気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

写真三昧

2017-06-26 10:42:05 | 日記



 ここのところ完全に写真三昧生活をしている。
熱しやすく冷めやすい僕らしいが、この写真熱がいつまで続くのか自分でも興味がある。

 さて、写真というと今年はニコン100周年だそうだ。
何を隠そう(別に隠してないが)ぼくはニコンユーザーである。

 10年前、初めて写真を趣味として本格的にやろうと決めて最初に買ったのがニコンだった。
ニコンとキャノンのどちらかにしようと思っていて、最後の決め手になったのが、性能でも巷の評判でもなく、カメラを持った時の感触と、シャッター音だ。

 あまりにも安直な決め方だと思うかもしれない。
ただ、写真を本格的にやるには一日に何時間もカメラを持ち続け、何百回とシャッターを切らなければならない。
もし、これらの要素(感触とシャッター音)に違和感を感じるようだと写真を撮っているのが最後には苦痛になるだろう。

 それと僕は物であっても使っている間に愛着を感じていくタイプである。
なので、この二つの要素は僕にとってとても重要だった。


 僕の愛機ニコンD90もいまでは話にならないくらいの旧型機になった。
好きだったシャッター音も今の最新のカメラに比べると野暮ったく聞こえる。
とくにきのうカメラ店でソニーの最新機α9に触ったのだが、あまりのハイテクとかっこいいシャッター音に驚愕した。

 ただ、最も注目しなければいけないのは、ミラーレスになったとか、いかに短い時間の間に何回連続シャッターが取れるようになったとか、オートフォーカスでどれほど速いものでも追跡できるようになったかではなく、肝心要のどれだけ精密緻密かつ解像度の高い画像が取れるようになったか、であろう。
 もっとも、今は撮った写真を印刷していないので、違いが感じられないが、これが印刷するとなると、俄然今のカメラのほうがきれいな写真になるかもしれない。
もしそうなら、そのときに新しいカメラを買うことを考えてもいい。





 実は僕は祖父の使っていたカメラを持っている。
祖父は明治生まれだが、写真が好きで自宅の蔵に自分の暗室を作りそこで現像までしていた人である。
そのカメラは今でも使おうと思えば使える。

 ここがデジタルカメラとは違う昔のカメラの良さで、機械さえ壊れていなければ数十年、もしかしたら数百年後も使えるかもしれない。

 それにしても、カメラ関係の映像などを見ていると、カメラ産業は日本の独壇場である。
かつてはカメラというとドイツだったが、その後日本が追いつきいまや海外製のカメラはかろうじてドイツのライカなどがみられる程度になった。

 江戸時代からの動くからくり人形や、日本刀、工芸品の精密さ、完成度の高さなどを見れば、そうなるのは当然といえば当然かもしれない。
車も日産が経営破たんさえしなければ、ドイツメーカーをのぞいてやはりこの分野でも日本がダントツのトップクラスだっただろう。
その意味でも日産が事実上の経営破たんしルノーに身売りをしたのは返す返すも残念だった。

 いまアメリカのテスラなどという新興メーカーが注目を集めているが、日本はこの分野でもおそらく負けはしないだろう。
どれほどアメリカ人がソフトウェアを作る才能にたけていても、最後の最後に車の優劣を決めるのはエンジンだからだ。





 この分野(エンジン)では日本とドイツが他の追随を許さないはずである。
ただ、将来車に自動運転が大幅に取り入れられるようになった時、車を動かすソフトウェアの部分はたぶんアメリカの会社が作り出し、ほぼ市場を独占するだろうと思う。
現在のWindowsやカメラの画像ソフトを作っているAdobe社のような存在がアメリカから出てくるだろう。

 ソフトウェアを作る能力ではどういうわけかアメリカ人が際立って秀でている。
これは民族性や文化と深くかかわっているのはほぼ間違いない。
 ソフトウェアを作るには、全くゼロの状態から全く新しい、いわば『新世界』を創造し構築していくのと同じだから。

 どうしても頭脳の優秀さとか、精密さとか、緻密さとかいうものとは、全然別種の知性が必要になるからだろう。

 特に人工知能とかロボットとかの分野に世間の注目が集まっているが、やがてロボットなどが人間以上の知性と運動能力を獲得していくのもまずまちがいない。
ビル・ゲイツなどはそのことの危険性にに警鐘を鳴らしているが、まぁ、たぶんこれは避けようがないと思う。

 しかしだ、政治に関して言えば、人間ではなくロボットに統治させた方がよほどいいのではないかと思わないでもない。
なぜなら、ロボットはきっちりと法にのっとった政治、司法を実行していくだろうからだ。

 今の政権のように、憲法を恣意的に歪曲、拡大して、そもそもそこまでやったら憲法なんてなくてもいいのではないか、と思うほどのめちゃくちゃなことはやらないだろう。
ロボットに統治を任せていれば、憲法を変えたければきっちりと法にのっとって改憲の手続きを踏む事は間違いない。
もちろん、人工知能が進化しすぎて、ロボットが『自我』を持ってしまったら…それはビル・ゲイツ氏の言うような悪夢になる可能性はある。

 まぁそれまで僕は生きていないだろうけど。
 


   
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最近印象に残ったこと。

2017-06-12 13:59:17 | 音楽
2017 JUNIOR BACH FESTIVAL, Concert 4, Part 1



 例によってユーチューブを見ていると、ある一つの演奏が印象に残った。
この映像の最初にひいている女の子(薄紫のワンピースをきている)の演奏だ。

 何よりも感じるのは音の扱いがとても丁寧であること。
そして彼女が鍵盤に触るや否や紡ぎだされてくる音のずば抜けた美しさ。

 何が美しいかというと、その肌触りである。
強いてたとえれば良質の絹のような肌触り…これはバッハの音楽からのみ感じるもので…あぁ、これを言葉で表現できたら…どんなにいいかと思う。
とにかく彼女の演奏からはそれがはっきりと感じられる。

 音の透徹した深い透明度。
そしてその彼女の演奏から想像できる彼女の誠実な人柄とそのふかい感受性。

 こういう才能のある人というのは、以外にも世の中にはある程度いると思う。
でも、その中でも芽が出る(芽が出るというのはそれでプロとしてやっていけるようになる人)はその中のさらにさらにわずかの人でしかない。

 それはたぶん才能の問題ではなく、言ってしまえば運命の問題だろう。
そういうと単なる運の問題ではない、努力の部分が大きいという人がいるだろう。
しかし、努力できるというのも才能であり、その才能を授かっているか否かというのも広い意味の運命である。

 ただ、たとえプロとしてやっていけなくても、これだけのたぐいまれな才能を持って生まれてきているというだけでもそのひとは間違いなく幸運である。
なぜならその人には大部分の人には聞こえない音が聞こえ、大部分の人には見えない、言葉による表現をはるかに超えた美しい音の織物を紡ぎ、それを身に纏うことができるからである。
ある意味それだけでも「神に選ばれし人」と言っても言い過ぎではないだろう。

 この子の将来がどうなるかは僕にはわからない。
ただ一つだけ言えることは、人生のどんな時も、順風の時も逆風の時にも、古の偉大な芸術家たちが創造した美の織物が彼女を包み、このある意味非常にシャープな現実を逃れて、言語を絶する美の桃源郷へといざなってくれるだろうと云う事だ。

 ほんの数分の演奏だったが、この演奏が僕をどれだけ幸せにしてくれたかということは…やはり言葉を越えている。




 最後に前回出した写真を画像加工ソフトを使って加工してみた。
どうだろう…確かに少しは良くなったかもしれない。ただ、あまり明るくしすぎると「妖しい」雰囲気がうすれ、それと同調するように醸し出している荘厳な雰囲気も同時に薄れていく。
あまりに周りを明るくしすぎると、この写真の持ち味である明と暗のコントラスト、そしてそれが生み出すあたかも仏が忽然と降臨し御堂として具現化したかのような神秘性が失われていく...
なかなか難しい。

 今回画像加工ソフトというものを初めて使ってみたが、なかなか面白い。
Photoshop lightroomというのが巷では評価が高いみたいだが、購入しようかなと思っている。
ちなみにこれはニコンユーザーなら無料で使えるCapture Nx-dというものを使って行った。
見よう見まねでいじってみたが、本当に面白い。



 
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とりあえず

2017-06-05 16:43:19 | 日記


 昨日は久しぶりに鎌倉撮影紀行とあいなった。
写真を撮りながら、あぁ自分は写真を撮ることが好きなのだと思った。

 今回は自分でも自信が持てる写真が取れた。
僕はあらゆることにおいて自信というものを持てないタイプの人間なので、こういう気持ちになるのはかなり稀である。

 全体的な色調が暗いとか、屋根の部分が白とびしているとかいう批判もあるとは思うが、そもそもそういう価値基準から見られたら
この写真はそもそもの存在意義を失ってしまう。
 
 あまりにもいいので、どこかのコンテストに出そうかなと思うぐらいである(笑)

 お寺の境内というところはやはり場所が場所だけあって、非常にいい「気」が流れている。
今回これほどいい気を感じたのはこのお寺と妙本寺だった。やはり俗世間とは何かが違う。

 とりあえず、写真だけをアップしておきたかった。

 
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