気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

文学的美しさ

2018-02-26 10:44:49 | 文学
Probable Realities & The Miracle of Your Being 9



 セスというアメリカのニューエイジムーブメントを起こした高次の存在の言葉。
僕は最近、この存在の考え方によく触れている。

 この存在について詳しく説明すると、大変な時間を費やしてしまうのでここでは省きます。
彼の声を録音したものがユーチューブにたくさんアップされていて、最近暇があればよく聞いている。

 その中で、今回紹介したものは格別、文学的で美しいと思った。
この高次の存在たちは、70年代から現在にかけて非常に頻繁に、この僕らの次元に降りてきて影響を与え続けている。
第2次大戦前までさかのぼればシルバーバーチやエドガー・ケイシー、70年代ではバーソロミュー、今現在リアルタイムで有名なものとしてはバシャール、エイブラハムなどがいる。

 その中で他の存在にはほとんど見られず、このセスだけに特徴的なものがある種の文学的、詩的な美しさだ。
僕は自己の気質、好みも相まって、彼のこの部分にとても惹かれる。

You are all one, but you are all yourselves, and unique.
And out of that uniqueness, and that individuality, the oneness is.1分15秒あたりから

 僕などが訳すとこの英文で表現された美しさが損なわれてしまうことを恐れるが、しいて訳せば、
『あなた方はすべて一である。しかし同時に、あなた方は二人とないあなた方自身であり、唯一無二の存在である。そして、その多くのユニークさと、多くの唯一無二の個性が、Oneness「大いなる一」を形成しているのである。』

 ここに訳文を乗せたものの、できれば訳文を読まずにこの英文のまま味わってみてほしい。なぜかというと、「英文でしか表現しえない独特の味わい」というものがあるからだ。
 どうだろう、この英文に表現された深み、美しさ、流れるようなリズム…
先ほど挙げた高次の存在たちに共通するのは、非常に高度な知性であり、もちろんセスもそれを兼ね備えている。ただ、その彼らの中でこのセスだけが唯一といっていいくらい、ここに見られるようなある種の文学的美しさを持っていると僕は感じる。



 
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Be logical guys!

2018-02-12 11:57:48 | 日記


 最近、指の痛みとこわばりに悩まされていた。
以前、ベニシアのビデオで彼女が長時間の登山の後の足の痛みをとるためによもぎ温泉に入るとまたたくまに、Miraculouslyという言葉を彼女は使っていた、その痛みが取れたという話をしていたのを思い出した。

 なのでよもぎ温泉には行けないけど、よもぎでお茶を作ってそこに手を浸してみたらもしかしたらこの痛みが改善するのではないかと思い、早速試してみた。
すると、ほんとうにかなり痛みが引き、こわばりも解けた。明らかによもぎの薬効であることは間違いない。
 
 これも比較的最近、ある同僚と話をしていて、その人は疲れがひどいときはよくコンビニや薬局で売っている栄養ドリンクを飲むといっていた。
僕をよく知る人は僕がこう言うものを嫌うのをよく知っていると思う。
 僕がそこで(無駄であることを知りつつ《笑》)養命酒もいいですよ、といった。

 するとその人はこう答えた。
「それ効く?」
 「即効性はありませんよ」と僕は答えた。

 するとそのひとは何かわだかまったような表情を見せた。
栄養ドリンクなどには神経を興奮させるようなものが入っていると聞いているので、それはそういうものを飲めば「効いているように感じる」だろう。
それは「効いている」のではなく、ごまかしているのだ。
そもそも、副作用の恐れなく疲れがすぐに取れる薬があれば、それはノーベル賞ものだろう。

 もちろん、それが効いているのか、ごまかしているのかはその人にとっては問題ではなく、とにかく疲れを和らげてほしいということなのだろう。
ただ、その「ごまかし」の代償(つまり副作用)がどれほどのものになるかは、たぶん、考えていない(あるいは考えたくない)に違いない。
 
 疲れを和らげたければ、極度の疲れを感じるような生活習慣を変えなければいけない。
もし(経済的な問題その他で)それを変えられなければ、なるべく栄養価の高いたべもの、薬草(ハーブ)などのなるべく自然由来のものを習慣的にとって、
少々の疲れを我慢しなければならない。
 
 ところが大部分の人はこの我慢ということをしない。
なぜしないのか、それはたぶん疲れが取れるという楽が欲しいあまり、この「ごまかしの代償」の部分に、意識的にせよ無意識的にせよ、無知だからだろう。
 健康という、たぶんこの世でなによりも、最も大切な問題に関して彼らがこれほどまでに無関心、無頓着、ナイーブであるということにぼくはほんとうに驚く。

 電車やレストランで隣に座った人が自分の財布からお金を抜くのではないかとすぐにバッグの位置を変えるほどの猜疑心を抱く彼ら(つまりは人間一般)が、『なぜ』一介のよく知らない会社がつくる栄養ドリンクを、何の疑いもなく飲み続けるのか、僕には謎である。

 
 このことはどの分野についてもいえると思う。
疲労を少なくしたければ、食習慣を見直しながら、生活習慣を変えるしかない。
それができないから栄養ドリンクを飲む、というのは僕に言わせると、借金を返せないから別のところからさらに借金をする、というのと同じである。
その時はほっとするだろう、でも、そのあとにはさらなる地獄が待っている。

 大部分の人は、目先の楽がほしいために、この最も重要な部分から目をそらしている。
ほんとうの楽(生涯にわたる健康)を手に入れるための我慢ができない。

 残念だなぁ、という思いを抱きながら、僕は先の同僚の話を聞いていた。
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