高倉健さんが逝った。
次回出演作の準備中だったというから、本当に急なことだったのだろう。
異彩を放つ役者が逝ったなという気がする。
芸能界に「男」を売りにする者はおおけれど、みな「俺様」的な臭いが鼻につく者が多く、そんな中で僕の感覚でいう「男」は彼一人だけだった。
撮影中にも役者のために用意されたい高い弁当には手を付けず、スタッフと同じ弁当でなければ食べないとか、寒いところで仕事をしているスタッフをおもいやり、彼も出演者のために用意された暖房に当たらないとか、彼らしい人柄をほうふつとさせる逸話は多い。
しかし、やはりなんといっても僕の心に迫るのは彼という人間に常に寄り添う「孤愁」である。いや、この人の場合、孤高というほうがいいかもしれない。
さて、無事オーストラリア遠征から帰国した。
ついてそうそう乗った電車の中で、対面式4人掛けの席に座っていたのだが、僕のすぐ前の席にほかの席がまだ空いているにもかかわらず若い女性が座ってきたときは、あぁ、ここは欧米文化圏なのだなと思った。
ふつう、日本ではほかにもあいている席がある場合、わざわざ異性のすぐ前に座る若い女性はいない。
中には自分の隣に異性が座ると席を立ってしまう女性さえいる。なので、そんな対比がとても面白かった。
しかし、行ってみて思ったのはそんな文化的な対比よりも、自分自身の変化だ。
昔の僕ならわくわくしていろんなところに足を延ばしてみたくてしょうがなくなるのだが、今の僕は早く宿に帰ってゆっくりしたいと思った(笑)
いろんなところに行くには当然いろんな人に道や交通機関を聞かなければならない。
母国語ではないので相手によってはあからさまに嫌な顔をしたり、ひどくぶっきらぼうな人もいる。幸い今回の旅ではそんな経験はしなかったが。
昔はそんなこと跳ね返して旅をしていたのだが、今はそれが面倒くさいと思うようになった。
五木寛之が、若いときは海外に出るとほっとしたものだけど、年を取った今は日本に帰ってくるとほっとするといっていたのを思い出した。
それとこれは海外(とりわけ欧米)に出るといつも思うことだが、様々な肌の色、顔の特徴を持った人々があたりまえのように混在しているということ。
日本ではほぼ同じ顔をした黄色人種だけといっていいので、この対比も面白かった。
日本は少子高齢化で労働力が不足し、納税者も不足し社会保障費が増大する中で、やがては移民をしぶしぶでも受け入れなくてはならなくなると思う。
だが、急には無理だろうと思った。あの「異なるものの混在」に、「単一性、同質性」がもたらす安定が何千年も骨身になじんでいる日本人は耐えられないだろうから。
だからその同質性の心地よさの中で、国力、経済力の衰退を甘んじて受け入れていくのだろうと思った。
それを否定しているわけではない、それはそれでまた選んでいい道だろうと思う。その代価を払う覚悟さえあれば。
それと欧米人のテンションの高さかなぁ、感じたのは。
店で買い物をしても店員の感情の量というか、そういうものが大きい。
だからこちらもぶっちょうずらをするわけにもいかず、自然とそれに応じてテンションが高くなる(悪い意味のテンションではない)。
それはそれでいいのだが、いつの間にかそれにさえ疲れている自分にも気づく(笑)
あらためて文化というものの人間に対する規定力というか、定義力というか、形成力というか、そういうものを感じざるを得なかった。
一番うれしかったのは安心してなんでも食べられるということだった。
日本、とりわけ東日本ではそうはいかない。
もちろん日本でも何も気にしてない人は多い。多くの人はいつ弾丸が発射されるかわからないロシアンルーレットの引き金を引き続けている。
というか、確率統計的には一生の間に何十発~何百発は当たるだろう。ただ、「その時は」痛みも何にもないので意識できないだけである。
僕にはとてもそんな蛮勇はない、とりわけそれがやがてもたらすであろう病苦を見てきたものとして。
今、祖国のもたらす安心感、居心地の良さに浸りながら、同時に、祖国を追われて難民化せざるを得ない中東やウクライナの人々の困難を思うと…言葉が出てこない。
話題は変わるが、いまベニシアという日本に住みついた英国人女性の映像をユーチューブで見ている。
いわば、辰巳芳子と似たタイプのライフスタイルを送っている人なのだが、辰巳芳子がちょっと近づきがたいものを持っているのに対して、こちらのほうはなんともナチュラルで
町ですれ違えば思わず話しかけたくなるようなタイプの人である。
この人の映像の中でこの人自身の珠玉の言葉がエッセイとして語られるのだが、その中で最近とりわけ心に残ったものがある。
それは、真に豊かな人とは、自分が持っているものの中で満ち足りて生きている人々です、とかいうものだった。
これは本当の智慧(知恵ではなく)である。
最近とみに僕自身もこのことは思っていることなので、特に心の奥に染みてきた。
何かと最近はストレスが多くて、そんななか、この人の映像はある種の憩いのようなものになっている。