ランパーン北端の町ワン ヌアの中心街が国道120号線と国道1035線の三叉路を中心に広がっています。
三叉路の東にワン川に沿って北上する道路があります。約6km進むとワン モン村があり、裏山にはタオ コン ワン ヌア (タイ語で窯をタオと言います) と呼ばれる古窯址があります。(ここに至るまでも数カ所の古窯址は報告されています)
この一帯から出土する古陶器も一括してカロン陶と呼ばれます。
さて、三叉路の南にも古窯址が二ヶ所知られており、ワン ヌア古窯、ワン ポン古窯と呼ばれています。開窯はカロン古窯から少し遅れ、主に青磁を生産していました。
玉縁を輪花にし、見込みの立ち上がりに鎬文を施したワン ヌア窯の典型的な青磁盤です。
ワン ポン窯の直径32.5cmの青磁鎬文大盤です。
ワン ヌア古窯址とワンポン古窯址は数キロしか離れておらず、ワン川の支流メー プアン川を挟んだ小山の両斜面に存在します。両古窯とも青磁の生産をしていますが、タイの骨董商は明確に分類しています。
本品は32.5cmの大きな盤ですが薄作りで手取は非常に軽いです。薄い付け高台で2cmの高さがあり、高台内にも施釉されています。
ワン ポン窯のトチンで、二つのトチンを重ねて使っています。上辺の径は14cm、底径は16cmで高さ35.5cmです。
以下、いずれもワン ポン古窯のトチンです。ワン ヌア古窯のトチンもおそらく同じ形態でしょう。
ハマは表裏にリング状のひっつき痕が残っており、壷の積上げに使われたようです。
ワン ヌアの窯址です。発掘調査では11基の窯址が報告されていますが、実際にはもっとたくさんの窯があったのでしょう。
メー プアン川からすぐに登り道となっており、その両側のバナナ畑に窯址があります。道路も窯跡を潰して作られたのでしょう、雨で流れた土の中からたくさんの陶片がのぞいています。
ワン ポン古窯址です。ワン ヌア古窯の東、対面の小山の中腹あたりにあります。
窯址は見当たりませんが、窯壁だったであろう焼成された粘度や陶片が散乱していることからそれと分ります。
製品は西にあるメー プアン川より丘陵の東にあるワン川へ運ぶのが便利な位置になるのかもしれません。
つぎに両窯址で拾った陶片です。ワン ヌア古窯は青磁のみですが、ワン ポン古窯址には褐釉の壷がありました。また、褐釉の左上の陶片は胎土、釉薬の状態から見てパヤオ古窯の陶片です。
ワン ヌア窯址写真に青磁刻花日輪文陶片を掲示していますが、パヤオにも多様な線彫りの日輪文の皿が残っています。この地にもパヤオ青磁刻花日輪文や印花文が伝わっていた証拠です。また、真ん中に押されている花は古代から神聖な花とされていたドーク・ピクン(和名:ミサキノハナ)で、スコータイ、シーサチャナライをはじめ殆どの北方窯で使われた模様です。
参考にウィアン ブア文化センターに展示されている刻花日輪文を添付しておきます。
三叉路の東にワン川に沿って北上する道路があります。約6km進むとワン モン村があり、裏山にはタオ コン ワン ヌア (タイ語で窯をタオと言います) と呼ばれる古窯址があります。(ここに至るまでも数カ所の古窯址は報告されています)
この一帯から出土する古陶器も一括してカロン陶と呼ばれます。
さて、三叉路の南にも古窯址が二ヶ所知られており、ワン ヌア古窯、ワン ポン古窯と呼ばれています。開窯はカロン古窯から少し遅れ、主に青磁を生産していました。
玉縁を輪花にし、見込みの立ち上がりに鎬文を施したワン ヌア窯の典型的な青磁盤です。
ワン ポン窯の直径32.5cmの青磁鎬文大盤です。
ワン ヌア古窯址とワンポン古窯址は数キロしか離れておらず、ワン川の支流メー プアン川を挟んだ小山の両斜面に存在します。両古窯とも青磁の生産をしていますが、タイの骨董商は明確に分類しています。
本品は32.5cmの大きな盤ですが薄作りで手取は非常に軽いです。薄い付け高台で2cmの高さがあり、高台内にも施釉されています。
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ワン ポン窯のトチンで、二つのトチンを重ねて使っています。上辺の径は14cm、底径は16cmで高さ35.5cmです。
以下、いずれもワン ポン古窯のトチンです。ワン ヌア古窯のトチンもおそらく同じ形態でしょう。
ハマは表裏にリング状のひっつき痕が残っており、壷の積上げに使われたようです。
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ワン ヌアの窯址です。発掘調査では11基の窯址が報告されていますが、実際にはもっとたくさんの窯があったのでしょう。
メー プアン川からすぐに登り道となっており、その両側のバナナ畑に窯址があります。道路も窯跡を潰して作られたのでしょう、雨で流れた土の中からたくさんの陶片がのぞいています。
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ワン ポン古窯址です。ワン ヌア古窯の東、対面の小山の中腹あたりにあります。
窯址は見当たりませんが、窯壁だったであろう焼成された粘度や陶片が散乱していることからそれと分ります。
製品は西にあるメー プアン川より丘陵の東にあるワン川へ運ぶのが便利な位置になるのかもしれません。
つぎに両窯址で拾った陶片です。ワン ヌア古窯は青磁のみですが、ワン ポン古窯址には褐釉の壷がありました。また、褐釉の左上の陶片は胎土、釉薬の状態から見てパヤオ古窯の陶片です。
ワン ヌア窯址写真に青磁刻花日輪文陶片を掲示していますが、パヤオにも多様な線彫りの日輪文の皿が残っています。この地にもパヤオ青磁刻花日輪文や印花文が伝わっていた証拠です。また、真ん中に押されている花は古代から神聖な花とされていたドーク・ピクン(和名:ミサキノハナ)で、スコータイ、シーサチャナライをはじめ殆どの北方窯で使われた模様です。
参考にウィアン ブア文化センターに展示されている刻花日輪文を添付しておきます。
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