気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

鎌倉散歩 2018.4.30

2018-04-30 08:17:34 | 日記

英勝寺白藤

 

 確定申告の準備でどこにも出られなかったうっ憤を晴らすかのように、ここのところ週末は出ずっぱりである。
まずは先週行った英勝寺。
 ここの白藤が美しかった。

 長く続いた(多分10年ぐらいかな?)改修工事も終わって、完全な姿を初めて見た。
改修が終わったといっても、派手な色に再塗装してリニュウアルというのではなく、たぶん壊れているところだけを修理したのだろう、非常に地味な改修後のすがただった。それが逆に良かった。

 あれだけ改修期間が長かったというのは、おそらく改修費用の工面に苦労したのだろうと想像する。
どこかの金持ちが檀家にいて、そこからドカンと寄付を受けての改修というのとは違い、信心深い信徒、檀家からのささやかながらも心優しい寄付を地道に受けての改修だったのではないか。
 それだけにそれを見る僕も、何か愛情のようなものを持ちながら参拝、写真撮影をした。

 僕がこの寺に他の寺からは感じない、愛着というか、興味というか、そういうものを感じるのは、ここは昔あの太田道灌の邸宅があった場所だからだ。
無類の戦上手で、しかもなおかつ文芸にも造詣が深かったといわれているあの太田道灌の邸宅である。
 日本史の中で彼のようにインテリでありながら同時に名実ともに優れた戦術家だっという人物はほかにいるだろうか…
唯一そのにおいを感じるのは上杉謙信ぐらいか…あとは太源雪斎がいるが、この人の場合、「戦術家としての実績」が輝かしい戦歴を持つ今あげた二人に比べてやや見劣りがする。

 中国史で「名実ともに」学問と戦術の才を兼ね備えた武将は…やはり諸葛孔明か、それと僕がいま読んでいる孫子の著者といわれている孫武か…残念ながら僕は中国史にはそれほど詳しくないので、これ以上はわからない。あぁ、もう一人忘れてはならない人がいた、しかも現代にかなり近い時代に、毛沢東だ。
 この人は平時であれば一流の学者か文芸家になれたほどのインテリであり、同時に、きわめて優れた稀代の戦術家でもある。実績はいうまでもなく、近代史が明白に示している。

 毛沢東がそういう評価をされていないとすれば、それは今と時代が近すぎてまだ純粋客観的な評価を受けにくいこと、なおかつ、日本人が中国(人)に対して抱いている「複雑かつ屈折した」感情ゆえだろう。 
 そういう明晰な悟性、理性を曇らせる余計なフィルター、屈折レンズが取れるほど時代が下っていけば、必ずそう評価される時が来ると僕は信じている。

いずれにしても、そういういわれがある場所なのでこの英勝寺に行くと何とも言えない感慨を覚える。
それともう一つ忘れてはならないのは、このお寺にある観音像だ。




 とてもお優しいお顔をしている。正直、こんなにお優しいお顔をした観音様を見たことがない。

 

英勝寺境内



 このお寺に行く前に長谷の長谷寺で写経をした。
残念ながら明鏡止水の心境というわけにはいかなかった。
 ここでは写経をする際、下に薄くきれいな般若心経が印刷してあり、それをなぞっていけばまぁ、相当の悪筆の人でもそれなりの写経ができるようになっている。
 
 僕も最初はそれをなぞっていたのだが、そうしている間に気づき始めた。
それをなぞればなぞるほど確かに無難な字にはなるのだが、なぜかかえって僕の目には下手な字になるような気がした。
 むしろ、それを全く無視して自由に書いてみると、とてもいい字になるのだ。

 僕はそれを見て、スポーツ、学問、なども含めたあらゆる芸法、術、技法の進むべき求め方というか、そういうものの本質を見た思いがした…
最初はもちろん、うまい人のお手本をまねすることから始めなければいけない、しかし、いずれはそれを超えて「自分独自の道」をみつけ、それを漱石流に言えば「うんうん牛のように」辛抱強く押し続けていかなければならないのではないかと。 
 そうしてその自分独自の道を極めたところに、逆説的ではあるがある共通の至高領域のようなものがあるような気がする。


長谷寺




 長谷寺で写経が終わった後、江ノ電で鎌倉に戻り、小町通を歩いて北鎌倉方面に歩いて行った。
そこで浄智寺に入った。
 ここには南北朝時代から伝わるやはり観音像があるのでその像を拝顔拝礼した。
南北朝といえば尊氏の時代である。しかも浄智寺は尊氏の邸宅があった現長寿寺から近い。もしかしたら、時代さえ重なっていれば尊氏もこの像を拝んだかもしれない、などと思うとなかなか楽しい。


円覚寺



 この日はそこで体力の限界が来たので帰路についた。
そして昨日は、仕事でくたくたに疲れながらも、鎌倉行きたさにまた出かけて仏行寺という寺に行った。
このお寺の存在は知っていたのだが、なにぶん、交通の便が悪く、鎌倉駅からバスで行き、しかもバス停から15~20分ぐらい歩かなければならない。

 なのでつい足が遠のいていたのだが、僕のかつての先生の奥様がフェイスブックでアップしている記事にこのお寺のことがあり、それで行くことにした。
このお寺はつつじで有名で、行ってみると確かに一面つつじが咲いていた。








 このお寺は鎌倉幕府樹立に功のあった梶原景時の邸宅があったといわれている。
景時は鎌倉初期の武将の例にもれず悲劇の武将で、幕府成立後の権力闘争に敗れ子の景季とともに殺されてしまう。
その悲劇の後、あとに残された景季の奥方がここで自害したといわれている。それからここでその女性が悲しみになく声が聞こえるようになり、
土地の人々やこの辺りを支配することになった武士であろうか、その霊を鎮めるために建立したと伝えられている。

 つつじは裏山にあるのだが、かなりな急こう配で手すりもなく、バランスをとることに自信のない方(特に高齢の方)はのぼるのは避けたほうがいいかもしれない。僕もかなりつかれているときに行ったので、転落の危険を感じながら登った。
 ここには景季の片腕を埋めた塚があるのだが、何分僕は感じやすい性質なのでそこへ行くのはやめた。(ビビったというのとは意味が違うのでくれぐれもお間違えなく)

 
 ここで参拝後やはり仕事の疲れがいかんともしがたく、やむを得ず帰宅した。
ここからバス停までの田舎道を歩きながら考えた(漱石の口調で『笑』)、僕の人生は苦難の前半生を終えた後、今ようやく安定するようになったということを。
ここからは遠慮なく自分の人生を楽しんでいきたいとおもった。
 
 2年ほど前のことだが、僕の信仰する神ゆかりの地を訪れたとき、たまたま関西から来たおばちゃまたちの一行と駅で出会った。
彼女たちも同じ信仰を持つ人々で、ぼくらはそこで立ち話をし、タクシー代を節約するために同じタクシーで行った。
 その時に、そのグループの一人が僕に話しかけてきて、僕にとっては印象的な話をした。

 それが場所が場所(僕の信仰する神と信者にとってとても重要な場所)だっただけに、とりわけ印象に残った。
そしてその時その方がおっしゃった言葉がいまの僕をある意味支えているといっていい。
 
 僕らは普段、深くものを思うことなく人と会話をしている。
彼女もあの時、実にさりげなく、深くものを思うこともなく僕に話しかけてきたに違いない。
しかし、その言葉がこうして僕の心に残り、今でも僕を支えている…

 もちろんあのようなことをおっしゃるからには、相当信仰心篤い人であり、信仰を持ってからも日々の中で自分の心を磨いてきた人に違いない。
だからこそ、見ず知らずの他人の心に一生残るような言葉を残せる。
 人のために役立つことをするために、なにも特別なことをする必要はない。ただ自分の心を磨いていけばいいのだ。

 外のために生きるためにはまず中を磨く。
中を磨けば、ごく自然にその人なりのありかたで外のために生きていくことになる。
その道は千差万別である。どれが優れていてどれが劣っているかなどということはない。

 問題は、意図せずとも自然に磨かれていく「流れ」に乗れるかどうか。
そして流れに乗った後は、それに自らの意思も織り交ぜて、磨いていけるかどうか。
そうなればただもう自分自身であればいい、それだけでおのおののありかたで世の役に立っていくことができる。
何になるか、何をするかなどは、二義的なことになる。

 そんなことを考えた今日この頃である。

 

 

  

 

 

 
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箱根紀行と日本の近未来

2018-04-17 08:43:42 | 日記




 久しぶりに箱根を歩いてみた。
東京がそれほど寒くなかったのでシャツにジャケットという軽装でいったのだが、箱根についてみるとやはり標高が高いだけあって肌寒かった。
ただ、寒いことは比較的平気なのでそれほど苦にはならなかったが。

 ある程度の長さを生きた人にしかわからないと思うが、どこに出かけるにしても何らかの思い出がある場所に行くとその思い出が生き生きとよみがえってくる。今回もそういうことが何度かあり…それがよくもあり悪くもあるのだが、しかし、もうこれだけの時間が過ぎてみると悲哀よりも懐かしさのほうが勝って感じられてくる。

 今回は現地に着くまで細かい予定は考えてなかった。
僕はこういうことをあらかじめこまごまと決めて旅行しないタイプである。そのほうが意外感があり楽しいからだ。
 なので、今回はいくつかあったオプションのうち可能性が比較的少ない方法をあえて選んでみた。

 電車で元箱根に行き、そこから登山鉄道で早雲山にのぼった。
箱根の山は新緑真っ盛りで、曇りの日独特の幻想的な光線も手伝って、あふれんばかりの濃い新緑の緑が空気の中に薄く溶け込んでいるかのようにさえ見えた。

 電車は観光客で満員で、しかもそれがほとんど(多分80~90%)外人の観光客ばかりだった。
なので社内で聞こえてくるのは英語はもとより、中国語、スペイン語、イタリア語、ベトナム語…見えてくる顔もいろんな顔…ここはいったいどこの国なのかと思うほどだった。

 はっきりとは覚えていないが、僕が子供のころ箱根に来たときは周りはほとんど日本人の観光客ばかりだったように記憶している。
今昔物語ではないが、ほんとうに変わってしまったものである。

 それと元箱根の駅に着いたときに一番目についたのが、様々な案内板、電光掲示板がすべて多言語(英語、中国語、韓国語)になっていること。
そればかりでなく、駅には英語の堪能な職員が流ちょうな英語で外人観光客を案内し、なかには外国人の鉄道会社職員までいたことには驚いた。
いうまでもなく、こんなことは十四、五年前でさえなかったと思う。

 ぼくはそれをみて、これが多分この国の来るべき未来図ではないかと思った。
少子高齢化で日本人自身が少なくなり、また、日本人自身も高度成長期の時のような豊かさを失い平均所得もかなり落ちていると報道されている。
一泊3~5万円もする日本の旅館などに、かつては多くの日本人が泊まりに来ていたのかもしれないが、いまではそんな出費のできる日本人はかなり少なくなっているのではないか。

 今回もう一つ気づいたのが、あれほどべらぼうに高かった箱根登山鉄道や、ロープウェイの料金が下がっていたことだ。
いまから15年ぐらい前は、わずか40分ぐらいの距離を往復するのに4000円弱もとっていたと記憶している(僕の記憶が正しければだが)。海外の観光客がその料金表を見て渋い顔をして引き返していたのを覚えている。
 そんな料金でも日本人は当たり前のように支払って当時はのっていた。

 それが昨日行った時には、あの時の値段のたぶん7~8割ぐらいに下がっていたようにおもう。(ただ、もしかすると区間を短く区切って下がったように見せていたのかもしれない)
つまり、もうそんな高い料金設定をしても当たり前のように乗ってくれた日本人観光客が少なくなった、ということではないだろうか。それでやむを得ず値下げをしたのではないかと想像した。

 これは数年前から気付いていたのだが、今、箱根の芦ノ湖湖畔の風景は閑散としている。
まだ夕方の6時ぐらいであるにもかかわらず、すでに喫茶店やレストランは閉店しているのだ。僕はそれを見て寒々とした思いがしたものだ。
もう日本の観光地は外国人、とくに中国人をはじめとする東南アジア系の観光客なしには成り立たないのではないか。

 そしてこれはひとり観光地だけでなく、都心でも外国人相手の免税店がその辺でよく見かける小さなお店にまで広がっているところを見ると、もう小売り産業も外国人なしではやっていけなくなっているのではないだろうか。
 客ばかりではない、ここ10年くらい、コンビニや外食産業では外国人の店員を目にすることも全然当たり前のようになっている。

 日本人を募集しても人口が減ってきているために、なかなか若い人が応募してこないのだろうと想像する。
僕が25,6年前、ヨーロッパの大都市を旅した時に見た白人だけでなく、様々な顔立ちや肌の色の人々が溶け込んで暮らしていたあの風景が、いま日本で現出し始めている。

 ただ違うのは、ヨーロッパでは彼らを移民として受け入れてきたのに対して、この国ではいまだにそれには踏み切っていないことだ。
国民気質が保守的で、同質なもの同士で集まり、異質な存在を自分たちの内部に入れることに強い抵抗感を持つ日本人であれば、それも自然なことだ。
しかし、いつまでもそれでいいのかと思う。

 彼らヨーロッパの政治家、識者、官僚たちは洞察したに違いない。先進国共通の問題である少子化の抜本的な解決策はそれしかないと。
 特にドイツは今や先進国唯一といってもいい黒字財政国であり、ヨーロッパのみならず世界の最優等生である。その背景の一つには、移民を受け入れた彼らの先達たちの英断があった。たとえ国民に不人気の政策であっても、その国に真に必要なことはやる、すぐれた政治家に共通するこの資質と行動力、彼らにはそれらがあった。

 第二次大戦中の借金まみれだった戦争中の日本を上回る割合の借金、世界最大級の借金を持ち、毎年国家予算の2倍以上の国費を消費し、医療費だけでも国家予算に匹敵する額を使っているこの信じられない財政状態のこの国でである。
 しかも、世界の人類史上いまだ経験したことがないスピードで進むこの国の少子化。

まじめに働き、まじめに税金を納めている良質な外国人を移民として受け入れていき、彼らにどんどん税金を納めてもらうようにしていかなきゃならない。
もちろん様々な摩擦も起きてくるだろう、ただもうそんなことを言っている場合ではない状況になっている。

 昔動物番組で、ある島にいるネズミに似た動物を特集していて、その動物はある時狂ったように集団で暴走を始め、そのまま走れば海岸のがけ下に転落するとわかっていても走り続け、最後は集団で転落死してしまうというものがあり、不思議だなぁと思ってみていたのを覚えている。
 僕はそれと同じ感覚をいまの日本人、日本の政治家、官僚たちを見て抱く。

 不思議だなぁ、と。

 

 とまぁ、暗いことばかり書いてきたが、闇あるところに光あり、光あるところに闇もある、この二つはお互いの存在なしには存在しえない…とバシャールも言っているように、この箱根を見て当然明るい未来も垣間見える。
 それは、これからの時代は語学の得意なものにとってはいい時代になるのではないかということ。

 英語は当たり前として、それ以外に中国語や他のアジア言語(僕の感覚ではベトナム語あたり)が喋れる人にとってはとてもいい時代になると思う。
これらの言語が話せると、たぶん、一生食べることに困らない時代になるだろう。サービス業界や商社では特に中国語は必須言語になる。
 21世紀のキーワードは『中国語』である。

 これをマスターすることは、すなわち、一生お金を生み出してくれる打ち出の小槌を手に入れたのと同じ事であろう。
ここから当然、様々なビジネスチャンスもうまれてくる。

 

 


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