の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

アンコール・ワット(王者の行進)

2015年08月01日 | カンボジア
南側回廊へ入ります。「スールヤヴァルマン2世の行軍」です。
玉座に坐り、下知を与えるスールヤヴァルマン2世の容貌は、ヴィシュヌ神やクリシュナ神と同じ顔に表現されています。偉大な王で現人神である王にかざされるたくさんの天蓋は神と同じ地位を示しています。
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■行軍は東へ進みます。西から回廊を進むと行軍の後ろから見ることになりますが、ここでは行軍の先頭から写真掲示します。
行軍の先頭は「シャーム人」、刻文では「コック川のシャム人」と解釈できるそうです。チェンセーンのタイ族です。東南アジアの歴史資料に登場する最古のタイ族です。

タイ族の戦装束で、腰にジャスミンの花房を腰蓑のようにぶら下げています。

次に「ラヴォ」(ロブリー)の軍団です。







象の上で剣を振り上げるのは、高官ナラバティンドラヴァルマン将軍です。

護衛兵たちは帽子に特別のエンブレムを付けています。





クメールの精鋭たちの行進です。





玉座に坐し、威厳を込めて指示するスールヤヴァルマン2世です。王の回りには天蓋、旗幟、団扇が林立します。



ガルーダに乗り矢を射るヴィシュヌ神です。


アンコール・ワット(マハーバーラタ)

2015年08月01日 | カンボジア
十字回廊を一巡りして第一回廊へ戻ります。西壁面の南側はインド古代叙事詩「マハーバーラタ」だ描かれています。
「マハーバータラ」は「バタラ族の物語」で全18巻、10万詩節からなる物語で、聖書の4倍の長さに相当する長編です。





天井の彫刻です。

クル国の王族であった、パーンダヴァ王家とカウラヴァ王家のクルクシェートラの戦いを描写しています。

左から進軍するのはカウラヴァ軍です。



戦馬の上で剣と盾を持ち檄を飛ばすカラヴァ軍の将軍です。この戦いでカラヴァ王家は全滅します。

前線が迫ってきました。兵卒は戦闘に備えています。



中央で右から進撃してくるパーンダヴァ軍と戦闘が始まります。





右から進軍するパーンダヴァ軍です。


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西南隅の塔門内へ入ります。



西南隅の塔門内の壁面彫刻です。








アンコール・ワット(十字回廊の女神)

2015年07月30日 | カンボジア
第一回廊から十字回廊へ入ります。出迎えてくれるのは豊満な肉体のデヴァターたちです。



3人のデヴァターです。左に立っているデヴァターは隣のデヴァターの腰に手を回しています。人間くさい仕種の女神たちです。



こちらは肩に手を回すデヴァターです。



腕を組むデヴァターです。





十字回廊で囲まれた四カ所には沐浴の池があります。

疑似窓です。壁面の単調を避けるために連子格子を付けた疑似窓がクメール建築では多用されます。







天井は全面彫刻で蓮華が彫られ彩色されています。

梁や柱にも彩色が残っています。
アンコールは新興国アユタヤの再三の侵略で1431年頃に放棄され、王都はカンボジア東部を転々とします。
スールヤヴァルマン2世の墳墓となっていたアンコール・ワットは、その後、残された住民によって上座仏教寺院として生き残ります。
ビルマの台頭でアユタヤの覇権が弱まり、カンボジアはアンコールを奪還します。
アン・チャン1世(在位:1516年~1566年)は密林に中でアンコール・トムを発見、覆っている樹木を伐採し、一時期王宮とします。1546年から1564年にわたってアンコール・ワットを修復、未完成であった第一回廊の北壁、東壁北側の浮彫りを完成させます。
アンコール・ワット境内に上座仏教寺院が建立され、各地から仏教徒の訪れる聖地となります。

彩色は創建時のものか、修復されたものかは不明です。



天井に木造建築のように張り巡らした砂岩製の棟木です。石屋根の荷重を分散させる構造です。
蓮華の彩色もきれいに残っています。

墨で黒く塗り潰されて判読困難ですが、よく見ると漢字が目につきます。
寛永9年(1632年)に天竺の「祇園精舎」と信じて参詣した日本人武士「森本右近太夫」の落書きです。寛永9年正月に熊本から父の菩提を弔い、老母の後世を祈るため一千里の海を渡って参詣、4体の仏像を奉納したことが墨書でしたためられています。他にも同時代の日本人による落書きが14か所あるようです。
当時の日本でも、御朱印船貿易によってアンコール・ワットは知られていたようです。
徳川家光は鎖国令を出す前に長崎の通詞「島野兼了」をオランダ船に便乗させ、祇園精舎の調査に派遣しています。水戸の彰考館に祇園精舎図として、島野兼了の下絵を基に描かれたアンコール・ワットの見取り図が残されています。





こちらのデヴァターは腰に手を回しています。












アンコール・ワット(ラーマーヤナ)

2015年07月29日 | カンボジア

第一回廊の内壁は高さ8m、東西200m、南北180mで、全面に神々と王の物語が隙間なく彫刻されています。
創建時のアンコールワットは寺院全体が金箔で彩色され、熱帯の太陽のもとで燦然と輝いていました。回廊の浮彫りは漆で下地処理をして金箔が貼られていたようです。部分的に彩色の痕も残っています。
一篇が90mから100mになる巨大な絵巻物は上下3段に分かれ、上から遠景、中景、近景となっています。西壁面にはインド古代の二大叙事詩のラーマーヤナ、マハーバーラタの躍動感がある場面が展開しています。

西壁面の北隅は神馬スールヤに乗るクリシュナです。









西壁面の北側には長さ90mになる、ラーマーヤナの絵巻物が展開します。

ラーマーヤナの猿軍と羅刹軍の戦闘場面です。



猿軍と羅刹軍の乱闘場面です。

天井の蓮華模様です。





猿軍の兵士が羅刹軍の兵士の顔面に噛み付いています。
羅刹軍は剣や槍、棍棒で武装していますが、猿軍の武器は木の枝や石で、最大の攻撃は鋭い歯での噛みつき、鋭い爪の引っ掻きです。

猿将ハヌマーンの肩に乗り、矢を射るラーマ王子。左はラーマ王子の弟ラクシュマナとヴィビーシャナが立っています。

ラーマ王子の容貌は、創建者スールヤヴァルマン2世です。



羅刹王ラーヴァナが乗った戦車の登場です。戦車を牽くのは2頭の獅子馬です。

羅刹王ラーヴァナの拡大です。10の頭、20本の腕、4本足を持っています。



羅刹軍の武将ナラーンタカと一騎打ちする猿軍の武将アンガダです。



ここを通り抜ける人たちが乳房を撫でていくため、手の脂で乳房が異様に黒光りしています。



アプサラの線刻です。十字回廊に寄ります。

アンコール・ワット(西塔門の女神)

2015年07月27日 | カンボジア
昼食です。生身のデヴァターのお出迎えです。






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午後3時に再びアンコール・ワットへやって来ました。

幅190mの環濠の向こうにアンコール・ワットの伽藍が見えます。環濠は南北1300m、東西1500mあり、広大な敷地の中に三重の回廊、高さ65mの中央祠塔と4基の祠塔が建つ巨大寺院です。



西塔門です。塔頂部は崩壊しています。
左右に延びる歩廊の屋根を支える石柱がきれいに並んでいます。



参道の入り口はテラスになって、四方には獅子像が鎮座、左右をナーガの欄干が囲んでいます。

190mの環濠に架かる石橋を渡ります。参道入り口から主祠塔の建つ本殿まで540mです。

西塔門です。



西塔門の破風はマカラから誕生するナーガに縁どられたマハーバーラタの戦闘場面です。

ピラスターに彫られたデバターは彫が浅く風化がかなり進んでいます。



西塔門の南側に祀られている4mのヴィシュヌ神です。現在は土着神として、参拝る人が絶えないようです。

西塔門の女神たちです。アンコール・ワットのデヴァターは、他の寺院と異なり壁龕に立っていません。壁面全体を削り浮彫にしています。また、アンコール・ワットのデヴァターは薄絹のスタートを纏っているため脚線がはっきりしています。





有名な西塔門内側の歯を見せて笑うデヴァターです。





欄干のナーガの背面に彫られた模様です。

参道を進みます。





北側の経蔵です。



聖池に浮かぶ祠堂です。





聖池の横の木陰で休憩です。お巡りさんも木陰で休息中です。

観光客が捨てたヤシの実から、果肉を一生懸命にとるお猿さんです。



北口から第一回廊へ入っていきます。