気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

今年の紅葉

2024-12-06 02:30:56 | 日記

 

 

 

 

 

 今年の紅葉は2日間だけ楽しんだ。高尾山と鎌倉の妙本寺、そして同じく鎌倉の妙法寺。
高尾山の紅葉は素晴らしく、まにあった!という喜びが大きかった。とくに僕の現在の親友の一人と行けたのでその喜びもさらに大きかった。
 上りながらずいぶん前、母と一緒に行った時のことを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はこの日は新しく買ったカメラ、Sony のZV E10を使って撮った。
なぜカメラを購入したかというと数週間前に行った箱根で僕の愛用カメラであるNikon D7100を失くしてしまったから。
失くした場所は大体わかっていたのでそこに電話して届いてないかどうか聞いたのだが、届いてなかった……いままでの経験から言って大体届いているだろうと思っていたのでこれはショックだった。


 よく外国人などが日本では物を失くしても遺失物として届いていることが多い、素晴らしい国だなんていうユーチューブ動画などがよくあるし、実際僕もそれは日本の素晴らしい点だと思っていた。まぁ、一回そういうことがあっただけで断定はできないが、僕はこの経験で日本もすこし変わってきたんだなぁという思いを持った。昨今はやりの闇バイトなどを見ても、その思いを強くしている。

 

 それともう一つのカメラCanon Eos Kiss10も買ってわずか3年にも満たないのに不具合で使えなくなっていることもあり、しかもその修理に4万円弱ほどの修理代がかかるといわれ、新しいカメラの購入に踏み切らざるを得なかった。
ただ、このソニーのカメラはこれから動画に注力しようとしている僕には最適のカメラであり、結局これでよかったのだろうと思う。

 

 

 



 

 

 



 出来上がった写真を見ると画質がとにかく素晴らしく、今はどこのどのカメラを使っても質の高い写真が撮れるということが実感できた。
なので新しいカメラが出たからと言ってそれを次から次へと追いかけるのではなく、一つのカメラに習熟し、カメラの機種などよりずっとずっと大事な写真撮影の腕を上げること、画像加工の腕を上げることに注力することのほうがはるかに大事であることを再確認した。

 

 高尾山に行ったときは朝8時くらいだったのでそれほど人はいなくて安堵したのだが、下山するころには100mはあろうかと思うほどの長蛇の列ができていて、しかもそのほとんどが外国人、ニュースなどでよく報道されているオーバーツーリズムを自分の目で確かめることになった。高尾山でこれなら、これは京都にはもういけないなぁなどと嘆息……

 

 高尾山に行ったときは友と二人、鎌倉に行ったときは動画を撮影したこともあり一人で行った。
友といったときはただひたすら楽しい喜びが増幅する旅であり、一人で行ったときはじっくりと自然や寺社の美しさをあじわいその中にひたることができる旅であり、どちらもそれぞれに貴重な体験だった。

 

 今年は僕にとって非常に貴重な年であることは最近とみに感じていて、長年の心の夢が形となって生まれようとしている。そんなとしに上に載せたような感動的な富士山の姿を目にすることができたことはほんとうにぼくにとっては吉兆だと感じている。この高尾山頂から見た富士山は僕が今まで見たどの富士山の風景よりもすばらしく心動かされた。一生に一回は見ておくべき富士だとさえ思う。

 

 生きてきてよかった…そう思うことが重なる、ありがたい年である。

 

 

 



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知られざる一面

2024-12-02 18:34:13 | 歴史

 

 

 

 永青文庫で展示されている信長自筆の書状を見てきた。
この写真は永青文庫で販売していた書籍の写真を写したもの。これは1577年松永久秀が信長に反旗を翻しそれに信忠を総大将とする追討軍を派遣したときに、その追討軍に参加し松永方の片岡城攻めで一番乗りを果たした若干15歳の細川忠興に与えた感状(感謝状)である。

 

 戦国時代の大名の手紙というのは通常大名本人が書くのではなく、右筆とよばれる人が代わりに書いて出される。しかしこの書状は信長自身が筆を執って書いている。信長の自筆書状というのはとても少なく、どれだけ信長が忠興の手柄に大きく心動かされたかが感じ取れる。
 信長公記にも「年にも足らざる両人(忠興と弟の興元)の働き比類なきの旨、御感なされ」と書かれている。

 



 与一郎(忠興のこと)
 働手から[ 読み取り不可 ]
 かしく、
 おりかみ 披見候、

 いよいよ
 働候
 事候、
 無油断
 馳走候へく候、

 十月二日(天正5年)
 与一郎殿

 

現代語訳すると
『手紙を披見した。さらに励んで働くように。たいへんな手柄であった。』


 

 まずこの書状を、この実際に信長が書いた書状を自分の目の前数十センチで「目撃」した感動はなかなか言葉には表せないものがあった。
もちろん信長という人は実在した人物だ、それはわかっているわかっているが、やはり「どこか」今自分が存在しているこの現実世界の時間的延長上に存在していた人物とは感覚的に100%信じ切れていない部分があった。しかし、この信長が直接筆を執ってしたためた書状を目の前わずかな距離で見たことで、それは間違いないことだったんだなということを現実感覚として感じた。わかってもらえるだろうかこの感覚…

 
 この時期の研究をしている学者の言葉に、実際にその当時の状況をリアルタイム目撃しているかのような錯覚にとらわれる、というような言葉をどこかに記していたが、まさにその感覚である。

 そして思うのは、信長という人の今までの僕には未知の一面を垣間見せてもらったという新鮮な感覚。
まだ15歳と13歳ぐらいの今でいう子供が、城攻めの一番乗りを果たしたということを細川藤孝からの書状で知らされて非常に感じ入ってわざわざ自分で筆を執ったということ…その信長の心におもわずハッとさせられるものがある。

 
 打てば響くというが非常に感じやすい(感動しやすい)人であったことがそこからくみ取れる。
ふつうの人物ならそのような話を聞いても、藤孝に忠興たちの手柄に自分が大いに感じ入っていたと伝えるように書き伝えるだけではないだろうか。自分でじかに筆を執って感状を送るというところになんともいえない信長の人間的魅力を見る思いがする。

 

 秀吉もその他多数の家臣たちも信長のこういう側面によって非常に鼓舞され、さらに手柄を立てよう、たてて出世しようという意欲を掻き立てられたに違いない。
能力とやる気のある人間にとって信長ほどつかえていてつかえがいのある武将はいなかっただろう。門閥にかかわらず能力、実績をのこした人間、たとえば秀吉のような農民同様の低い身分の人物を国持大名に取り立てていったことのその根本大本には信長のこのような気性、気質があった。

 

 それと付随して今回信長の自筆書状を見て感じたのは、信長は相当の能筆家だということである。

 

 

 

 

 


 上の書状は信長の右筆を務めた武井夕庵あての書状だが、最初の書状に加えてこれなどを見ても一つの立派な芸術作品といってもいいほどの出来の書である。
ここから想像できるのは信長は相当の芸術的な感性の持ち主だっただろうということだ。この当時から家臣に褒美として茶器などを与えていたというが、ほぼ間違いなく信長はほかのだれかその道のわかるものの評価を聞くまでもなく、自分自身でその茶器の本当の価値を見抜く眼を持っていたのではないか、ということが類推できる。
 これほどの書を書くものが茶器の真贋を見極める目を持っていないということは考えられない。

 

 最後に付録といっては何だが、光秀自筆の書状も展示されていたのでそれをのせてみたい。

 

 

 

 

 

  これは本能寺の変のわずか7日後に光秀が細川藤孝にあてた書状だ。ニョロニョロとしていていわゆるミミズのはったような筆跡であり、これも光秀という人のなにがしかを伝えているような気がする。
 しかしこれも「あの」光秀がかいた自筆の書状である。すこし意外な気がするのは三箇条の覚書という形をとっているところだ。光秀と藤孝はかつては同じ主君(足利義昭)に仕えていていわば古い付き合いの間柄だ。信長に仕えるようになってからもこのふたりは同僚といっていい関係であり、しかも光秀の娘は藤孝の子忠興に嫁いでいる、それを考えるとこの書き方の「よそよそしさ」が僕の目には奇異に映る……
 この書き方の中に主君を殺害したことに対する微妙な後ろめたさ、罪悪感、そこからうまれる開き直り的な感覚……がにおってこないだろうか。

 この展示会には当時信長と藤孝が交わした書状がほかにも複数展示されていて、それら信長の書状の中でいろいろな指示を藤孝に出しながらも、大事なことは光秀と相談するようにという言葉が随所にあって、信長の光秀に対する信頼がいかに厚いものであったかということが感じ取れた。そしてその信頼は信長の死の前までずっと続いていたらしいことがわかり、それを思うにつけどうしても『なぜ』という思いが自分の中に立ち上がってくるのを禁じえなかった。
 
 この二人の相手に対する受け止め方の差異、落差は何だろう、どこから生じたのかという思いである……


 以上、いろいろなことを考えさせられ、本当に歴史好きなものにとっては貴重な、貴重な、得難い体験をさせていただいた。

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