半日断食を始めてもう3週間は経つだろうか。
ほぼ毎日あっている人でさえ「痩せましたねぇ」といわれるくらいに痩せた。
「えぇ、体にいいからやっているんです」と答えても怪訝な顔をされるだけである。
なんか宗教にでもはまってるんかな?ばかだなぁ、とでも思われているのかもしれない。
たしかにバカかもしれない、し、賢者なのかもしれない。
残念ながら僕自身にも確固とした自信があるわけではない。
ただ、たとえこれが嘘だったとしても、僕には脂肪以外失うものはない。
しかも失うものが脂肪ならこんなにありがたいことはないので、「失敗」ということはどちらにしてもないわけである。
風呂で自分の体を見ると、自分がいかに痩せたかがわかる。
以前はおなかがぽこっと出ていたのが、今は真っ平らである。ちなみに以前の僕はとくに太っているわけでもなく痩せているわけでもない中肉中背だった。
今はちょうど、10代後半から20代前半ぐらいの時の体が確かこんなだったのを思い出す。
あのぽこっと出ていた部分が食べ過ぎの結果できた無駄であり、無駄どころか体にとって有害でさえある部分だったことを思うと、本当にありがたいと思う。
さて、肝心の体調だが、もともと特に深刻な病気を持っていないので、特に何かがよくなったと云う事はない。
一つだけ挙げるとすれば、便通であろう。圧倒的に良くなった。
食べるものが少なくなったのに便通がよくなったと云う事は、体の中に何十年もかけてたまってきた(特に腸内の)無駄なもの、有害なもの(宿便)が排出されているというあかしではないか。東洋医学で言う万病のもとである。
それと、これは本当にうれしいことなのだが、半日断食をすることで食べるものがおいしくなったということ。
朝を抜き、昼は抜くか軽く蕎麦だけにしているので、夜食べるものがめちゃくちゃおいしく感じる。
しかも基本、玄米菜食にしているので、以前の僕であれば間違ってもおいしいなんて思わなかった食材であるにもかかわらずである。
ただ、今は酵素玄米を食べているのでそう感じるのかもしれない、これはただの玄米よりも全然おいしいから。
実際、甲田先生の本には、本断食(何日間もお茶やすまし汁など液体のものだけで過ごすこと)が明けた後最初に食べる重湯のおいしさは筆舌に尽くしがたいという。
それは断食をする前は、ほとんど毎日高級レストランに通っていた人でさえそう思うそうだ。
その気持ちは非常によくわかる。
ご飯がおいしいなんて大したことではないと思う人もいるかもしれない。
ところがである、食べるものが本当においしいと思えることは、人間の幸福のためには絶対に必要な要素だと思うようになった。
幸福の基礎、基本だとさえ今は思う。かほどさようにご飯がおいしいと思うようになった。
どんなにお金があっても、どんなにいい家族に恵まれていても、どんなにいい仕事を持っていても、どんなに高級な料理を食べていても、毎日食べるご飯を「本当に、腹の底から」うまいと思って食べられなかったら、その人は真の意味では幸福ではないと、今の僕は思うようになった。
かほどさようにご飯がおいしいと思うようになった。
それと僕がこれほど健康食にこだわるのは、健康の維持のためにプラシーボ効果が働くのを狙っているからでもある。
こんなに体にいいことをしているのだから、病気になるわけがない、という自信が潜在意識にしみこみ、それが健康という現実となって実を結ぶということを狙っている。
なぜなら、この現実世界で起こっていることはすべて自分の意識が作っているからである。(またこういう事を書くと、○○という声が聞こえてきそうだが[(笑)])
いずれにしても、とても面白い体験をしていると云う事だけは確実である。