そこでは独身の婚活中の女性たちが、年収○○〇万というプラカードを書いて掲げていた。
言うまでもなく結婚相手の年収である。
統計では600万以上を望む人が多いという。だが、年収600万以上の適齢期の男性というのは実際には1~2%ぐらい(だったと思う)しかいないらしい。
超狭き門である。
さらには、専業主婦希望で子供は3人ほしいという女性もいた。
今どきの時代、子供を産んで私立大学まで入れて卒業させるのに2000万円(だったかな)はかかるというのに、3人も生んで専業主婦という恵まれた環境を提供してくれる年収の男がどれくらいいるのだろうかと思った。
年収600万はわかった、子供3人はわかった、でもである、肝心の相手の中身はどうなのだろう?優先順位が逆転してはいないか?
結婚生活というのは絵空事ではない、ということは未経験の僕でも想像はつく。惚れたはれたは最初の3年ぐらいで、あとはただの同居人だといったのは確か美輪明宏だったが、真偽のほどはともかく、ことの本質をある程度はついているのではないか。
奇しくも、その番組に出ていたニューハーフっぽい女?も、結婚は失望と我慢の連続、それでも相手が好きだから許せる、結婚てそれが一生続くのよ、とおっしゃっていた。
彼女?も結婚の経験はないそうだから、想像でしかないって言っていたけど、まぁ、僕の人生経験で観察してきた一般的な人間たちのnatureを見ても、だいたいそれに近いというのが真実ではないかと僕も思う。もちろん例外もいることは否定しない、僕も今までの人生で素晴らしい人々に何人か遭遇してきた。しかし、それはあくまで例外的な存在だろう。
『であればなおのこと』もっとも重視すべきは相手の中身ではないだろうか。
それから、今婚活では自衛隊員が人気だという。
失業のない公務員、うん、確かにいいところに目をつけている。
だが、現政権によって、憲法を時の権力者がいかようにでも解釈して運用できるようになる見込みだ。いままでは、たとえ建前に近いものであれ、自衛隊の戦場投入にはある一定の制限があった。だが、これからはそれもなくなる。
ということはつまり、これからの自衛隊は本当に戦場に行って戦うことになるわけだ。
失業はなくとも殉職というのはないとは言えない時代になっていく。それと、仮に戦場から生きて帰ったとしても、PTSDという精神的な後遺症を負う人が多いことは、アメリカのニュースサイトなどを見れば明らか。これになると社会復帰は難しくなる。帰還兵士の自殺も多いという。2009年から2010年までで『1日平均』(1年ではない)22人が自殺しているという。
いうなれば、戦前の軍人の妻になるのと同じ覚悟がいるだろう。
夫が戦死、あるいは、PTSDになっても支えていけるだけの覚悟、愛…ありますか
話がだいぶ横道に入ったが、健康な若い男女なら、たとえ男の年収が200万でも一緒に働けば何とかなるだろうと思う。
であれば、年収よりも、職業よりも、もっと大事なものがあるんじゃないの、と思う。70年代のフォークソングのように愛があればどんなことでも乗り越えられる、とまで言うつもりはない。
しかし、まずそれがなければすくなくとも結婚というものに意味はないのではないか、いや、そもそもHappyではないのではないか、と思う。
Happyになるための結婚じゃなかったの?
お年寄りの趣味として写真がある。
みなさんものすごく高価なカメラやレンズをまず購入して始める人が多い。
それが悪いとはもちろん言わない。さぁ、やるぞ!という気になるという意味ではそれにも意味はあるだろう。
しかし、それといい写真が撮れるかということとは別の問題である。全く別の問題である。
あの番組にはそれこそ女優になってもいいのではないかと思うほど美しい人もいた。
むかしであれば、嫁の貰い手がありすぎて困るほどの女性が何人もいた。それがなぜ今は…?
一眼レフじゃなくても、コンパクトカメラでも、いや、一時期よく見かけた使い捨てカメラでも、美しい写真は取れる。
わかる人はわかり、やれる人はやっているのかもしれない。結ばれる人は幸せに結ばれているのかもしれない。ただ表面に出てこないだけで。
自由、在りすぎるほどの自由、選択肢、それが返って男女の結びつきを難しくしているのか。
たぶんそれもあるだろう。昔は親や親せき、上司がアレンジした縁談であっさりと結婚をしたようだ。あたかもそれが人生のどうしても通過しなければならない行事のように。
しかし、僕は思うのだが、これも「運」ではないかと。何百かい婚活を重ねて選んだ相手も、たった一回見合いをして結婚する相手も、結局自分の器にあった人になるしかないのではないか。
「あたしね…あの話お受けしようと思うの…」
うつむき加減でそういって、あっさりと嫁に行った昭和中期以前の日本人女性の勇気は、そこに社会的なある種の暗黙の強制性があったとはいえ、すごかった。
結婚というものが人生の選択肢の一つになった今、よけいにそう思う。
無論、その陰では、ひどい夫の言葉や実際の暴力に泣いた女性もたくさんいただろう。今のように簡単に離婚ができない社会風潮があったあのころは余計そのような女性の立場は悲惨だった。
さて、どちらが幸せなのだろう…まさに、塞翁失馬、芥川の「運」である。
もがけばもがくほど「運」は遠ざかるのではないか…手を伸ばせば伸ばすほど、相手は指の間から零れ落ちていくのではないか…
まずは、出会いの運を招きよせる、うけいれられる自分、人間性を見る眼力を育てていく(これは結局、自分の人間性を高めていくこととイコールである)ほうがいいのではないだろうか。どれほど時間がかかろうとも。
女性の場合、子供産める年齢の制限があるので焦る気持ちはわかるが…
婚活ももちろん否定はしない。文化的に日本人の場合、男女の出会いの「場」というものが限定されているからだ。欧米人のようにレストランやコーヒーショップで隣に座った人とか、買い物でたまに会う人とかとの出会いが恋愛に発展することは少ないから。どうしても、合コンとか婚活とかそういう人工的な「場」を作らなければ、心理的バリアーが落ちないということはわかっている。
このまま子供が減っていけばこの国はほんと~に大変なことになる。
頑張ってちょうだい!