サンカローク初期の焼締陶で61号窯陶器と呼ばれる壷です。
壷口の左右にも小さな口があります。本品は高さ25cm、口径12.5cm、胴径18.5cm、底径9.5cmの小型部類になります。
さて何に使ったよく分らない器型ですが、よく似たものは結構現存しています(下写真)。
壷は本来モノを貯蔵するためですが、この形状は貯蔵には不向きで、結局祭器というカテゴリーで落ち着いています。
当時のスコータイは多民族の集まりであったが、祭器であれば、どの民族がどんな祭礼に使ったのだろうか。
61号窯でしか作られておらず、その後のサワンカロークの焼き物にはみられず、他の地域の古窯にも存在しません。また、その前の時代も知りません。
私の知識不足もありますが、現在の寺院や祭事でも本品の影響を受け継いだと思われる器は見たことがありません。
そんな訳の分らん焼き物をアップしてみました。
下は博物館展示の類似品です。
本体回りの小さな口は3本から6本まで一定ではなく、器体の大きさによるようです。
サンカローク博物館所蔵
61号窯保存学習センター所蔵
61号窯保存学習センター所蔵
個人所蔵
次はミャンマーの灰釉と緑釉の掛け分け瓶(?)です。全高16.7cm、口径5.4cm、胴径11.3cm、底径6.8cmで肩部に六カ所の穴があります。形状からすれば液体を入れ、穴に何かを挿したのでしょうか。
私の想像力が乏しく花しか思い浮かびませんが、呼称は花器、それとも祭器....よく分らないものは祭器と呼べば片づきそうです。
次ぎもミャンマーの無釉陶で表面がよく研磨された陶器です。
口が二つ有って水差かと考えたのですが、この形状では両方の口から水が溢れ出て、水差の機能を果たしません。
なんだか不思議な形状です。
斜めに付いた口が黒くなっているので、そこから灯心を挿してランプとして使われたのかとも思います。
参考に水差です。こんな形でないと水は注げません。
上はサンカロークの鉄絵面取水差です。注水口と取手は補修しています。
下はカロンのは白磁水差ですが、酸化炎で黄変しています。ワンヌアのバーンワンモン村の住民が窯跡から掘り出した品です。高台の一部は欠けていますが、注ぎ口がよくも無事だったと思います。
* * * * *
器ではありませんが、これは何だと思う品の最後です。
シーサチャナライのパヤーン窯の物原から回収された残欠です。
足のようにも見えますが、こってりと流れた厚めの釉薬が気になります、どう見ても緑釉です。
タイで緑釉を用いたのはカロンだけと言うのが定説ですが、シーサチャナライでも生産、若しくはトライしていたのでしょうか。
上の釉薬の塊とよく似た青磁釉の残欠があったのでアップしておきます。
シーサチャナライの北東8kmにあるバーン モーン スーン村のサトウキビ畑でトラクターが掘り起こした品で青磁小壷や褐釉小壷などもあったそうです。
仏像の足のようにも見えますが、足の下の台座部分は焼成中に破損しています。
両足のつま先幅は5.6cm、前後長は6.8cmとなっています。
まだまだ、何が出てくるか分かりませんね。そこが面白いところでありますが。
多くの小さな口がついている壺は日本にも存在します。それは古墳時代の須恵器で多嘴壺(たしこ)と呼ばれています。紹介の61号窯保存学習センター所蔵の壺と多嘴壺はそっくりです。
61号窯保存学習センターは見学可能でしょうか。可能であれば所在地を教示願います。
多嘴壷というのですか、早速ネットで検索してきました。61号窯と時代が近い宋時代のは、嘴と呼ぶに相応しい形状をしていますが、器型の関連性は疑問です。
世界に街角さんがおっしゃる通り、古墳時代から奈良時代の須恵器子持壷、多嘴壷とそっくりなのが驚きです。
タイの多嘴壷は山岳墳墓の副葬品として極々短期間の製作だったようですが、実に興味深い壷です。