今年の紅葉は2日間だけ楽しんだ。高尾山と鎌倉の妙本寺、そして同じく鎌倉の妙法寺。
高尾山の紅葉は素晴らしく、まにあった!という喜びが大きかった。とくに僕の現在の親友の一人と行けたのでその喜びもさらに大きかった。
上りながらずいぶん前、母と一緒に行った時のことを思い出した。
実はこの日は新しく買ったカメラ、Sony のZV E10を使って撮った。
なぜカメラを購入したかというと数週間前に行った箱根で僕の愛用カメラであるNikon D7100を失くしてしまったから。
失くした場所は大体わかっていたのでそこに電話して届いてないかどうか聞いたのだが、届いてなかった……いままでの経験から言って大体届いているだろうと思っていたのでこれはショックだった。
よく外国人などが日本では物を失くしても遺失物として届いていることが多い、素晴らしい国だなんていうユーチューブ動画などがよくあるし、実際僕もそれは日本の素晴らしい点だと思っていた。まぁ、一回そういうことがあっただけで断定はできないが、僕はこの経験で日本もすこし変わってきたんだなぁという思いを持った。昨今はやりの闇バイトなどを見ても、その思いを強くしている。
それともう一つのカメラCanon Eos Kiss10も買ってわずか3年にも満たないのに不具合で使えなくなっていることもあり、しかもその修理に4万円弱ほどの修理代がかかるといわれ、新しいカメラの購入に踏み切らざるを得なかった。
ただ、このソニーのカメラはこれから動画に注力しようとしている僕には最適のカメラであり、結局これでよかったのだろうと思う。
出来上がった写真を見ると画質がとにかく素晴らしく、今はどこのどのカメラを使っても質の高い写真が撮れるということが実感できた。
なので新しいカメラが出たからと言ってそれを次から次へと追いかけるのではなく、一つのカメラに習熟し、カメラの機種などよりずっとずっと大事な写真撮影の腕を上げること、画像加工の腕を上げることに注力することのほうがはるかに大事であることを再確認した。
高尾山に行ったときは朝8時くらいだったのでそれほど人はいなくて安堵したのだが、下山するころには100mはあろうかと思うほどの長蛇の列ができていて、しかもそのほとんどが外国人、ニュースなどでよく報道されているオーバーツーリズムを自分の目で確かめることになった。高尾山でこれなら、これは京都にはもういけないなぁなどと嘆息……
高尾山に行ったときは友と二人、鎌倉に行ったときは動画を撮影したこともあり一人で行った。
友といったときはただひたすら楽しい喜びが増幅する旅であり、一人で行ったときはじっくりと自然や寺社の美しさをあじわいその中にひたることができる旅であり、どちらもそれぞれに貴重な体験だった。
今年は僕にとって非常に貴重な年であることは最近とみに感じていて、長年の心の夢が形となって生まれようとしている。そんなとしに上に載せたような感動的な富士山の姿を目にすることができたことはほんとうにぼくにとっては吉兆だと感じている。この高尾山頂から見た富士山は僕が今まで見たどの富士山の風景よりもすばらしく心動かされた。一生に一回は見ておくべき富士だとさえ思う。
生きてきてよかった…そう思うことが重なる、ありがたい年である。