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義を見てせざるは…

2016-11-20 13:23:02 | 音楽
Allemande from Bach's Cello Suite No. 1 - Tina Guo


 つい最近とても才能に恵まれたチェリストを見つけた。
きっかけは例によってユーチューブを聞いていたところ、僕の好きなバッハの無伴奏チェロ組曲があったので、それとなく彼女の映像をクリックしたことだった。
演奏者はだれでもよかった、とにかく僕の好きなこの曲を聴いてみたかったのだ。

 聞き始めて数秒で「ん?」とおもった。
何かが違ったのだ、普通の演奏と。具体的に何が違うのかというと…正直僕の表現力では詞で表現するのがむずかしい。
 見ればかなりまだ若いのに、彼女の演奏にはヨーロッパの古い教会にあるような厳粛な威容のようなものが備わっている。
陶器に例えると、備前焼の名器か利休好みの黒茶碗のような…それの何がいいかと問われて、言葉であます事無く表現できる人がいるだろうか。

 ところが、その映像から流れてくる音の質とその映像で見える彼女との間になんともいえない開きのようなものがあることに気づいた。
音は文句なく素晴らしい、だが、その映像で見る彼女のパフォーマンスから判断するに、彼女がバッハの音を「感じ取りながら」弾いているとは思えなかった。

 この感じ取りながらというのはとても微妙のもので、演奏者が弾いているところを実際に見て見ないとわからない。
これがあの世界的な音楽評論家である吉田秀和氏が、演奏者の本当の評価はレコードを聴くだけではできない、実際にその人が弾いているところを見てみなければ、と言っていたこととつながる。

 そしてぼくはどうしても納得がいかなかったので、このTina Guoというひとの本当の力量が知りたいと思い、彼女の別の演奏を見つけて見てみた。それが冒頭の映像である。
それをみて僕は自分自身が感じたことが間違ってなかったことを確信した。あきらかにバッハの音楽を「感じ取りながら」弾いている。

 僕が最初に見た映像から当初感じた違和感は、たぶん、この音はこの野外で演奏されたときのものとは別のものだったからだろうと思う。おそらくこの野外で演奏された映像は純粋に広告用のもので、演奏の質などというものは求められていなかったのだろう。そのため、この映像での彼女のパフォーマンスからは、実際に彼女が感じながら弾いているとは僕にはどうしても感じ取れなかった、という事だろうと思う。

 とにかく、この人はとても豊かな才能に恵まれた人であることは間違いない。
いろいろ映像を探してみると、クラシックだけでなく、様々なポピューラー音楽の演奏もしているみたいだ。
 冒頭にあげた映像の1分10秒あたりからの演奏は、まさに彼女特有のもので、とても自由で、まるで音楽と一体になって、いや、音楽そのものになって踊っているかのようだ。

 もし彼女ががちがちのクラシック音楽しか演奏しない人であれば、たぶんこのような揺蕩う(たゆたう)ような自由性というものは表現できないと思う。
よくジャズミュージシャンがクラシックを演奏する(ジャズミュージシャンにはクラシック音楽も愛好する人が多い)とこういう天真爛漫な自由性を見せることが多いが、まさにこの演奏なども彼女のそのような演奏家としての気質の表れだろうと思う。

 よく僕はクラシック音楽の音がある種の立体的な空間として感じられる(あるいは見える)ことが多いのだが、彼女のこの演奏の音などは彼女自身が音そのものになって、その「かたち」が変幻自在に踊るように動いているのが見えるような気がする。
 こういう演奏はだれにでもできるものではない。とくにクラシック音楽のような何百年と継承されてきた伝統というものが背後に重く存在している分野ではなおさらである。

 そういうものを「壊す」のはおそらく大変な勇気を必要とするはずだ。下手をすると自分の演奏家としてのキャリアを破壊してしまいかねないからだ。
でも彼女にはそれができた、この小さな女性はそれだけの勇気を隠し持っている、ということだろう。
若さゆえだろうと云う事もできる、そういう部分もあるかもしれない、もしそうだとすれば、これから彼女が本当の大器として大成するかどうかは、ほかでもないこの天真爛漫な自由性を
年齢を重ねても持ち続ける、ある意味ほんとうの勇気、そして、自己の芸術に対するほんとうの誠実さ、があるかどうかにかかってくるのではないか。

 僕がこよなく尊敬するグールドにはそれがあった。
彼は他人が作った一切の既成概念にはとらわれなかった。そしてそれを一生貫き通す勇気があった。
それゆえにこそ、彼の「ゴールドベルグ変奏曲」はそれまで誰も創造しえなかった演奏として不朽の価値を持つにいたった。

 彼がまだロシアがソ連だった時代に、かの国で演奏旅行をしたことがある。
当時ソ連では、共産党の独裁体制であり、政治はもとより、芸術の分野でも当局の許可のない曲を公開の場で演奏することができなかった。
 あの当時、たしか、クラシック音楽の世界では19世紀の音楽、たとえばシェーンベルグなどの音楽は禁じられていたと思う。

 こともあろうに、彼は独裁政権下のロシアでその曲をあえて演奏した。
その時に録音された音を僕は聞いたことがあるのだが、彼がコンサート会場でこれからその曲を演奏すると聴衆にアナウンスすると、誰かが大声を出しているのが聞こえた。
あとで何かで読んだのだが、そのとき、会場に来ていたソ連の音楽大学?の教授たちがそれは禁じられている曲だ、とかなんとか叫んで席を立って会場から出ていった、という事だった。(僕の記憶が正しければだが)

 そのときまだしゃべっていたグールドは一瞬ためらったのだろう、しゃべるのをやめたのだが、そのすぐあとそれまでよりもさらに大きな声で、ふたたびこれからその曲を演奏することを会場で伝えていた。誰が止めようと自分はやめないという意思がこもった声だった。
当時の彼はまだ20代後半ぐらいか30歳ぐらいだったろう。僕はそれを聞いて、この人はすごいなと思った。

 芸術、とりわけ「伝統」、政治体制によってはある種の権力、というものが非常に重い枠として個人の上にのしかかってくる分野では、譲れないものは決して譲らない勇気、自己が信じるものへの本当の意味の誠実さ、というものを持っている必要はある、たとえその結果その人の芸術家としての地位を失うことになったとしても。

 僕は彼女の演奏を聴きながら、どうかそうあってほしいと思う。
いずれにしても、僕にとっては注目の演奏家である。

 
コメント
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