フランスでとんでもない出来事があった。
BBCをみていると犯人の銃撃から逃れるために2階の窓からぶら下がっている女性の姿などがあった。
事件のことはまずは置いておいて、ああいう事件に遭遇すると人間てどんな心境になるのだろうと考えた。
僕が最も死を意識したのは、やはり4年前の東日本大震災の時、だったような気がする。その前にも人為的な意味でもしかしたら命も危ないかもしれないと思ったことはあるが。
僕の人生では幸いなことにこの2回だけである。
でもやはり、4年前の大震災のことが圧倒的な恐怖とともによみがえってくる。
古い方のブログにも書いたことだが、揺れが始まった時、僕は地下鉄から降りて階段を上がっているところだった。
ふと後ろを振り向くと老女が「揺れてるね」といいながら手すりにつかまって立っていた。
僕もあぁ、また地震かぐらいの気持ちでいたところ、たちまちその揺れが尋常なものではないことに気づいた。
ひざから下が円を描くように動いていたのを体感的に覚えている。
関東に住んでいると地震というのは日常茶飯事なので、少々の揺れではあまり驚かないのだが、あの揺れは本当に尋常なものではなかった。生まれて初めての激しい揺れだった。
地下鉄だったので、屋根の崩落を恐れて人々がものすごい勢いで地上に向けて駆け上り始めた。
その時僕も一瞬電車の中に戻ろうか、地上に上ろうか迷ったが、地上のほうがやはり安全だろうと思い階段をかけののぼろうと思っていた。
ただその老女をほうっておいて自分だけ逃げてもいいのだろうかと思った。
とにかく彼女を地上に連れて行かなければならないと思い、手を取って一緒にゆっくり上り始めた。
そんな中でも周りはどんどんものすごい勢いで駆け上がっていく。
僕はそのとき、このままこの老女とともに死ぬかもしれないな、と思った。この時が僕の人生で最も死というものを身近にリアルに感じた瞬間だった。
この時の背筋の底から寒くなっていくような恐怖は今でも覚えている。
とにかく早く階段を上がって地上に出たかった。出たかったが体が僕の意志に反してその老女のそばから離れなかった。
この人を置いていくわけにはいかない、そういう意思のようなものが強烈にあって、それが逃げたいというもう一つの意志を頑強に押さえつけていた。
あれは不思議な体験だった、心のある部分は走り出したくて仕方がないのに、別の部分が主導権を握っていてどうしてもその老女のそばから離れさせようとしないのだ。
まるで足の底から根でも生えたようにその老女のそばにいた。
あの瞬間…それまで観念的にしか考えたことのなかった死というものが、ものすごくリアルに、どうしても避けることのできない「運命」のようなものとして、僕のすぐそばに存在していた。いまでもおぼえている「もししたら、屋根が落ちてきてここでしぬかもしれない」と思ったことを。
ただ、あの時の僕は圧倒的な恐怖の中にいながらも、心のある部分はどこか冷静だった。
ある種の諦念の中にいたような気がする。
「もしこのまま死ぬとしても、それはそれで俺の運命だ、とにかくこの人を置いていくわけにはいかない」とはっきり考えていたのを覚えている。
ちなみに僕は非常に憶病な人間である。その僕がいったいどうやって…あのときはまるで別人のようになっていた。
今回のフランスでの、あの迫りくる死を逃れようとして2階の窓からぶら下がっていた婦人の映像を見て、今ふとこんなことを思い出していた。
自分の人生で最も「死」が、差し迫っていた時のことを。
あの夫人の脳裏には何があったのだろう。
おそらく僕が感じた恐怖よりも数倍大きな恐怖だったのではないか。
なぜなら、彼女が感じていた恐怖は「純粋な」死の恐怖だったろうからだ。
僕が感じていた恐怖も圧倒的な力で僕に迫っていたが、僕の心はなにか不思議なヴェールで包み込まれるように「守られていた」、いや麻痺させられていたといったほうがいいかもしれない。
それは何か・・・いくらでも言葉を後であてはめることは可能だろう。でも、そういうものを当てはめた途端になにか本質からずれてしまうような感じがする。
死の恐怖さえしのぐ、それにさえ頑強に抵抗させる「なにか」…生き残ると云う事よりもより大きな価値をみいださせる「なにか」…
いままで少なからず不思議な経験をしてきた。そのうちのいくつかはおそらく話しても、99.999%の人は信じないような不思議な経験だったが、僕にとってはあの
4年前の大震災の時の「あの体験」が、もっとも不思議な体験だった。
BBCをみていると犯人の銃撃から逃れるために2階の窓からぶら下がっている女性の姿などがあった。
事件のことはまずは置いておいて、ああいう事件に遭遇すると人間てどんな心境になるのだろうと考えた。
僕が最も死を意識したのは、やはり4年前の東日本大震災の時、だったような気がする。その前にも人為的な意味でもしかしたら命も危ないかもしれないと思ったことはあるが。
僕の人生では幸いなことにこの2回だけである。
でもやはり、4年前の大震災のことが圧倒的な恐怖とともによみがえってくる。
古い方のブログにも書いたことだが、揺れが始まった時、僕は地下鉄から降りて階段を上がっているところだった。
ふと後ろを振り向くと老女が「揺れてるね」といいながら手すりにつかまって立っていた。
僕もあぁ、また地震かぐらいの気持ちでいたところ、たちまちその揺れが尋常なものではないことに気づいた。
ひざから下が円を描くように動いていたのを体感的に覚えている。
関東に住んでいると地震というのは日常茶飯事なので、少々の揺れではあまり驚かないのだが、あの揺れは本当に尋常なものではなかった。生まれて初めての激しい揺れだった。
地下鉄だったので、屋根の崩落を恐れて人々がものすごい勢いで地上に向けて駆け上り始めた。
その時僕も一瞬電車の中に戻ろうか、地上に上ろうか迷ったが、地上のほうがやはり安全だろうと思い階段をかけののぼろうと思っていた。
ただその老女をほうっておいて自分だけ逃げてもいいのだろうかと思った。
とにかく彼女を地上に連れて行かなければならないと思い、手を取って一緒にゆっくり上り始めた。
そんな中でも周りはどんどんものすごい勢いで駆け上がっていく。
僕はそのとき、このままこの老女とともに死ぬかもしれないな、と思った。この時が僕の人生で最も死というものを身近にリアルに感じた瞬間だった。
この時の背筋の底から寒くなっていくような恐怖は今でも覚えている。
とにかく早く階段を上がって地上に出たかった。出たかったが体が僕の意志に反してその老女のそばから離れなかった。
この人を置いていくわけにはいかない、そういう意思のようなものが強烈にあって、それが逃げたいというもう一つの意志を頑強に押さえつけていた。
あれは不思議な体験だった、心のある部分は走り出したくて仕方がないのに、別の部分が主導権を握っていてどうしてもその老女のそばから離れさせようとしないのだ。
まるで足の底から根でも生えたようにその老女のそばにいた。
あの瞬間…それまで観念的にしか考えたことのなかった死というものが、ものすごくリアルに、どうしても避けることのできない「運命」のようなものとして、僕のすぐそばに存在していた。いまでもおぼえている「もししたら、屋根が落ちてきてここでしぬかもしれない」と思ったことを。
ただ、あの時の僕は圧倒的な恐怖の中にいながらも、心のある部分はどこか冷静だった。
ある種の諦念の中にいたような気がする。
「もしこのまま死ぬとしても、それはそれで俺の運命だ、とにかくこの人を置いていくわけにはいかない」とはっきり考えていたのを覚えている。
ちなみに僕は非常に憶病な人間である。その僕がいったいどうやって…あのときはまるで別人のようになっていた。
今回のフランスでの、あの迫りくる死を逃れようとして2階の窓からぶら下がっていた婦人の映像を見て、今ふとこんなことを思い出していた。
自分の人生で最も「死」が、差し迫っていた時のことを。
あの夫人の脳裏には何があったのだろう。
おそらく僕が感じた恐怖よりも数倍大きな恐怖だったのではないか。
なぜなら、彼女が感じていた恐怖は「純粋な」死の恐怖だったろうからだ。
僕が感じていた恐怖も圧倒的な力で僕に迫っていたが、僕の心はなにか不思議なヴェールで包み込まれるように「守られていた」、いや麻痺させられていたといったほうがいいかもしれない。
それは何か・・・いくらでも言葉を後であてはめることは可能だろう。でも、そういうものを当てはめた途端になにか本質からずれてしまうような感じがする。
死の恐怖さえしのぐ、それにさえ頑強に抵抗させる「なにか」…生き残ると云う事よりもより大きな価値をみいださせる「なにか」…
いままで少なからず不思議な経験をしてきた。そのうちのいくつかはおそらく話しても、99.999%の人は信じないような不思議な経験だったが、僕にとってはあの
4年前の大震災の時の「あの体験」が、もっとも不思議な体験だった。