職場で出会った同じ信仰を持つ友にあれ以来ずっと週末は教会施設へ車で送迎してもらっている。
数回送迎してもらっているうちに、彼のことがさらにわかるようになってきた。
一言で言うと気質的に僕に結構近い人だなということである。
付き合っているうちに安心感を覚える。
人間というのはひとりひとり違うものだなということを改めて感じさせられる。
例えば、ほかの人といるときはなにか僕とその人との間にみえないゼラチン状の透明な緩衝材のようなものがあるような気がするのだが、彼と一緒にいるときはほとんどダイレクトに彼の存在を感じる。
たぶんそれはものの感じ方、事象に対する反応の仕方がとても似ていることからくるのだろうと思う。
以前ぼくの親友もそういう人だったが、彼の場合はもっとreserveしていた。つまり自分をストレートに外に出すことをためらう人だった。そのため僕は常にあるもどかしさを覚えていた。
今回であった人はその親友とは違い、もっとダイレクトに自分をさらけ出す。
たぶんだが、僕と今回であった彼との間は、ちょうど僕とその親友との関係が真逆になった感じともいえるかもしない。
なぜなら僕は今回であった彼ほど自分をさらけ出さないからだ。だからもしかすると彼は僕に対してもどかしさを感じているかもしれない。
ただそれもそれほど大きな問題にはならないだろう。
というのも、ぼくも普通の一般的な人々と比べると、かなり本当の自分をさらけ出す傾向が強い人間だからだ。
そのため、ときどき相手が「引く」のを感じるほどである。そこで引いたまま表に出てこない人とは僕はほんとうの友にはなれない。
ただのギャグでお互いに苦笑しながら終わるだけである。そしておたがいに自分を演じ続けていくだけである。
今回印象に残ったのは、彼が現在の恋人からあなたの一番大事にしているものは何か教えてほしいと問われたときに答えた言葉だ。
彼は「真心」と答えたという。その彼女は外国の人なのでその意味が分からず、彼は英語でSincerityだといったらしい。
真心と聞いたときは一瞬さすがの僕もこそばゆいものを感じたが、しかし、Sincerityという言葉を聞いたとき、ぼくは一挙に彼に対する親近感が高まっていった。
もし僕も自分の恋人に同じことを問われれば、英語で言えばsincerity、日本語で言えば「誠実さ」と答えるだろうから。
そしてたとえ一瞬でもこそばゆい感じがした自分が恥ずかしくなった。長生きはしたくないものである(笑)長く生きている間に世間ずれしてしまった自分を認めざるを得なかったからだ。
ということで、僕はほんとうにひさしぶりにきらりとひかる「玉」をこの玉石混交の人間界で見つけたような気がする、ということを書いておきたい。
さて、話は変わって今度かなり大掛かりなフェルメール展が予定されている。
彼の現在確認されている全作品35点のうち、なんと8点が日本に来るのだ!
さすがに大混雑が予想されているらしく、美術展にしては珍しく(というか僕の経験では初めて)の予約制になっている。
これは見逃すわけにはいかない、見逃すと一生後悔するのは目に見えているので、早速きのう予約した。
フェルメール展公式サイト
さて、また話は変わって昨日ひさしぶりに病気で長く療養していた友とあった。
ゆみをバックに入れていたのでそんなに長く話はできなかったが、とにかく再会できてよかった。
彼は結核になっていたのだが、今でもそういう病気があるのかとおもった。
今の結核は抗生物質に対する耐性ができてしまっているらしく、なかなか治らないという話は聞いていた。
結核菌が遺伝子的に変異して抗生物質に対する耐性を持ってしまうのだという。
がん細胞が抗がん剤に対して遺伝的に変異して耐性を持ってしまうのと同じである。
これも対症療法にたよりきる現代人の悪弊が生み出した結果であろう。
症状が消えると「治った」と勘違いして、薬をやめまた以前の生活、食習慣に戻る。そしてその当然の結果としてまた病気が再発する…
症状が消えてもその病気を生み出した本質(生活、食習慣)を変えなければ、病気の根本的な治癒はあり得ない、という東洋医学では当たり前のことを理解できない(あるいは理解したくない)ことから生まれる悲劇である。
それにしても抗生物質に対してさえ「変異」して耐性を獲得してしまうウイルスやがん細胞というものを考えるとき、なにか自然界というものの「神秘性」というものを感じざるを得ない。
つまり、そこになにがしかの「知的な意思」のようなものが働いているとしか思えないのだ。そういうものの存在を仮定しなければ、これほどの複雑でしかもある指向性を持った変化というものは起こりえないと思うからだ。ちょうど、生物の進化というものを考えているときに感じるえもいわれぬ神秘性と同じである。
逆に言えば、その「知的な意思」というものを自分に有利なように働かせるということが、健康を維持するうえで絶対に大切なのだということが分かる。