からできる人はいないのです。

私も、中学時代以来滑ってないので、数えると20年ぶり!!!
幼少時代は、徒歩十数分の所に冬になると登場する屋外リンクへ、弟や友達と連れ立って、毎日のように滑りに行ってたものです。タダだったしね。懐かしくなりました。本当に、暗くなるまで滑ってた記憶があります。楽しかったなぁ。
20年経った私の体力は、1周もすれば、すねの部分が痛くなり、調子に乗って2周すると、もうタイヘン。休憩休憩ふうう~・・という感じ。

今日はたまたま入場料100円!となっていたので、ま、初滑りというか、初しがみつきにはよい機会でした。
サーヤ曰く、「もうゼッタイにしない!!!」
まぁまぁ、そんな簡単に諦めずに、また挑戦しようよね。

そしてふと見ると、優雅に滑る姿が、目の端っこに映りました。
小柄で細くて、真っ直ぐな足を片足浮かしながら、大勢の人の間もすいすいと踊るように滑る姿は、「や、山口の浅田真央!?」と勘違いするほど!!
よくよく見ると、小柄で細い、可愛らしい感じのおじいちゃんでした。。。
でも、とっても上手で、思わず声をかけてしまいました。
今度会ったら、またちょっぴり教えてください。初心者への教え方を。ありがとうございました。
 
転倒中の私。思いっきり転んで、おしりが痛い。
  

子どもの発想

2006年01月27日 | 子ども
6歳のくせに、大人顔負けのボキャブラリーを使いこなすサーヤ。
その生意気な言い方が、母親である私にそっくりなのを棚に上げ、
つい苛々してしまうサーヤの発言。
約7割にカチンときて、約3割にほのぼのしているような毎日。
他人の子どもなら、ゆとりを持って答えられるのに、なぜに我が子にはそんなふうにできないのだろう?不思議。

でも、そんな約3割の中の心温まる一言一言に、行き詰った時の母は、とても救われている。
昨日の夜。何に反応したのか分からないが、サーヤが突然言った言葉。
「ママ、知ってる?子どもはねぇ、子どものことを信じている大人が好きなんだよ。」
「へぇ、そうなん。子どものことを信じる?」と私。
「うん、そう。子どもの力を信じている人のことだよ。子どもってね、すごい力を持ってるんだよ。」
「そうだねぇ。ママもそう思うよ。」

そして、今日の夕方、私はその言葉を突然思い出し、聞いてみた。
「昨日言ってた、子どもを信じてる大人って、サーヤにとっては誰のことなん?」
すると、サーヤはたくさんの人たちの名前を挙げた。
「パパでしょ、ママでしょ、北海道のじじとばばにぃ、奈良のじじとばばでしょ・・・」から始まり、自分のおじ・おばの名前を言い、てとてとのスタッフの名前もずらりと並んだ。
なんだか、とっても嬉しくなって、
「サーヤもママも、たくさんの人たちに囲まれて幸せだね。」って答えた。
ほんとうに、とっても嬉しかった。
その後、こうも言い出した。
「サーヤねぇ、目に見えないものが見えるんだ。」
「へ!!???」一瞬、幽霊が見えると言い出すのかと思った。が、違った。
「いじわるな心とか、優しい心とかが見えるの。ほら、今そこに(テレビの上の天井の方を指差して)、いじわるな心があった!これをとっつかまえて、外に投げるんだよ!ほれ!!」
サーヤは、少し目が赤く、涙ぐんでいるように見えた。気のせいかな。
私の不安定で悲しんでいる心をさしているのかもしれない。
ママ、早く元気になって、って願っているんだと思った。
胸がきゅんとなった。サーヤのいっぱいの優しさといたわりに、母は襟を正す。

広告