気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

小食健康法その後

2016-09-21 11:52:16 | 日記

この写真は円覚寺の中でとったのだが、毎回行くたびに異なる生け花をディスプレイしている。正直、毎回このセンスのよさには驚きを隠せないでいる。


 小食健康法を本格的に試してから数か月がたつ。
おかげでかなりやせた。
 僕はとにかく甘いものやラーメンなどの食べ物がすきだった。

 この健康法を始めてからラーメンはほとんど食べなくなり、大好きなつけ麺だけは月に2~3回に抑え、アイスクリームや生クリームを含む食品はほぼ食べなくなった。
ただ、新宿にビーガン(牛乳や白砂糖を使わず、豆乳と甘酒を作る要領で甘くしたアイスクリーム)のアイスクリームを売る店ができたので、そこでたま~にアイスを食べている。
 最初は違和感があったが、健康に対する不安が大幅に減った状態で食べられるのでありがたい。

 とにかく、体重の減少がすごい。
これだけ痩せると云う事は昔の僕には考えられないことだった。
 ダイエットなどというものは、本当に意志の強い人にしかできないものだと思っていた。

 なぜ今できるのか?
それはやはり、ムラキテルミさんの映像をユーチューブで見たときの衝撃が大きかった。

 末期がんが生野菜ジュースとプチ断食で治った、という事実、しかも、それは彼女だけの例外的な事実ではなく、それと同様の事例が調べてみれば相当数出てきたことが大きい。
しかも、この療法は古くからスイスやロシアの治療院で行われてきたことであり、あの有名なゲルソン療法も基本的には野菜、フルーツジュースで末期がんを含め、様々な現代医学では完治できないといわれている慢性病を治してきた事実も無言の説得力を持ってきたのかもしれない。

 もし末期がんやさまざまな完治困難な慢性病でさえこの療法で治るなら、健康な人がこれをやればこれらの病気にならないだろうと思ったことが、以前の僕なら絶対にできなかった小食生活を可能にしたのだともう。痩せたのはそのうれしい副作用である。

 数か月やってみた変化だが、まず、体調はすこぶるいい。
断食療法の目指すところは、万病のもとといわれる腸の中をきれいにすることなのだが、この目的をかなり達していることは間違いない。
 実は、この小食療法を僕の家にいるペットにもさせているのだが(ごめんね、ゆみ)、この子の調子もすこぶるいい。僕とまったく同じ変化が生じている。
このことから、同じ哺乳類である犬にもこの療法が有効であることが確認できている。

 あとは、今年の初めごろまだ小食糧法を始める前に行った健康診断で、上と下の血圧の差が狭かった問題が解消されているかどうか、調べてみたいと思っている。

 その後、ゲルソン療法(ドイツ出身のマックス・ゲルソン博士が自身の慢性病を治すために偶然見つけた療法で、その後、その慢性病だけでなく、そのほかのさまざまな慢性病にも驚くべき効果があることを発見した)の映像をユーチューブで見るに至り、人体の免疫システムの働きに対する僕の推測が間違いなかったことを確信するに至った。

 このことに関しては気が向けばまた改めて書いてみたいと思う。
いずれにしても、改めて驚くのは人体がもっている免疫システムのおどろくべき素晴らしさだ。
その力は、あらゆる現代医学の療法をしのいでいる。

 そこから思うのは、現代医学の慢性病に対する限界というのは、僕の予想していた通り、この人体にもともと備わっている綜合、統合的な免疫システムの全体像をまだ把握しきれていないことにあるのはほぼ間違いない、という事。
 興味深いのは、「非科学的」とみられている東洋医学においては、その存在を人体の原理的な働きとして想定したうえでなりなっていると云う事である、それも数千年も昔からだ。

 知れば知るほど、自然界の驚異的な神秘性に対して謙虚になっていく。
医学だけでなく、現代の科学など、そのメカニズムのほんとうにわずかな部分しか認識していない。
『そのわずかな部分を全体と信じて』、それを包む巨大な領域を否定しているのが、現代人の実体であろう。滑稽だがこれが真実に近い。

 しかも、世間で知的だと思われている人であればあるほど、その傾向が濃厚にある。
ぼくが、本当に頭がいい人というのは、このこと(人体に備わっている統合的な免疫システム)にたいする知的類推力のある人のことを言うのではないか、と過去の記事(菊永さんのことを述べた記事)で述べたのはこのことを言っている。
 
 

 

 
 

 
   
 
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永遠の星野さん

2016-09-05 22:35:58 | 写真


 銀座の松坂屋で開かれている写真家、星野道夫さんの写真展を見てきた。
この人は僕の心からどうしても離れない写真家だ。

 同じように北アメリカの自然を愛していると云う事もある。
でもそれだけではないだろう、そこには純粋なものへの憧憬というものを、怖れさえ抱きながらもっていることもあるかもしれない。

 ただ僕と星野さんの違いは、彼はその前でひるまなかったことだろう。
屹然とその前に立ち、畏れと敬意を懐きながらもそれをこよなく愛し、ついにはその中に入っていった・・・それだけの強さと魂の透明さが彼にはあった。




 正直、僕はありがたかった。
あまりのありがたさに、写真集などかつての自分の先生の写真集さえ買ったことのない僕が、思わず買ってしまった。
星野さんの気持ちを一生大事にとっておきたかったからだ。



 
 星野さんはだれも責めない、ただあの大原野のかなたに立ってふりかえり、僕をほほ笑みながら見つめている。
「おい、こっちはいいよ」

 



 「そこはにぎやかだが、実は周りには数えるほどしかいない。
  こっちは人間はほとんど誰もいないけど、永遠に失われないもの、変わらないものがある。
  君が永久の昔からその一部であるところのものだ」




 
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