住職の独り言

~ご縁に触れて~

分別

2013年07月16日 | Weblog

「分別をわきまえた人」

と言ったら、道理の分かる人と理解するするが、

辞書には

心が外界を思いはかること。

理性で物事の善悪・道理を区別してわきまえること。

とある。

 

仏教では「分別」は良い意味では使われない。

物事をわきまえようとしても、

自分の視点でしか見られない自分がおり、

煩悩の色眼鏡で物事を見た分別であります。

 

「無分別」が真実なる姿を示していると言われる。

 

こんな問答もある。

文殊菩薩「(無分別である)空を分別することが出来るでしょうか」

維摩居士「分別だって空ですよ」

文殊菩薩「空という真実は分別できないものだ」

…しかし「分別できない」ということも「分別」の一つに過ぎません」

維摩居士「分別も、無分別も、いずれも空なのだ」

 

ある人は三回さとったと言う。

でも、「悟る」と言うこと自体すでに「分別の世界」ですから…

コメント
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