気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

あぁ、北海道

2014-03-27 02:16:52 | 日記




 よくYoutubeで北海道の動画を見る。
見ているとまるで旅をしている気持になる。数分もするとストレスや不安などぶっ飛んでしまう。
僕の最良の精神安定剤である。

 僕の北海道へのあこがれは尋常なものではない。
子供のころ、両親に連れられて海水浴に行くときの心境、ちょうどあの心境にそのまま戻れる。
こういう場所を自分が住んでいる国の中に持っているということは幸運だと思う。

 実は2年ぐらい前、原発事故で四国に避難していたのだが、ちょうどその時伯父が逝去して、葬儀出席のため急きょ北海道に帰っていた。
その時の僕は、なにをおもったかどうせ原発事故で関東にはもう住めないと思っていたので、北海道永住を思い立ち、ネットでいろいろ探してある酪農牧場で働こうとしていた。
履歴書も送り、牧場主と何回か電話で話をしてみた。

 ただ、現実というのはやはり甘くなかった。
酪農牧場で働くということは、まぁほぼ住込みであり休みも月1~2日、労働時間は朝5時ぐらいから、昼間は3時間ぐらい休めるみたいだが、夜の9時ぐらいまでということだった。
労働時間の長さはなんとか耐えられると思ったが、月に休みが1~2日というのを聞いて、あかんなと思った。

 こういう労働環境だと、休みの日は体力の回復に使うのに精いっぱいだから、ほぼ体感的には寝ているときと、食事をしているとき以外はずっと1年中働いているという感覚になるだろうと想像がついた。
 これはやられるなと思った、精神が。半年もやればうつ病になり、それ以上続ければともすると精神に異常をきたすだろうと本当に思った。

 案の定、その牧場主の話では、今まで雇った人はほぼ全員、短くて1か月、長くても1年でやめていったという。
彼の牧場で残っているのは女性だけで、男は根性がない、と憤っていた。
 この話を聞いてなおさらだめだと思った。

 こんな労働条件では、よほどその仕事に愛着か、使命感のようなものを持っているか、他にやれる仕事がないかでないと続けられるはずはない。
特に今どきの若者なら、みんな時給制、8時間労働で働くことになれているし、週休は2日が当たり前になっている。
 自分の身入りを減らしてでも、充分な人数を雇って長く働かせるようにするのが「今どきの」経営者なら当たり前だと思った。
それを単純に根性論ですり替えるのは、時代錯誤も甚だしい。

 まぁ、そんなことも考えたくらいだから、ほんとうに北海道が好きである。
いまでも札幌近郊あたりなら住みたいと思うこともある。
 帯広には僕の唯一の親族(精神的な意味での)ともいえる叔父がまだいる。今年はぜひ彼に会いに行くつもりである。

 北海道、子供のころ雪原の上でそりをただ何時間も押し続けて遊んでいた。
あぁ、北海道、あぁ、True life
 
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう春か

2014-03-23 22:54:14 | 日記
 もう春が来ているんですね。世間では。
毎年残酷なほど正確にめぐってくる季節。
 僕は今現在は健康だが、やはり5~6年ぐらい前から季節の変化に敏感になっている。

 それは、自分の残り時間というものを考えさせるからだろう。
すでに折り返し地点はとっくに過ぎている。僕の家系は長寿な人が多いので、僕も先祖のように運が良ければまだ時間はたくさん残っているはず。
 にもかかわらず、怖いのだ、この世を去るのが。

 桜の木の下にはたくさんの死体が埋まっている、とかなんとか書いたのは短編の名手、梶井基次郎だった。
最初この言葉の意味がよくわからなかったが、今ならなんとなくわかるような気もする

 しかしそれにしてもなぜこの世を去るのが怖いのか。

 たとえうまれかわったとしても、もう2度と●●●●としての生はないだろう。
この感受性も、この性格(たとえどうしようもない部分を多く持っていても)も、この容姿(平均と比較してひどく醜くはないにせよ、美しくもないもの)も、この記憶(素晴らしいものをたくさん持っているにしても、今すぐ生ごみとして捨てたいものもたくさんある)もやはり愛しいのか?

 Bashar(詳しくはYoutubeを参照)によれば、死というのは、ちょうど夢から覚めた時のような感覚だという。
夢を見ているときのあのボヤ~ンとしたとりとめのない意識から、夢から覚めてはっきりものが見え、周りの環境をはっきり知覚できる覚醒した時のような意識になるという。
つまりは、生きている今が夢のようなものであり、死後が覚醒した状態だということである。

 しかし、そうだとしても死に対する恐怖は消えやしない。
自分が死というものを経験した後も、「継続した自分として存在しているのか」…ここなのではないか、ポイントは。
 自我というものへの限りない執着。

 超自然現象といわれるものもいくつか経験し、ニューエイジ(精神世界)といわれる分野の知識もたぶん普通の人よりは多く持っている僕でも、死が存在の消滅ではないということを信じきれない。
 自我というものへの限りなき執着。まさにこの執着の強烈さが転生を生み出す力となっているのかもしれない、2500年前ブッダが語ったように。

 自我…じぶん…おれ…あたし………おれのもの…あたしのもの…おれのものじゃない…あたしのものじゃない……ある…ない…ある…ない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災から3年

2014-03-11 17:39:26 | 日記
 今日でちょうどあの大震災から3年がたつ。
まだ3年しかたってないのかという思いの方が強い。
 あの時僕はちょうど横浜で地下鉄から降りた直後だった。

 地震の多い関東に40年近く住んでいる僕もあれほどの揺れは経験したことがない。
しばらくたつとすべての乗客が電車から降り地上に向かった。電気も落ちて非常灯だけになった。
 その時僕は足元がおぼつかないお年寄りの手を取って階段をゆっくりと上がっていた。天井が落ちるのではないかという恐怖があり、内心一刻も早く地上に出たかったが、この人をここにおいて逃げるわけにはいかないという思いが僕を押しとどめた。

 今だからそう思うのではなくあの時確かに「もしかしたらここで死ぬかもしれないな」と思った。
そして今でも信じにくいことだが、もしそうなったらそれはそれで俺の運命だ、とにかくこの人を置いて逃げるわけにはいかない、と思っていた。
もしあの時本当に屋根が落ちてきていたら、今頃僕はここでブログなど書いてはいなかっただろう。厚いコンクリートの下敷きになっていたかもしれない。
 自分のどこにそんな強さがあるのか、今思っても分からない。とにかくあのときはそう思っていた。

 先日柳田邦夫氏の本を読んでいたら、震災の時のことが書かれていて、やはり仲間を逃がして一人だけ残り亡くなった消防団の人、役所で同僚が屋上に避難した後も町内に拡声器を通じて避難を呼びかけ続けて、最後は津波にのまれて亡くなった女性のこと、津波が来ているのを承知で老夫婦のもとに向かっていき亡くなった訪問看護師の方のことなどがつづられていた。
 僕がもしあの震災を経験しなかったら、それらの人を深く尊敬しつつも、同時にそれらの人は特別にやさしく、特別に責任感が強く、特別に強い人なんだろう、と思っただろう。

 だが今、状況の深刻さは違っていても、やはりほぼ同じ時刻に同じように命の危険を感じていたものとして、彼らは特別な人々なのではなくごく普通の人々だったのではないか、と思えてくる。柳田氏も、人は他者のために命まで投げだせる存在なのだ、と書いていた。
 自分という人間を省みても、また他者というものを表面的に見ても、この柳田氏の定義は僕を混乱させる。
しかし、自分でも体験してしまっている以上それは事実なのだと認めざるを得ない。

 それは事実なのだ。
あの大震災を共に経験しつつも、僕はたまたま東北地方からほんの数百キロ離れていたということだけで生き残り、東北にいた人々はたまたまそこに住んでいたというだけでなくなった方もいる。このことの不思議さは上記の体験をしている僕には、何か背中の方から冷たいもので撫でられるような恐怖とともに感じられてくる。
ちょっと状況や立場がずれていたら僕も彼らと同じ運命をたどっていたかもしれないのだ。

 あの後、電車での帰宅は無理と判断し、すぐにレンタカーを借りて(それも最後の2台で、しかももう一つのほうはカーナビがついてない方だった、普段運転しない僕はカーナビがない場合帰宅はできなかっただろう)果てしなく続く渋滞の中帰路につき家に着いたのは7時間後だった。途中、渋滞のため橋の上に長く停車したまま、余震のたびにゆっくりと揺れる車内でなんども背筋が寒くなことは今でも忘れない。

 死は僕をかすって行った、という感覚がある。
たまたまなのか、それともまだやることがあるからなのか、僕には知る由もない。
ただそれは、人間というものの不可知さ、というものだけを僕の中に残していった。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログを変えてみて

2014-03-07 19:26:57 | 日記
 古いブログはもう流れてしまった。
いいものばかりではなく、その時その時のネガティブな感情なども結構入っていて、正直流したかったという気持ちのほうが強い。
 人生もこんなに簡単に流せたらどんなにいいか、特に悪いところだけを(笑)

 「我ことにおいて後悔せず」
といったのは宮本武蔵らしいが、こう強く言い切るその強さの中にかえって流しきれない何かを抱えていたように思えもする。
 しかし、後悔することがなければ、人間旅の恥はかき捨て的な生き方になり、一生を通して何も成長しないのではないか。
永遠の世界ではそれを学ぶことはできない。なぜなら永遠ならばそもそも何をやってもやり直しがきくのだから、心から悔い改めるということはできないだろう。
そのために一度やったことは決して取り返しのつかない有限なこの世に生まれてくるのだろう。

 人生を流すときは生まれ変わりの時か。
ただ、生まれ変わって別の肉体に宿ったとしても、過去世のカルマは引きずらなければならない。
そして、今の人生で解決できなかったことを解決するために、再び同じようなシチュエーションに遭遇するという。

 ならば、できるだけ今世で解決しておき来世に持ち込む宿題は少なくしたいと思うのが人情だろう。
そのためにも意味のある悔恨、後悔は「今」誠実にしておかなければならないと思う。
 また同じシチュエーションなんて御免こうむりたい(笑)

 このブログをどうするか、それはすべて僕次第。すべて僕の心がそのままうつりあがってくる。
ある意味ブログとはその人の自画像、しかもその時その時で変化する自画像だ。
 せめて、というよりも、目指すところとして、レンブラント晩年の自画像のような境地にしたいと思うのは、身の程知らずだろうか。


 
 
 

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014-03-05 05:45:13 | 日記




たらちねの 母がかたみと あさゆふに 佐渡が島べを うち見つるかな   良寛

 僕が敬愛する良寛の歌である。
佐渡そのものを「かたみ」とみて読んでいる。良寛の母は佐渡出身である。

 人がこの世に生まれてきて唯一「確かな」人間と人間の関係は母と子の関係だと思う。
今ふと僕の横で寝ている「ゆみ」(飼い犬)のことを思った。
 この子にとって母は僕しかないのだと。

 この世に母ほどありがたいものはない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする