ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

円形脱毛症

2006年12月21日 | 子ども
長女が、突然、円形脱毛症のような症状が、頭頂部に現れた。
長女には、まだ何も言っていない。
なんだか、お風呂の排水溝にたまっていた髪の毛の、異様な多さと、リビングに落ちてあった5本くらいの髪の毛の束を昨日見つけ、「私のかしら?」と不可思議に思っていた矢先のことだった。

ショック。

いろいろと調べてみると、3から4ヶ月まえに受けた衝撃的なことが原因だったり、子どもの場合アレルギー性皮膚炎の併発も考えられると書いてあった。が、長女にアレルギーは認められていない、と思う。だとしたら、やはりストレスなのだろうか?
転勤のせい?
親しかった友人と別れたから?
私の締め過ぎる子育てのせい?
環境の変化が原因?
8月に、私が体調が悪くなり、2週間普通ではなかったため?あの時、母が「ママがもっと悪くなったらどうするの!?」と叱っていたっけ・・。

原因を突き止めることは困難だ。なぜなら、円形脱毛症の原因そのものが突き止められていないからだ。こんなに世の中の医療が発達してるように見えても、まだまだ不明な分野のなんと多いことか。歯がゆい思いでパソコンに向かっている。

このまま治らないことのないよう、祈るばかりです。
とんだクリスマスプレゼント。
いや、私の、そして夫も含めた家族のあり方や、子育ての仕方を考え直すいいきっかけになった。
きっと、神様からのとっておきのプレゼントなのかもしれない。犠牲者である長女がかわいそうでならないが。
長女には言わないでおこうと思っている。幸い、明日で学校も冬休みに入り、土曜には実家へ帰省する予定だ。少しほっとする。
じっくりゆっくり、向き合っていこうと思う。

何か知っていること(治療法・病院情報・体験談等)があったら、教えてください。

時間の長さ

2006年12月17日 | 子ども
今日、サーヤの言葉。
「ママぁ、ひと月とかふた月のことをなんて言うの?」
「ん?ひと月、ふた月じゃないの?」
「やぁ、そうじゃなくって、まとめてなんて言うの?」
「んんん?1ヶ月2ヶ月ってことかな?」
「なんかさぁ、楽しいことがたくさんある日って、すんごく早く終わっちゃうんだよねぇ。つまんない時間はすんごく長く感じるのにねぇ。」
「ああ、そうだねぇ。不思議だよねぇ。時間の長さはおんなじ長さなのにねぇ。」
「サーヤさぁ、簡単な勉強の時の授業時間が、すんごく長く感じるんだよねぇ。早く早く!って思ってね。手を挙げても当ててくれないしさぁ。」
「そうなんだぁ。サーヤばっかり手挙げるから、当ててくれないんじゃない?」
「いやぁ、そうじゃないんだよねぇ。当てる人数が決まってるっていうか、サーヤの座ってるグループはあんまり当てられないんだよねぇ。」

他愛のない会話。
時間を気にせず、何らかの準備に追われることもなく、いらいらもしていない、夜の歯磨きのひととき。
こんななんでもない時間が、私にはとっても貴重に思えてしまう。
なんだか久しぶりにサーヤとこんな風に話す気がする。
大好きなサーヤ。
大切なサーヤ。
いつも怒ってばかりで、いつもイライラをぶつけてばかりで、いつも追い立ててばかりでごめんね。って、心のどこかで思う。
でもたぶん、明日の朝は、こんな反省は忘れて、きっと怒鳴っている。

死なないように生きる

2006年12月13日 | 子ども
エリーの幼稚園散策の一環として、数園見学に行く予定なのだが、今日はその中の某幼稚園へ行ってきた。
そこは、モンテッソーリ教育を取り入れているところだった。
上のサーヤが山口時代に通っていたこともあり、また、縦割り保育というところを探しているので、候補に上がったのだ。

先生にいろいろと園内を案内していただきながら、お話を聞いた。
エリーは、いろんな教材(木のおもちゃに似たものたち)を出してきては遊び、他の子がしているお絵かきを真似てみたりしながら、落ち着いて遊んでいた。モンテッソーリ教材を使っての時間は、ゆっくりと穏やかに過ぎていく。1時間は、あっという間だった。エリーは、まだ遊びたかった様子。
そして、終わりのあいさつの前に、紙芝居を読んでいただく。エリーも、みんなと並んで木の椅子に座り、微笑を浮かべながら聞いている。楽しそう・・。

その後、私は先生からのお話を聞くべく、その部屋に残ったのだが、エリーはすかさず隣の遊戯室に飛んでいき、初めて会ったはずの子どもたちと一緒に遊びだした。走って、笑って、ボールを蹴って。私とは離れた部屋なのに、ぜんぜん平気。なじんでいる様子に、安心した。先生と話している時、一瞬だけ窓から「ママー!」と呼んだ。そして、私の姿を確認するとすぐまたお友達の中へ戻っていってしまった。意外にも、すんなり入っているエリーの姿に、母の私が驚く。

そんな中、先生が今の子どもの教育の在り方や、社会についてお話くださる。いろいろと学んでいる様子と、私の常日頃に感じている子どもへの接し方・社会のあり方に共通することがあり、ほっとする。
その先生が言った言葉の中で、私が思わず涙を流してしまった言葉がある。
「これからの教育、子どもが死なないで生きていけるように。死なないように力をつけていく、そのことを教えてるのは大人の役目なんです。」
~死なないように生きるために~
なんて、悲しく、そして今を映す言葉だろう。
胸にじ~んときた。
鼻の奥につ~んときた。
だって、本当のことだね。
「命」の大切さを教えるのは当たり前のことなんだけど、その当たり前のことをもっと直接的な言葉をもって表さねばならなくなった社会。そのことに、私の心が震えたのだ。

教育も、食育も、環境も、温暖化も、核も、戦争も、モノ・カネ・ヒトも、
すべてはつながっている
すべては自分とつながっている
すべてはわが子に受け継がれていく

闘っています

2006年12月08日 | これも自分あれも自分
八戸に来ても、闘っています。
なにと??
自分と。
なんで??
私の行きたい方向に、通行止めポールが立てられるたびに。
悲しい??
うん、とっても。
じゃ、やめたら?人と違うことすること。
ううん、やめたら私じゃなくなる。
だったら、なんで泣くん?
悔しいから。
泣くほどのことかな?
ううん、たぶん泣くほどのことではないけど。
行きたい道に、見えてる道に、自分の目の前でいきなりドンッと通行止めポールを立てられたら、やっぱりショックでさ。
そんな大それたことを企画したの?
大それたことをしようとしたわけじゃないよ。
ただ、
みんなの子どもがどんな子どもたちなのかを知りたくて、
そんなみんなが集まる企画を持ち上げただけなんだけど。
ただ、
予防接種の副作用の説明をきちんと聞き、医師のせいや国のせいにしたくなくて、自分でしっかりと勉強して理解してから接種しようと思っただけなんだけど。
ただ、
同じクラスの子どもたちとそしてその保護者の方々とふれあう機会がほしかったし、どんな子どもと同じクラスなのかを知ることで不信感が解けるかと思っただけなんだけど。
ただ、
いろんな子どもたちに、いろんな大人がいることを知ってもらったり、心を許せる大人やお友達に、幅広く出会ってほしかっただけなんだけど。

すべて、却下。
すべて、闘い。
やんわりとへこむ私。
でも、立ち直りも早くって。次の一手を考える。
私のやり方に、きっと間違いが隠れている。
もっとスムーズに受け容れてもらえる方法があるはず。
右往左往。
暗中模索。
弱肉強食!?


ストレス発散!?

2006年12月05日 | これも自分あれも自分
八戸に来てから8ヶ月が過ぎた。
その間に行った美容室の数、4回。
行き過ぎでしょう。独身で、美を磨く時期はとうに過ぎたのに。
そんなに磨いても、その必要性はまったくの0なのに。

何か、むしゃくしゃしていたり、ストレスがたまっていたり、現状からどうにかして抜け出したい時、髪を切るのかもしれない。

とうとう、ここまで短くなってしまいました。
これ以上切るとなると、次は坊主かもしれませ~ん。

「長谷川京子にしてください!」
な~んて、そんな大それたことは言えませんでしたが、ビールのCMに出ていたハセキョウの髪型がとってもいい!と思ったので、そんな感じにしていただきました。
はぁ、これで美容室も行き納めかな。
だとしたら、次のストレス発散のアイテムを考えておかないといけないのか?
いやいや、もう逃げてばかりじゃダメなんじゃん?
でも、いやいや、でも、いやいや・・・
こんな調子の八戸生活。
結局、二の足を踏んで、結局時ばかりが過ぎていきます。

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