気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

幸せの青い鳥

2014-05-27 08:24:33 | 日記
 昨晩テレビを見ていたら、婚活の番組をやっていた。
そこでは独身の婚活中の女性たちが、年収○○〇万というプラカードを書いて掲げていた。

 言うまでもなく結婚相手の年収である。
統計では600万以上を望む人が多いという。だが、年収600万以上の適齢期の男性というのは実際には1~2%ぐらい(だったと思う)しかいないらしい。
超狭き門である。

 さらには、専業主婦希望で子供は3人ほしいという女性もいた。
今どきの時代、子供を産んで私立大学まで入れて卒業させるのに2000万円(だったかな)はかかるというのに、3人も生んで専業主婦という恵まれた環境を提供してくれる年収の男がどれくらいいるのだろうかと思った。

 年収600万はわかった、子供3人はわかった、でもである、肝心の相手の中身はどうなのだろう?優先順位が逆転してはいないか?
結婚生活というのは絵空事ではない、ということは未経験の僕でも想像はつく。惚れたはれたは最初の3年ぐらいで、あとはただの同居人だといったのは確か美輪明宏だったが、真偽のほどはともかく、ことの本質をある程度はついているのではないか。

 奇しくも、その番組に出ていたニューハーフっぽい女?も、結婚は失望と我慢の連続、それでも相手が好きだから許せる、結婚てそれが一生続くのよ、とおっしゃっていた。
彼女?も結婚の経験はないそうだから、想像でしかないって言っていたけど、まぁ、僕の人生経験で観察してきた一般的な人間たちのnatureを見ても、だいたいそれに近いというのが真実ではないかと僕も思う。もちろん例外もいることは否定しない、僕も今までの人生で素晴らしい人々に何人か遭遇してきた。しかし、それはあくまで例外的な存在だろう。

 『であればなおのこと』もっとも重視すべきは相手の中身ではないだろうか。

 それから、今婚活では自衛隊員が人気だという。
失業のない公務員、うん、確かにいいところに目をつけている。
だが、現政権によって、憲法を時の権力者がいかようにでも解釈して運用できるようになる見込みだ。いままでは、たとえ建前に近いものであれ、自衛隊の戦場投入にはある一定の制限があった。だが、これからはそれもなくなる。
 
 ということはつまり、これからの自衛隊は本当に戦場に行って戦うことになるわけだ。
失業はなくとも殉職というのはないとは言えない時代になっていく。それと、仮に戦場から生きて帰ったとしても、PTSDという精神的な後遺症を負う人が多いことは、アメリカのニュースサイトなどを見れば明らか。これになると社会復帰は難しくなる。帰還兵士の自殺も多いという。2009年から2010年までで『1日平均』(1年ではない)22人が自殺しているという。

 いうなれば、戦前の軍人の妻になるのと同じ覚悟がいるだろう。
夫が戦死、あるいは、PTSDになっても支えていけるだけの覚悟、愛…ありますか


 話がだいぶ横道に入ったが、健康な若い男女なら、たとえ男の年収が200万でも一緒に働けば何とかなるだろうと思う。
であれば、年収よりも、職業よりも、もっと大事なものがあるんじゃないの、と思う。70年代のフォークソングのように愛があればどんなことでも乗り越えられる、とまで言うつもりはない。
しかし、まずそれがなければすくなくとも結婚というものに意味はないのではないか、いや、そもそもHappyではないのではないか、と思う。
Happyになるための結婚じゃなかったの?

 お年寄りの趣味として写真がある。
みなさんものすごく高価なカメラやレンズをまず購入して始める人が多い。
それが悪いとはもちろん言わない。さぁ、やるぞ!という気になるという意味ではそれにも意味はあるだろう。
 しかし、それといい写真が撮れるかということとは別の問題である。全く別の問題である。

 あの番組にはそれこそ女優になってもいいのではないかと思うほど美しい人もいた。
むかしであれば、嫁の貰い手がありすぎて困るほどの女性が何人もいた。それがなぜ今は…?

 一眼レフじゃなくても、コンパクトカメラでも、いや、一時期よく見かけた使い捨てカメラでも、美しい写真は取れる。
わかる人はわかり、やれる人はやっているのかもしれない。結ばれる人は幸せに結ばれているのかもしれない。ただ表面に出てこないだけで。
 
 自由、在りすぎるほどの自由、選択肢、それが返って男女の結びつきを難しくしているのか。
たぶんそれもあるだろう。昔は親や親せき、上司がアレンジした縁談であっさりと結婚をしたようだ。あたかもそれが人生のどうしても通過しなければならない行事のように。
 しかし、僕は思うのだが、これも「運」ではないかと。何百かい婚活を重ねて選んだ相手も、たった一回見合いをして結婚する相手も、結局自分の器にあった人になるしかないのではないか。

 「あたしね…あの話お受けしようと思うの…」
うつむき加減でそういって、あっさりと嫁に行った昭和中期以前の日本人女性の勇気は、そこに社会的なある種の暗黙の強制性があったとはいえ、すごかった。
結婚というものが人生の選択肢の一つになった今、よけいにそう思う。
 無論、その陰では、ひどい夫の言葉や実際の暴力に泣いた女性もたくさんいただろう。今のように簡単に離婚ができない社会風潮があったあのころは余計そのような女性の立場は悲惨だった。
 さて、どちらが幸せなのだろう…まさに、塞翁失馬、芥川の「運」である。

 もがけばもがくほど「運」は遠ざかるのではないか…手を伸ばせば伸ばすほど、相手は指の間から零れ落ちていくのではないか…
まずは、出会いの運を招きよせる、うけいれられる自分、人間性を見る眼力を育てていく(これは結局、自分の人間性を高めていくこととイコールである)ほうがいいのではないだろうか。どれほど時間がかかろうとも。
 女性の場合、子供産める年齢の制限があるので焦る気持ちはわかるが…

 婚活ももちろん否定はしない。文化的に日本人の場合、男女の出会いの「場」というものが限定されているからだ。欧米人のようにレストランやコーヒーショップで隣に座った人とか、買い物でたまに会う人とかとの出会いが恋愛に発展することは少ないから。どうしても、合コンとか婚活とかそういう人工的な「場」を作らなければ、心理的バリアーが落ちないということはわかっている。

 このまま子供が減っていけばこの国はほんと~に大変なことになる。
頑張ってちょうだい! 
 
 
 

 

 

 
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「暗い」ということ

2014-05-22 01:10:31 | 

 先日、愛犬の散歩をするために昭和記念公園に行ってきた。
 実はパステル画を習っている先生がこの公園を中心に描いている人なのだ。

 今日その先生のブログを見て、ちょっと考えることがあった。その中の「負けず嫌い力」と題された日記である。
そのことを書く前に、先日昭和記念公園に行って思ったのは、僕にはあらゆるものが平凡にしか見えなかったということ。
 なのに、あの先生はこの「平凡な」風景をあれほど豊かに描いている…

 実は僕は、自分の自然を見る感受性に多少の自惚れがあった。でも、どう見てもあの先生が描いた絵のようには見えない。
あの先生には僕に見えないものが見える、この僕には平凡にしか見えない風景を見てあれほど豊かに、美しい絵を作り出す。
 もちろん、絵というものはどんなに精密なリアリズムによって描かれたものでも、その人の内面世界の反映であるのかもしれない。

 あの日記の中に述べられているあの先生の「公園」というものに対する特別な思い、があのような見事な絵を生み出しているともいえるだろう。
しかし、それだけなのだろうか。あの人には僕には見えない「何か」が見えているのではないだろうか…そのことがずっと心の片隅に引っかかっている。

 あの先生のツイートは時々読んでいる。たまにツイートを送ったりもする。
きちんと返事が返ってくるので、とても誠実な人なのだな、という印象を持っている。

 それらのツイートを読んでいて、確かにたまに「おや」と思うものもないわけではない。
ただぼくはそれをよんで「どうしたの?」なんてわざわざ思わないし、またそれをあの先生に伝えたりもしない。
この世で生きている生の人間である以上、「暗さ」「闇」の部分があるのは当然だし、そういうところに僕はかえって親しみを感じてもいた。

 ゴッホはもちろんだが、ゴーギャン、レンブラント、ドガ、ユトリロ、ムンク、ルオー…みんなそういう一面を表現することを厭わなかった。
彼らがもしそういう一面を持たず、また、表現しなかったら、彼らの作品はただのポスター、あるいはよく町で売られているファンタジーっぽい絵と同じではないだろうか。
それはよくできた絵ではあるかもしれないが、芸術ではない。

 「画壇に出られない」「同じところばかり描いている」
こんな失礼なことを直接言う人はまさかいないと思うので(ごくまれにいるが[笑])、たぶん第三者の口からあの先生の耳にでも入ったのだろうと思う。
それを受けてのあの日記なのだろうと想像する。

 画壇に出られないということは僕は考えたことはなかったが、今回昭和記念公園に行ってみて、僕の眼にはおおむね平凡にしか映らない「同じところを」長い期間、あれほど変化に富み、美しく、愛情をこめて描きこんでいるという事実に、かえって僕は感心している。「愛」がなければできないと思うからだ。
 
 彼女の文面からも想像できるように、彼女のツイートに、ある「暗さ」がにじみ出ているとしたら、それは他人が詮索するような通俗的なことではなく、もっと人間存在の根源的な苦悩、あるいは根源的な闇であろう。特に彼女のように将来への不安や生活苦を厭わず、芸術を極めようとしている人ならばなおさらそのようなものを持っていて当然である。

 ちょうどこの日記と符合するように、ルノアールを描いた映画のCMに印象深い彼自身の言葉があったのを思い出す。
「現実の世界には悲しい出来事がいっぱいある。だから、私の絵は美しく愛らしいものでなくてはならない」

 あの楽園のような絵をかくルノアールがこのような言葉を残しているのだ。

 

  

 

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運 芥川バージョン

2014-05-09 00:50:08 | 文学

 

僕は20代前半、芥川の作品に心酔していた。
ここ最近、人間の「運」というものについてずっと思い続けていて、あぁ、芥川にもたしかそれをテーマにした作品があったことを思いつき、本当に久しぶりに読んでみた。

 よんでみると…とてもいい。
文字通り「運」と題されたその作品は、地味で、それでいて人間とそれを取り巻く「運」というものの不思議さ、深遠さというものを見事に浮き彫りにしている。
初めてこの作品を読んだときは、正直言ってよくわからなかった。それも無理はない、あのころの僕はまだ20代前半だった。

 芥川がこの作品を書いた時はいくつだったのか、今ざっとだが計算してみると、なんと23歳ぐらいである!
弱冠23歳で…これほどのものが書けるとは…的確にも彼を「鬼才」と評したのは三島由紀夫だったが、まさにその呼称にふさわしい作家だとおもった。ふつうこれほどのものを書くには少なくとも40代から50代にはなっていなくてはならないと僕は思う。

 長いのでもちろん全文を引用するわけにはいかない。
なのでかいつまんで紹介したい。

 時代は江戸時代かそれ以前、封建時代であろう。
舞台は清水とあるから京都、清水の参道沿いにある陶工の店の中。

 そこで若い侍が仕事中の年老いた陶工とまじわした会話の中でこの物語はつづられていく。
若い侍が、清水の観音様にまつわる面白い話はないか、と聞くと陶工はおもむろに口を開き昔話を語り始める。

 昔、ある親子がいた。母親と娘である。
あるとき母親がなくなり娘一人になった。娘は心細くなり清水の観音様に願をかけにいき、何日間かこもった。
いよいよ満願の日、娘は不思議な声を聴く。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 「お爺さんなんぞも、この年までは、随分いろんなことを見たり聞いたりしたろうね。どうだい、観音様は本当に運を授けて下さるものかね。」

 「左様でございます。昔は折々、そんな事もあったように聞いておりますが。」

 「どんな事があったね」

~中略~

 「神仏のお考えなどと申すものは、あなた方ぐらいの御年では、なかなかわからないものでございますよ。」

 「それはわからなかろうさ。わからないから、お爺さんに聞くんだあね。」

 「いやさ、神仏が運をお授けになる、ならないと云う事じゃございません。そのお授けになる運の善し悪しと云う事が。」

 「だって、授けてもらえばわかるじゃないか、善い運だとか、悪い運だとか。」

 「それが、どうも貴方がたには、ちとおわかりになり兼ねませうて。」

 「私には運の善し悪しより、そういう理屈のほうがわからなそうだね。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 こういう感じで二人の会話は核心部分に入っていく。
その娘が満願の日に聞いた観音様の声は次のようなものだったという。

「ここから帰る路で、そなたに言い寄る男がある。その男の言うことを聞くがよい。」

 そうして清水寺を出て帰る道すがら、案の定、後ろから男が忍び寄ってきて云う事を聞けという。
娘はあぁ、これが観音様のお告げにあった男だと思い、怖いながらも言うとおりに従った。
それからこの二人はねんごろになり、夫婦になった。

 男はちぎるしるしに娘に、綾と絹を十疋ずつ与えた。
やがて男が出かけたので、なにげなく連れ込まれた塔の奥を見ると金銀財宝がたくさんあった。

 娘はあの男は盗賊に違いないと思い逃げ出そうとした。
そのとき部屋の隅の方からおばあさんが出てきた。あの男の身の回りの世話をしていたおばあさんであった。
 娘は逃げ出そうとすると、騒がれると思っていったんは思いとどまった。

 しばらくするとそのおばあさんは横になって寝静まってしまった。
その時をチャンスと思い娘は逃げ出そうとするのだが、何かにつまずいてしまい、おばあさんに触れてしまう。
おばあさんは事の次第を悟り大騒ぎして、必死の思いで娘を止めようとした。

 娘も必死に逃げようとして掴み合いになったが、そこは若い娘が勝りおばあさんを突き飛ばしたところ、打ち所が悪かったのかそのままおばあさんは死んでしまった。
のちにその盗賊は捕まってしまう。

 娘はその後どうなったかというと、その時にもらった綾と絹で何か商売を起こして成功し、祈願した通り何不自由のない暮らしを手に入れたという。

ここでまた原文に戻ろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 「~略~
 まことにその話を聞いた時には、手前(陶工)もつくづくそう思いましたよ。」

 「何とね。」

 「観音様に願をかけるのも考え物だとな。」

 「だがおじいさん、その女は、それからどうにかやっていけるようになったのだろう。」

 「どうにかどころか、今では何不自由ない身の上になっております。その綾や絹を売ったのを本(もと)に致しましてな。観音様もこれだけは、お約束をおちがえになりません。」

 「それなら、それぐらいな目にあっても、結構じゃないか。」

 ~中略~

 「人を殺したって、物取りの女房になったって、する気でしたんでなければ仕方がないやね。」(侍の言葉)

 青侍は、扇子を帯へさしながら、立ち上がった。
翁も、もうひさげのみずで、泥にまみれた手を洗っている。--二人とも、どうやら、暮れていく春の日と、相手の心持に、物足りないなにものかを、感じているような様子である。

 「兎に角、その女は幸せ者だよ。」

 「ご冗談で。」

 「まったくさ、お爺さんもそう思うだろう。」

 「手前でございますか。手前なら、そういう運はまっぴらでございますな。」

 「へええ、そうかね。私なら二つ返事で、授けていただくがね。」

 「じゃ、観音様をご信心なさいまし」

 「そうそう、あすから私も、おこもりでもしようよ。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ここで作品は終わる。
いうまでもないことだが、芥川はもちろん観音信仰やその他すべての信仰を誹謗しているのではない。そんなことは全く彼の意中にはなく、この作品のテーマとは関係がない。
 ここで扱われていることは、運命・Destiniyというものの底知れぬ不可知さ、凄み、もっというと、この世そのもの、さらには、この世を創造したものの得体のしれない不思議さ、謎…といったものではないだろうか。ちょうど、あの中国の古典「塞翁失馬」にも描かれていたように。

 

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ある寓話

2014-05-07 01:32:06 | 文学



 チュラン、つまり「岩山の親分」という名のひとりの老人が、山の中にひとつの小さな農場を持っていた。
ある日のこと、彼の飼っている馬が一頭いなくなってしまった。そこで隣人たちがこの不運に対して老人に慰めの言葉を言うためにやって来た。

 老人はしかし質問した。
「お前たちはどうしてこれが不運なことだとわかるのか?」と。
 すると見よ、その数日のちに、その馬が戻ってきた。しかも一群の野生の馬をそっくり連れてきたのである。

 またもや隣人たちがやって来て、この幸運な出来事にお祝いを言おうとした。
山の老人はしかしこういった。
 「これが幸運な出来事だと、どうしてわかるのか?」

 さて、こんなにたくさんの馬が自由に使えるようになって以来、老人の息子は乗馬が好きになり始めた。
そしてある日のこと、息子は脚を折ってしまった。
するとまた隣人たちがやって来て、慰めの意を表した。

 するとまた老人は彼らに言った。
「これが不幸な出来事であるとどうしてわかるのか?」

 それから一年経って、「背高ノッポ」の代表団が、皇帝の軍隊のための強壮な男子と駕籠かきを招集するためにこの山岳地帯にやって来た。
今なお脚に損傷を持つ老人の息子を、彼らは選ばなかった。
 チュランは、にっこり微笑まずにはいられなかった。


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 これは中国の古典「准南子」の中に収められている「塞翁失馬」、日本では「人間万事塞翁が馬」として知られている話である。
今ふと思い立って敬愛するヘッセの文章を集めた「人は成熟するにつれて若くなる」という本の中にあるのを思い出して再読した。彼もいたくこの寓話がお気に入りだったらしく、生前この寓話を西洋の人々に紹介しているのだ。

 この話はあまりにも有名であり、また有名であるだけに少し軽く扱われすぎている。
この話は、年輪を重ねれば重ねるほど、その深みというか、コクというか、凄みというか、そういうものが滲み出してくるように思う。

 実は今日、昔のある個人的な悲劇を思い出していた。
この悲劇はずっと20年近く僕を苦しめてきていたものだ。
 今日もふとこのことが思い浮かび、あぁ、またか…と思っていたのだが、今日はどういうわけか、この悲劇を全く違った視点から眺めることができた。
まるで神様に襟首を引っ張られて全く別の山の上に連れて行かれて、同じものを全然別の角度から見せられたような経験だった。
今度は今までの山よりずっと高い山だった。
 いい意味での青天の霹靂だった。

 今まで悲劇だとずっと信じてきたものが、たぶんあれでよかったんだ、きっと。あれがなかったらもっと悲劇的なことになっていたに違いないということが、急にはっきりと見えた。
 いままでは失われたものへの執着が強すぎて、それが見えなかったことに気づいた。幸福と見えたことが悲劇への序曲であり、悲劇と見えたことが幸福への入り口だった。
自分の人生でも最大の悲劇の一つだと思っていたことが、実はそうではなかったのではないか

 この世で起こること、人の運命は人智を超えている。

どうもそれだけは確かなようだ。

 

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