ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

よっしゃぁ!! がんばるしか ねぇべ!!

2014年03月17日 | これも自分あれも自分
本って、すごいね。

落ち込んでて、家にも居場所がなくて、

けど、そのおかげで、

まったく別の場所で手に取った新しい雑誌と

コーヒーを飲みながらのゆっくりとした時間とをもらえた。


そして、そういうときに出会える言葉を

ちゃんと、きちんと拾えてよかった。


わたし、まだ、大丈夫だな、って思えた。

がんばるしかないべ、って思えた。


手に取った本は、「セラピスト」だった。

私には、きっと、「セラピスト」になりたい願望、夢があるということを

落ち込みの中にいても、気がついた。


いろんなセラピスト、種類がある中で、

私は私だけの経験から得られる「セラピスト」があるのだという確信も、

こうした、落ち込みの中から得ることができる。


「こんな世の中、いやだ。 全部なくなくっちゃえ、とは思わないけど、

自分がいやだから、自分がいなくなっちゃえばいいのに」

そんな風に思うのは、昔からずっとだが、


ほんとうに死にたいなら、死ねばいいのにって思うのも、自分で、

ほんとうに死にたくはないのも、自分で。。。


けど、いろんな死ぬ方法を考えていたら、ふとね、思い当ったことがあって、


そうだ!!

私の実母のところへ行けばいいんだ。

あそこに行って、

30万円しかないけど、これで

私を殺して下さい。って言えば、きっと

わりと あっさりと 殺してくれるだろう。。。


彼女が実際に手を下さぬとも、

周りにたくさん、そういう人たちいるんだから、

大丈夫、死にたくて、自分で死ねないときには、

あそこに行けばいいんだ。。。


そう思ったら、少し楽になったんだ。

無理に、死ななくていいんだ、って思ったから。


はははは。軽いなぁ。自分。なに、

なにを考えてんだか。。。


死にたくなくても死んでしまう人たちが多いのに。。。


こういうふうに思う自分も、自分でした。


と、いうわけで、

自分の向かいたい自分に目が行き、

がんばるしかねぇべ、と思えるようになり、

とにかく、

いま、現実に起きていること、起きている問題とを

ひとつひとつワークして、クリアにして、

それを、実際のセラピーに繋げていく。。。


そのための、経験なんだと思えるようになったので、

元気だぞ!!!!っと。


すべては、繋がりがある

すべてに、意味がある

すべて、すべて、生きるため

すべて、すべて、愛に気づくための経験値なんだなぁ。

じぶん すき の 結果

2014年03月16日 | これも自分あれも自分
「自分のこと、好きだもんね」って言われた

職場の人に


なんか、今年は

今までの自分のしてきたことへの

刈り取りの時期らしい


わたしは、自分のことばっかりです

自分の保身

自分だけ甘やかす

自分のわがままを通す

人のために動かない

人のために無理はしない


そんな自分への 原因と結果の法則に従い

その結果を 一気に 引き受けてる


だから

かなり 

辛い


けど 自分に あんまり無理させたくない

生きるだけで 精一杯

自分を生きるだけで いっぱいいっぱい

私には 小さな器があるが

その器も いまは たくさんのカケがあって

ヒビが入って


入るものが なくて

いっぱい こぼれてる

 
私への愛をくださる人たちからの 愛さえも

受け取れないでいる


いまの自分

いまの、こんな状態の自分の結果が

こわいな。。。



だいじょうぶかな。

だいじょうぶ だよな。


さまざまなことを 乗り越えてきたはずだから

だいじょうぶなはず


逃げても だめだってわかってるけど

いまは 逃げさせてください。

鎮魂雪

2014年03月11日 | これも自分あれも自分
鎮魂するかのような 雪が


やわらかく やさしく 降っています

たくさん たくさんの 真っ白い雪が

上から 降りてきます



天国へ 突然旅立った 人々から


わたしたちは 大丈夫 と


言っているように 聴こえます


ありがとう と

泣いてしまいます




身体を愛する

2014年03月11日 | これも自分あれも自分
「身体を愛する」

「身体の部位、ひとつひとつに声をかけてあげる」

「病んでる身体の部位に、毎日声をかけ、ありがとうと感謝の気持ちを伝える」

こうすることで、病気を克服した方がいるって、ご存知ですか?

いま、私がしていること。

それは、顔にできたシミに、毎晩声をかけ、謝罪し、感謝している。

細胞に、「今まで皮膚を強くこすったり、ちゃんとガードしなかったりして、
粗末に扱ってごめんなさい。細胞さん、正常に戻ってください。ありがとうございます。」と。

始めて2週間くらい経ちましたが、徐々にシミは薄くなってきています。

身体を愛することは、自分を愛することにもつながるのかも。
自分自身の身体をいつくしむことは、とても大切なことなのだと感じる、

3.11だからこその、この思い。。です。

ありがとう、私の身体

「身体が“ノー”と言うとき」

2014年03月04日 | 観劇・読書・感想記
身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価
ガボール マテ
日本教文社


心の状態やストレスが、病と関わっているということが
だいぶ定着してきつつあります

先日通った整形外科や内科の掲示板にも、
「その腰痛、体が原因だけではない場合があります!」という広告が貼ってありました。

腰痛も、心やストレスと関係があるということを、書いてあったのです。


今年になって、この、心(精神)と身体の関係性や、病気や怪我などとの関係を書いた本を
読んでいます。

いま、読み始めたこの「身体がノーと言うとき」にも、
難病に罹った患者の、病状に合わせて対症療法している中で疑問を感じた筆者が、
治療途中で、患者の養育歴や、思考の癖、生き方、考え方などを聴いていく治療を始めた経緯が
書かれてありました。

「どうして、この方はこんなに疾患が、ひっきりなしに出てくるのだろう?」
「どうして、この方はこんなに控えめな笑顔をするのだろう?」

その疑問が、筆者の「患者の気持ちを聴く」治療へと導き、
そして、その結果として、人間の考え方や生き方が病いと関係するということに気づいたというのです。

抑圧し続けた感情。その感情は、もう心身とも必要ないという警告、サインとして、病いとして噴出するということ。


自分は、いったい今、どんな身体症状があるかなぁ?

考えると、ちょっと太ってきた? とか 太ってきた? とか、、、あれ、それくらいかなぁ。

その前は、怪我があったり、ものもらいがあったり。。。

それらにも、すべて意味があるのだということに気づかされ、
あらら、そういうサインだったのかも、と認識しました。

認識したら、気をつけようと思うようになりました。

心、穏やかにいることが大切なのだと思うようになりました。

心と身体は繋がっているんですねぇ。。。

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