懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

忘れじの君~ユリア・リプニツカヤの「ロミオとジュリエット」

2018-10-15 00:43:42 | Weblog
フィギュアスケート女子、ジュニアで、ロシアのトルソワの4回転ルッツのニュースで、ついつい、トルソワや、他の有力ロシア・ジュニアの選手群を見て。

トルソワは、目の上側に入れた強いアイラインのせいか、「少女は完成された悪魔である」という格言を思い出すほど、不思議な存在感で魅力に満ちているけれど。

一見、目を引くかな~、と思った、アリーナ・コストルナヤ・・・。

他の演目は良かったんだけど。

まだ若いんだし…、と言えばそうだけど。

「ロミオとジュリエット」の音楽らしき演目を動画で見てしまい・・・・。

彼女がやると、フィギュアスケーターが、「ロミオとジュリエット」をやっとるな、という以上でも以下でもない、いかに~も、フイギュアスケートの域を出ない演技なのだけれど。

何となく違和感を感じて、もう引退した、ユリア・リプニツカヤの「ロミオとジュリエット」の2014年GPFの演技を見返した。

他のフィギュアスケーターがやると、ミスキャスト感漂う、「・・ジュリエット」なのだけど。(あまり安易にやらないでほしいな、って思う。この演目は、似合わない人はやるべきじゃない。ジュリエットは、そんじょそこらの女の子じゃなく、特別なヒロインなのだから。フィギュアの欠点だけど、誰でも彼でもやれる役じゃない。)

コストルナヤとは、別の競技を見ているよう。

他の選手がジュリエットをやると、たんに、アスリートが「R&J」の音楽かけて、跳んで回ってるに過ぎないように見える。

リプニツカヤは、最初のポーズからして、非凡。
何か、彼女が込めた意味があるのだろう。

ジュリエットが、そこにいる!としか思えない。

偽物と本物の差、みたいなものを、どうしようもなく見せつけられてしまう。

音楽との一体感、格調高い悲劇性、

どちらかと言えば、客体になれる、映画女優的な資質を持っていた。

彼女が滑ると、どうして、この音楽がこうも心に響くのか。

類まれな、映画女優系の芸術性、その滑りで、音楽をより豊かに素晴らしく響かせる才能・・・。

ジャンプのミスで転んだとき、起き上がる時の痛々しい仕草さえ、フィギュアスケートの概念を超えて、無垢な少女の悲劇を感じさせてやまない、

フィギュアスケートの枠を超えた、素晴らしい才能。

フィギュアスケート界において、おそらく空前絶後の、スクリーンヒロイン的な才能を感じさせてやまなかった、
未完の大器、大成を待たずして、リンクを去った、在りし日のユリア・リプニツカヤ・・・。

こんな話で、コストルナヤのファンが怒りそうだが、

私的には、引退したリプニツカヤの特異な才能を、振り返る契機となった、ロシアジュニア女子の活躍報道なのだった。

引退しても、忘れられない艶姿。こういうのが、やはり演技を見る醍醐味なのだろうと思った。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする