の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ワット・シー・コーム・カム

2015年12月17日 | パヤオ

昼食後に訪れたのはパヤオ湖に沿ってドン・サナーム通りを1km程北西にある古刹「ワット・シー・コーム・カム」です。
この寺院の隣にある博物館「パヤオ文化展示会館」には何度か訪れていますが、いつも古窯めぐりの途中に立ち寄るだけで、「ワット・シー・コーム・カム」に参拝する余裕がありませんでした。今回はパヤオに2泊するのでご本尊の「プラ・チャオ・トン・ルアン」に参拝です。
写真は外周壁の山門を内側から写しています。左の人たちは、お供えの線香、ろうそく、金箔と供花の蓮の蕾を求める人たちです。

本堂の回廊の入り口左の虎です。左前脚の下には鹿が押さえつけられて餌食になっているのか、それともじゃれ合っているのか? また、写真に入っていませんが、虎の尻尾を猿が引っ張っています。

虎の後方にはシンハの像です。虎の尻尾を引っ張る猿が写っています。

右はヒョウとウサギ、尻尾にはやはり猿がいます。

回廊門をくぐると左手に仏足石が置かれています。



やはり左手角、仏足石の前方に祀られた仏陀像です。


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ろうそくの向こう、回廊にはラーンナーの覇権下となったパヤオ王国時代の仏像が安置されています。











砂岩に彫られた切れ長の目は、ワット・リーの軒下で見た仏陀のお顔と共通するラーンナー様式、あるいはパヤオ独特のお顔です。




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本堂に安置されているラーンナーを代表する「プラ・チャオ・トン・ルアン」または「プラ・チャオ・オング・ルアン」と呼ばれる触地印の仏像です。
膝部の幅は14m、高さ18mの大きな仏像です。

昔々、お釈迦さまと出会ったナーガ王は、お釈迦さまに強く心を惹かれて忠実な仏教信者となります。やがてナーガ王は仏陀像の建立を熱望します。
ナーガ王はパヤオ湖畔に住む老夫婦に黄金を渡して、建立を依頼します。そうして「プラ・チャオ・トン・ルアン」1491年から33年の歳月を要して1524年に完成します。ラーンナー文化が最後に華開いたケーオ王(在位:1495年~1525年)の治世です。



回廊に安置された奉納仏像です。



回廊で織物をする人たちです。





チェンセーン様式の本堂外観です。

湖畔の池に立つお堂です。布薩堂でしょうか、扉は閉まっていました。



お堂の裏から望むパヤオ湖です。




ワット・シー・ウモーン・カム

2015年12月14日 | パヤオ
ワット・リーからパホンヨーティン通り(国道1号線)を越えタークワン通りをパヤオ湖畔へ出る丘陵の途中に「ワット・シー・ウモーン・カム」という寺院の道路標識がありました。とりあえず参拝です。

大きなパヤ・ナークが迎えてくれます。

階段の左右には巨象がいます。巨象がつくる日陰で語り合う二人です。



黄金色の仏塔です。

もう一基、白い仏塔があります。

礼拝堂内の写真です。

ご本尊に参拝です。


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昼食はパヤオ湖畔の「ルア・サムラン」というお店に入りました。



お店から見るパヤオ湖です。





「プラー・ニン・トート・クラティアム」(イズミタイのニンニク揚げ)です。
「プラー・ニン」という魚は、繁殖力が旺盛で成長が早く、屋台では腹部に香草を詰め、塩をまぶして焼いているのをよく見かけます。タイの大衆魚で、白身にしょうゆをかけて食べると日本人にもおいしくいただけるかと思います。
このプラー・ニンの邦名は姿が鯛に似ていることから「イズミタイ」と呼ばれるアフリカ原産の「ナイル・ティラピア」です。
天皇陛下が、皇太子時代の1964年に訪泰された時、タイ国民の食糧状況をお知りになり、翌1965年にプミポン国王にナイル・テラピアを贈られたのが始まりで、現在では大繁殖しタイの大衆魚になっています。「ニン」というのは皇太子明仁親王の「仁」からつけられた名前だと言われています。

ワット・リー

2015年12月13日 | パヤオ
次に訪れたのは、パヤオ王国時代の都市跡ウィアン・パヤオのワット・リーです。
2015年2月14日にアップした「カロンの磚仏」でワット・リーを紹介しています。参照してください。

ワット・リーのHP「watleephayao」に掲載されていた地図です。

ラーンナーの統治下の1495年、ラーンナー王ティローカラート王(在位:1441年~1487年)によって建立が始まり、ヨートチエンラーイ王(在位:1487年~1497年)の1495年完成します。しかし、ラーンナーがビルマによって占領された1558年から1774年の間に荒廃してしまいます。
ちなみに、伝承では314年の建立だと言われています。
現在の寺院は1920年から15年かかって再建されました。



正方形の基壇の上に3段の八角形の基壇を持つ14層の仏塔です。

創建当時の石仏です。上半身は壊れて無くなっています。

仏塔の周りに安置された仏陀像です。

こちらの仏陀は宝冠を被っています。
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ワット・リーの敷地内にあるウィアン・パヤオ・ワット・リー博物館です。

ウィアン・パヤオ・ワット・リー博物館の軒下はウィアン・パヤオで出土した仏像で埋め尽くされています。

砂岩で出来た大小さまざまな仏陀像です。







ほとんどが頭部をなくしている象の彫像です。

こちらは寺院装飾です。

隣り合う建物の軒下にも出土品が置かれています。



仏頭もたくさん転がっています。
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ウィアン・パヤオ・ワット・リー博物館の内部です。展示品の一部は、2015年2月14日にアップした「カロンの磚仏」を参照してください。





頭部の折れた水晶の仏陀です。

磚仏です。







仏頭も展示されています。

パヤオ独特のお顔です。


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2階の展示室です。パヤオで焼かれた陶器が中心に展示されています。

「カロンの磚仏」に乗せなかったパヤオ窯の象の青磁印花象文皿です。
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布薩堂の結界石です。新しいものですが意匠の異なる仏陀が彫られています。









結界石で囲まれた布薩堂ですが、内部は僧侶の居所のような雰囲気でした。

パヤオの朝

2015年12月04日 | パヤオ

昨夜投宿したのは、ロープ・ウィアン・パトゥクローン通りを湖岸から1kmほどにある「パヤオ・ノーザン・レイク・ホテル」です。
一泊600バーツ、朝食付きで850バーツですが、残念ながら朝食は外でとったほうが良かったと後悔しました。
6階建ての5階部屋で建屋の半分が屋上となっています。その屋上から市街を見ます。霧がかかっていますが、道路の先がパヤオ湖です。午前6時55分に撮影しました。

パタオ・ノーザン・レイク・ホテルです。

ホテルで朝食を済まし、午前9時30分にパヤオ湖へ来ました。湖上の朝霧で対岸は見えません。

ポー・クン・ガムムアン・モニュメントにも早朝からたくさんの人出です。


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湖の周りを散策しながら、お正月用に植えられた花を写します。

まずは八重咲のツツジの花です。

タチアオイです。



日本でもお馴染みのダリアの花です。



パイナップル科のクズマニアの仲間たちです。







ランの花もたくさん飾られています。
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新年はナーンで迎える予定で、パヤオには2泊だけですが、パヤオ湖に上がる新年の花火も面白そうです。

迎春のステージです。

湖岸で時間を過ごし午前10時26分、霧も晴れてきました。

夕暮れのパヤオ湖畔

2015年12月02日 | パヤオ
パヤオは1,000mを超える険しい山々に囲まれた盆地です。タイで3番目の大きさで17k㎡のパヤオ湖があり、豊富な水が農、漁業を育みました。
1094年にラーオ族のチョームタム王によって部族国家「プーカムヤーオ」がウィアン・ナムタオ【2015年2月14日の「カロンの磚仏」に掲載の地図参照】に建設されます。
1258年、ガムムアン王が王位に就いて大国となります。スコータイ王国のラームカムヘーン王、ラーンナー王国のマンラーイ王と同盟を結び、ナーンのカーオ王国を侵略、首都プアを占拠し最大の版図を築きます。しかし、ガムムアン王の没後は周辺諸国の侵攻を受け、1338年にはラーンナー王国の属国となります。その後ビルマ軍に占領されてパヤオの町は廃墟となります。





陽が西のプッサラカム山に沈んでいきます。

湖岸は正月を迎える準備完了です。

これも正月飾りのようです。



まだ時間が早くて人出が少ないですが、OTOPや食べ物やがたくさん出ています。



パヤオ湖のパヤ・ナークがライトアップされました。







ガムムアン王が祀られています。とりあえず参拝です。



無病息災を祈って熱気球の一種、コムローイかあちこちで揚げられています。大晦日には空いっぱいに揚げられます。