「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」プロモ映像
最近結構いい映画を見た。
題名から不思議系の映画でなおかつ恋愛映画ということが予想できたので、これを選んだ。
世間で人気のある映画とか、そういうまわりの評判を全く気にせずに自分でよさそうな映画を直感で選ぶと、結構いい映画にあたることが多い。
これもあまりヒットしているという話は聞かないので、たぶんそういうカテゴリーに入る映画だと思う。
ストーリーはあまり詳しく書くと営業に差し支えるので、簡単にしか書かない。
要は男女が出合ってから「別れ」までを描くものなのだが、男が普通に過去から未来にわたって流れる時間の中を生きているのに対して、
女の方は未来から過去に向かって流れる時間の中を生きている。
その二人が5年おきに二人の時間が交差する30日間だけ、時を共有できるという設定になっている。
男にとっては普通なのだが、女にとっては最初にクライマックスがあって、徐々に距離感が離れていく、ということになる。
そのため、男にとっては初めての経験が、女にとってはなにもかもが「最後」の経験になる。
男が交際を申し込んだとき、女はそれを受け入れるのだがなぜかそのとき涙を流す。その理由は今述べたものだ。
それ以外にも女は事あるごとに涙を見せる。すべての出来事は女にとっては最後の出来事だからだ。男が交際を申し込んだとき、「私は相当涙もろいよ」と女が言ったわけにはそういう背景があった。
不審に思いはじめた男を見て、女はすべてを告白する。
そういう定めにおかれた二人のため、当然結婚はできない。一緒に過ごせるのは5年おきの30日間だけ。
男は二人をめぐる悲劇的な運命を知り、絶望する。
でもそんな男を見て女は素晴らしいことを言う。
わたしたちは輪の端と端が結ばれている(5年おきに再会するため)一つの命なのよ。
悲劇的にみえて、実は二人はむしろ幸運だったのではないか。
なぜならそれだけこの二人の共有する時間は、貴重で濃密なものであり、普通のカップルがすごす30年、いやその質の純度の高さではそれをはるかにしのぐものだろう。
この映画でははっきりとはかたられていないが、ひとつの生を越えた輪廻のようなものさえ暗示されているような気が僕にはした。それなら愛の永遠性までが暗示されていることになる。
これはむしろ至高の幸福を表現した映画ではないか。
これも明確には表現されていないが、いまニューエイジ系の人々の間ではひろくしれわたっている「パラレルワールド」の影響さえ受けているのではないかと思わせるストーリーである。
3次元的な時空(過去から未来にのみ流れる『一つだけの』次元世界)の制約を受けていることは、たしかにそれゆえの悲劇性がある。だが、その制約があることでかえって人間の経験、体験を濃密で、場合によっては、これ以上にないほど貴重なものにもする。
僕らははたして大切な人々と過ごす時間を、ほんとうに真剣に「体験」しつくしているのだろうか。
見終わって、しばらく心地いい余韻が続いた。
なかなかおすすめの映画だ。
最近結構いい映画を見た。
題名から不思議系の映画でなおかつ恋愛映画ということが予想できたので、これを選んだ。
世間で人気のある映画とか、そういうまわりの評判を全く気にせずに自分でよさそうな映画を直感で選ぶと、結構いい映画にあたることが多い。
これもあまりヒットしているという話は聞かないので、たぶんそういうカテゴリーに入る映画だと思う。
ストーリーはあまり詳しく書くと営業に差し支えるので、簡単にしか書かない。
要は男女が出合ってから「別れ」までを描くものなのだが、男が普通に過去から未来にわたって流れる時間の中を生きているのに対して、
女の方は未来から過去に向かって流れる時間の中を生きている。
その二人が5年おきに二人の時間が交差する30日間だけ、時を共有できるという設定になっている。
男にとっては普通なのだが、女にとっては最初にクライマックスがあって、徐々に距離感が離れていく、ということになる。
そのため、男にとっては初めての経験が、女にとってはなにもかもが「最後」の経験になる。
男が交際を申し込んだとき、女はそれを受け入れるのだがなぜかそのとき涙を流す。その理由は今述べたものだ。
それ以外にも女は事あるごとに涙を見せる。すべての出来事は女にとっては最後の出来事だからだ。男が交際を申し込んだとき、「私は相当涙もろいよ」と女が言ったわけにはそういう背景があった。
不審に思いはじめた男を見て、女はすべてを告白する。
そういう定めにおかれた二人のため、当然結婚はできない。一緒に過ごせるのは5年おきの30日間だけ。
男は二人をめぐる悲劇的な運命を知り、絶望する。
でもそんな男を見て女は素晴らしいことを言う。
わたしたちは輪の端と端が結ばれている(5年おきに再会するため)一つの命なのよ。
悲劇的にみえて、実は二人はむしろ幸運だったのではないか。
なぜならそれだけこの二人の共有する時間は、貴重で濃密なものであり、普通のカップルがすごす30年、いやその質の純度の高さではそれをはるかにしのぐものだろう。
この映画でははっきりとはかたられていないが、ひとつの生を越えた輪廻のようなものさえ暗示されているような気が僕にはした。それなら愛の永遠性までが暗示されていることになる。
これはむしろ至高の幸福を表現した映画ではないか。
これも明確には表現されていないが、いまニューエイジ系の人々の間ではひろくしれわたっている「パラレルワールド」の影響さえ受けているのではないかと思わせるストーリーである。
3次元的な時空(過去から未来にのみ流れる『一つだけの』次元世界)の制約を受けていることは、たしかにそれゆえの悲劇性がある。だが、その制約があることでかえって人間の経験、体験を濃密で、場合によっては、これ以上にないほど貴重なものにもする。
僕らははたして大切な人々と過ごす時間を、ほんとうに真剣に「体験」しつくしているのだろうか。
見終わって、しばらく心地いい余韻が続いた。
なかなかおすすめの映画だ。