の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

王宮、そしてライ王のテラスへ

2015年07月26日 | カンボジア
南北300m、東西600mの周壁に囲まれた王宮跡の中心に「天上の宮殿」ピミアナカスがあります。
10世紀末にジャヤヴァルマン5世(第10代国王、在位969年~1000年頃)によって建立が開始され、11世紀のスールヤヴァルマン1世(第13代国王、在位1015年~1050年)によって現在の形になりました。
東向きのヒンドゥー神殿で底辺部の幅28m、奥行き35m、3層構造で最上段には回廊を巡らせ、中心に1基の祠堂が据えられています。
メール山(須弥山)を宮廷内に据え、王の儀式が執り行われました。
周達観の「真臘風土記」には、「ピミアナカスの塔の中には、カンボジアの主で9つ頭の大蛇の精が宿っており、王は毎晩、女性に化身した精と寝して交わらなければならなかった。一晩でも怠ると災いが起こる。」という伝説が記されています。
国王は、精力絶倫でなければ務まらなかったようです。
三島由紀夫は真臘風土記のこの一文をもとに戯曲「癩王のテラス」を書きました。

王宮の東塔門から入ります。

まぐさ石です。


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東塔門を真っ直ぐに進むと「ピミアナカス」に至ります。王宮はピミアナカスの西に建っていたようですが、1431年のアユタヤ軍の猛攻でアンコールは陥落し、徹底的に破壊されました。宝物も人もアユタヤへ持ち帰られました。
ピミアナカスの他には崩れた石材が散乱するだけです。



地上から眺めると、急な階段が天空へ延びているようです。

最上層の回廊です。

最上層の祠堂です。王は毎晩ここへ登ってきました。
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ピミアナカスの北に大小二つの沐浴場があります。男池、女池と呼ばれ、大きな男池の淵の石組には上段に男女の神像、水淵になる下段には魚やワニが彫られています。




















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王宮壁近くで発掘作業をしています。



発掘の責任者です。
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再び象のテラスへ戻って来ました。象のテラス北端は二重壁となっています。



5つ頭の馬です。



蓮華の上で踊るアプサラたちです。
















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象のテラスからライ王のテラスを見ます。テラスは高さ約6m、一辺25mで古い壁面を覆い隠すように新しい壁面が造られていましたが、1996年にフランス極東学院の修復で新旧の壁の間を通路となるよう工夫して修復されています。



テラスの上に祀られているライ王像です。オリジナルはプノンペンの国立博物館に安置されています。









内面の彫像です。




















象のテラス

2015年07月25日 | カンボジア
バイヨンの北門から出て、次に象のテラスを通り王宮跡へ向かいます。
象のテラスは王宮前を飾る高さ4m、長さ300mのテラスで、南北両端と中央部に凸型で広くなっています。中央テラスにはガルーダ、南北に延びるテラスの壁面には象がびっしりと彫り込まれています。
アンコールを占拠していたチャンパ軍から1181年に王都を奪還したジャヤヴァルマン7世はアンコール・トムの建造に着手します。
王はチャンパに進軍、チャンパを占領し勢力をインドシナ半島全土に広げます。
象のテラスは、度重なる出征の閲兵や凱旋軍が真東にある「勝利の門」から進んで来るのを迎える場所であったと言われていますが、真の目的は不明です。

バイヨンの北に大仏があり、参拝に地元の人もたくさん来ています。



王宮の南にウダヤディティヴァルマン2世(在位:1050年~」1066年)が建立した「パブオン」があります。楼門のデヴァターです。



彫が深くて豊満な乳房に表現されています。宝冠やスカートの腰位置、着付けがバイヨンのデヴァターと異なるのがよく分かります。時代が下がるにつれ、スカートの留め位置も下がってきます。


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象のテラスまで来ました。



象のテラスの東に12基の「プラサート・スール・プラット」が建っています。「綱渡りの踊り子の塔」と呼ばれ、正月に塔の間に綱を渡し、その上で踊り子に綱渡りをさせたそうです。
真臘風土記には裁判に利用されたと書かれているそうです。



半分土に埋まった屋根飾りには、仏陀像が残っています。バイヨンの屋根飾りの仏陀像は全て削り取られていました。

テラスから下りて、壁面の象の彫刻を見ます。







シンガポールから観光に来ているそうです。壁面の高さが分かるように記念撮影をお願いしました。



小象もいます。







この象はライオンと戦っています。











中央テラスの周りは、テラスを持ち上げるガルーダ像です。





天敵ナーガを踏みつけています。





顔はシンハです。ライオンとガルーダが一体化した「ガジャシンハ」です。



王宮の塔門です。

世界の中心メール山・バイヨン(2)

2015年07月23日 | カンボジア
「バイヨン」はクメール語で「美しい塔」の意味を持つ大乗仏教寺院として建立されました。三層構造で、第一層、第二層に回廊が配置され、第三層がテラスで、全高45mの観世音菩薩四面尊顔像の中央祠塔と回りに54基の観世音菩薩四面尊顔像が取り囲みます。
ヒンドゥー神殿と考えられていましたが、1933年のフランス極東学院の調査で中央祠塔の穴に捨てられた仏陀像が発見され、ジャヤヴァルマン7世の没後に王位を継承したジャヤヴァルマン8世によってヒンドゥー神殿に改造されたと考えられています。
化仏の削り取られた四面尊顔像や屋根飾りに彫刻された仏像が削られています。
写真の尊顔像の頭部にも化仏の削り取られたような痕が残っています。下の龕にも削った痕があります。

第二層の回廊から上を見ます。第二層目には16基の四面尊顔像の塔が建っています。



石柱に彫られた図柄です。アンコール・ワットにも酷似した文様があります。

第3層まで登って来ました。中央祠塔の周りに建つ四面尊顔像の塔群です。尊顔は、かつて194面あったといわれています。







中央祠塔です。



中央祠塔の窓から四面尊顔像を見ます。屋根上の菩提樹の葉形の屋根飾りに彫られた仏像が削り取られているのが分かります。


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第三層のデヴァターを集めてみました。
アンコール・ワット建立からおよそ30年後に始まった大建築です。デヴァターの様式もずいぶん雰囲気が変化しています。バイヨン様式です。



ずいぶん積石がずれています。







窓枠の下に彫られたアプサラです。

鼻が欠けていますが、魅力的なデヴァターです。




















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中央祠塔の周りを歩きます。











尊顔のアップです。

女性のような微笑をたたえた尊顔です。















北側の参道へ降りてきました。

次は王宮跡から象のテラスへむかいます。

世界の中心メール山・バイヨン(1)

2015年07月21日 | カンボジア

アンコール・トムの中心に建立されているバイヨンへ午前9時13分に到着しました。寺院正面の東参道から見ます。
クメール的宇宙観を踏襲した都市建設の中央に須弥山(メール山)を模したバイヨンを建立したといわれていますが、東参道から眺める塔堂はまるで峻険な岩山です。

周達観の真臘風土記によると、彼が訪れた1296年の塔門の四面仏は黄金で覆われていたそうですが、バイヨンも黄金で輝いていたことでしょう。

参道には獅子像、ナーガに乗るガルーダが配されています。



ナーガに乗るガルーダです。



チケットをチェックしていた女性です。







女神アプサラが迎えてくれます。アンコール・ワット同様に門柱や屋根を支える柱、壁面などいたるところに半裸の女神や踊り子が彫られています。神々の求めだったのか、王の望みだったのでしょうか。













第一回廊です。屋根の崩れ落ちた回廊は南北140m、東西160m、高さ約10mあります。壁面は全面を浮彫で埋め尽くし、3段に区切られた上段から遠景、中景、近景表わしています。

壁面彫刻のメイン・テーマは、チャンパ軍との戦闘です。
写真の図はチャンパ軍との戦いに赴くクメール軍の行進です。

象に乗るのはクメールの将軍です。

髪型から中国人の軍隊だといわれています。
他の場面にも中国人がたくさん登場しますが、この時代には戦闘部隊を組織し、他国との戦に参加するほどアンコールに根を下ろしていたようです。



再びクメール人の隊列になります。

水牛供犠の図です。現在でも南ラオスのモン・クメール族の先祖の霊を供養するために行われる儀式です。
ピマーイ国立博物館に展示されているまぐさ石にも水牛供犠の彫刻がありました。



森の中の戦闘場面です。左の槍を振り上げ、矢を射んとしているのがチャンパ軍です。チャンパの兵士は兜をかぶっています。

応戦するクメール軍です。

軍隊の後ろには村人たちが兵站部隊として続きます。

牛車の篭に食糧が積まれています。

女性の持っているカメが兵士の尻に噛みつきました。兵士は驚いて振り返ります。こんなユーモラスな場面もあります。右には酒瓶を開け、飲み始めた連中がいます。

戦闘の後方では、竹串にカエルか肉をはさみこんだり、豚を茹でたりと食事の用意をしています。



塔頂の四面仏を仰ぎ見ます。

土木工事の現場です。石を削ったり、ハンマーで木を打ち付けています。









蓮の花の上で踊るアプラスです。







南側壁面の中段はトンレサップの湖上戦です。クメールの水軍が進みます。

チャンパの水軍です。

チャンパ兵のかぶる兜、または日除けの笠です。

両軍が戦闘に入るのを水の中で見守るワニです。落ちてくる獲物を待っています。

両軍が戦闘に入ります。チャンパ兵は舟から落ちていきます。

ワニに喰われるチャンパ兵です。



左側のクメール人と右側の中国人が闘鶏をしています。後ろで胴元が賭け金を入れる壺を持っています。

次は闘犬です。当時の風俗がよく分かります。



この辺りは未完成です。アンコール・ワットの回廊の彫刻や壁面の女神にも未完成部分がたくさんあります。
施主である王が崩御すると建設工事は終わるようです。


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南北70m、東西80mの第二回廊です。





第二回廊の女神たちです。









塔の上に登っていきます。四面仏を間近で拝みます。

まぐさ石です。

アンコール・トムへ詣でる

2015年07月19日 | カンボジア

アンコール・ワットの日の出を見た後、一旦ホテルに戻り朝食をとり、午前8時にアンコール・トム(タイではナコーン・トム)へ向かいます。
アンコール・ワットの参道正門前から真北に6km進むと、一辺が3kmの正方形をした都城、アンコール・トムの南大門に到着します。

アンコール・ワットを建立した第18代国王スールヤヴァルマン2世はクメール王国の領土を過去最大まで拡大しますが、王の没後に国内は覇権争いで分裂、衰退します。
1177年チャンパ軍がメコン川を遡ってトンレサップ湖からアンコール都城を急襲し、占拠します。王国にとって初めての敗戦です。
1181年、第21代国王ジャヤヴァルマン7世はトンレサップ湖の水上戦でチャンパ軍を撃退します。

仏教に帰依するジャヤヴァルマン7世は周囲12kmの環濠、高さ8mの城壁に囲まれた都城を建設します。

都城の中心にバイヨン寺院を配し、東西南北に城門があります。

南大門へは幅130mの濠にかかる橋を歩いて渡ります。
橋の欄干の右側には54体の阿修羅の石像、左側には神々の石像が54体並び、蛇王ヴァスキーを抱かえています。クメール族の大好きな乳海撹拌の立体像です。



神々の隊列です。









阿修羅の隊列です。











後方は高さ8mの都城壁です。



高さ23mの塔門です。頂部には蓮華の冠を付けた四面仏尊顔が東西南北を見ています。観世音菩薩のお顔だといわれています。









城門の左右には三つ頭の象に乗るインドラ神が門衛神として彫刻されています。





塔門を越えてきました。






都城壁の上から濠に架かる橋を見ます。





あと1.5kmでバイヨン寺院です。