気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

東京散歩

2020-05-26 02:09:12 | 日記

 


 東京でのコロナ感染者数の減少もあってか、さすがに我慢できなくなり上野に行ってきた。
スターバックスはテイクアウトだけでもできるだろうと思っていたのだが、いまだに閉店していたのが残念だった。この店はオープンスペースがあって犬を連れていてもそこで飲食ができるのでありがたかったのだが。

 この場所(上野)はなぜか理由はわからないが好きなところだ。
僕の前世の一つでは銭湯の釜炊きをしていたらしいので、その人生でこのあたりに住んでいたのではないか、などと考えたりもする。
とにかく縁のない土地であるにもかかわらず、懐かしいのだ。とくにこの奥にある谷中という町にえもいわれぬなつかしさを覚える。

 あの広い場所から国立博物館を望むと様々な思い出がよみがえってきた。
そうすると、人の一生というのは本当に短いのだなぁ、と思った。あれからかなり長い歳月が流れたというのに、あの博物館の姿はあの当時のままである。当たり前なのだが、生物(人間も含めた)というものが時間の流れの中であまりにも大きく変化するのに対して、建物のような無機的な物質は全く変化しているようには見えない。

 この対比のあまりの大きさを見ての感覚、感慨である。
信長の「人間50年」ではないが、本当に短いと思った、人の生というものは。
 いや、人ばかりではない、あの不朽に存在するかに見える博物館も時の流れの中でやがては老朽化して、壊される時が来て元の素材である砂、石に還っていくだろう、たぶん今から数百年後には。

 いや、あの博物館だけではない、この世に存在する「すべてのもの」はやがては朽ち、壊され、あるいは自然に崩壊し消えていく。
まさにブッダのいう色即是空、空即是色、この世にあるすべてのものは時と共に姿を変え、やがてはその姿を消していくものであり、その本質的な「実在」というものはないのだ、ということ。
 しかし、よくぞ気づいたなと思う、そういうことに、しかも2500年も前に。あらためてブッダという存在の大きさを思わざるを得ない。

 上野の街を歩いてみると、まだ緊急事態宣言が解除されていないのに、もうかなり大勢の人々が戻ってきている。
こういう状況であるにもかかわらず、新たな感染者が減っているということは、もうすでにコロナウイルスがかなりな程度日本人の中に浸透したのではないかと思う。

 というのも、人口のある一定程度の数の人々が感染して抗体が作られるまでは感染の勢いは止まらないと考えるからだ。
それとも緊急事態宣言のおかげで外出自粛し、そのおかげで感染者が減っているだけなのか?……そのどちらかはわからない。「もし後者であれば」解除すればまた感染は拡大し始めるだろう。

 「もし前者であれば」、症状が軽症か、全くでていないだけで、ほぼかなりの数の日本人は感染済みであり、抗体を持っているということになる。かくいう僕も毎日通勤をしているので、このウイルスの感染力の強さを考えれば、どんなにマスクをしたり消毒をしたりしていても感染は免れず、おそらくすでに感染済みで抗体を持っているのではないかと思う。つまり、感染したのち自分の免疫力で抑え込んだのではないかと想像できる。

 まぁ、いずれにしてもこのまま穏便に収まってくれればいいのだが。

 

 

 

 上の建物はたまたま通りがかった東京のあるお寺の門である。現代の寺院の例にもれず鉄筋コンクリート製なのだが、鉄筋コンクリートにありがちな無粋さやぼったさというものがなく、何とも言えない重厚感、荘重感、おちつき、といったものを感じる。ぼくは現代のこういう素材で作られた寺院からこんなものを感じたのは初めてで、おもわずスマートフォンで写真を撮った。
 おそらくだが、これを設計したひとの建築家というよりも芸術家としての力というか、センスというか、そういうものの並々ならぬものであるのを感じた。
 残念ながら門が閉まっていたので、今度またいずれ日を改めて訪れてみたい。

 

 

 

 これは言わずと知れた東京都庁である。これもまた偶然下を通りかかった時にあまりの感動に思わずスマホでとったもの。
設計者は丹下健三氏、僕が最も、心から尊敬する建築家である。デザインは保守的でありながら、同時に革新的、しかもそれでいてまったく奇をてらったところがない。
 窓枠?のデザインもとても緻密、精緻でなおかつその幾何学的な美しさはもう完全にアートといっていい。これは彼の晩年の作品だと思うが、最晩年に至るまでその才気の鋭さはいささかも衰えを見せていない。これは都民のというよりも、人類の遺産であると僕は信じる。

 

 


 

 同じく丹下氏の設計による東京カテドラル。もうだいぶ前に行ったところだが、最近再訪した。
これぞザ・タンゲという刻印が押されたような彼らしいデザインだ。この位置からはよくわからないが、上から見るとちょうど十字架のように見える。
数年前に行ったときには中の撮影もできたのだが、今回は中は撮影禁止になっていて本当にがっかりした。

 たぶんだが、あれから結構多くの撮影者が訪れてバチバチと遠慮なくシャッターを切り、この教会で純粋にお祈りをしている人々の妨げになったのだろうと想像する。鎌倉の寺院などでも大部分の寺院では三脚禁止になっているが、やはりある一定数以上の人が撮影にくると、どうしてもそうなってしまう…残念。
 まさかあのときアップした僕のブログの影響でそうなったとは思えないが(僕のブログ程度の影響力ではそんなわけない 笑)、こういうことになってみると、本当にいい撮影場所は隠したいと思うのが人情であろう。今から思うと、あの時撮った中の写真はぼくにとってはかけがいのない宝となった。

 さて、以上がここ数か月の東京の散歩をしてきた中で、思ったことや撮った写真である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする