江の島神社
関東に住んでもう長いが、江の島に行ったのは初めて。
一緒に行ったのは同僚で、最近できた友である。年はまだ35歳くらいで、世代が違うと友情が芽生えにくい日本では珍しいケースである。
彼を誘ったのは彼も写真を撮ることが比較的好きだと聞いたからだ。ただ、彼は僕と違って電車の写真を撮るのが好きらしい。撮る対象が違うので多少の迷いはあったが、まぁ、カメラを持って物を撮るといういう共通項があるので一緒に楽しめるのではないかと思い誘ってみた。もちろん、それにくわえて日ごろ彼の性格に対して好印象を持っていたこともある。
いってみてそれなりに楽しかった。
彼は江ノ電の写真を撮り、僕は八幡宮や江の島神社の写真を中心にとった。
今回行ってみて印象に残ったことのひとつに、おやじパワーの存在感である。
江ノ電を撮っているときに見た何人かの高齢者(そういうと怒られるだろうが)のサーファーや、やはり高齢者の撮り鉄(電車の写真が好きな人)の姿を見て、まさに少子高齢化の進むこの国らしい光景だと思ったし、また、太陽のような笑顔を浮かべながらサーフボードをわきに抱えて歩く彼らを見て、何か頼もしささえ覚えた。
江の島神社
時系列的にはその前なのだが、江ノ電の鎌倉高校前というところがあり、そこからすぐ近くの踏切が江ノ電の有名な撮影スポットらしく、すでに多くの人々が陣取っていた。面白いことに大部分が中国人とみられる人々だった。このあたりを舞台にした日本のアニメが中国で人気らしく、それでらしい。
彼はここからの撮影を楽しみにしていたのだが、あまりに人が多すぎてあきらめたようだ。
僕から言わせるとあのぐらいの人であきらめるのかな?という感じだった。
寺社の写真だったらあのくらいの混雑はよくあることで、それでもなんとか潜り込んで最良のスポットを探して写すもの。
それにしても周りから聞こえるのはほぼ中国語ばかり。実は江の島も中国人観光客と思しき人々がたくさんいて、ほんとうにあらためて中国マネーの大きさを感じた。
日本の保守層の皆さん、中国を怒らせたらあきまへんで、わしら食うていけまへん(笑)
鶴岡八幡宮
その後、鶴岡八幡宮にいき源平池で満開の蓮の花を見た。いままで中開きの蓮の花は見たことはあるが、このように満開の花を見たのは初めてだった。それもこの一輪だけが残っていた。まるで僕らが来るのを待っていたかのように。僕は蓮の花が好きである。理由はわからない。ただ、好きである。
平家も滅び、源氏も滅び、北条も滅び、足利も滅び、織田も、豊臣も、徳川も滅びた、そして、明治政府もみずから自滅するように滅びた(1945年の敗戦)。この世に未来永劫存在しうるものはない。これからも同じことが繰り返されるだろう。そうしているあいだにも毎年花は、咲き、散り、また咲きつづける。八幡宮の倒れた大イチョウももうそのあとから生まれた木がすくすくと育ち今では立派な若木になっている。その若木も数百年後には…また倒れ、そのあとからはまた若木がすくすくと育ち始める、そしてその若木もまた…
鶴岡八幡宮
そして一通り巡った後、この友とは鎌倉で別れそれぞれの道へ。
湯島聖堂
それから一週間後の今日、湯島聖堂を訪れた。
ここは前回の江の島と同じく、関東暮らしの長い僕も初めて訪れるところ。
そしてこの場所で一番先に思い出すのが祖父のことだ。祖父は一生を学問にささげた人で、晩年上京した時に一緒に同行した叔母にどこに行きたいかと問われて、湯島聖堂に行きたいと答えたという。今思うといかにも祖父らしい願いだと思う。
祖父は若い時に関東に暮らしたことがあり、この場所には多分きたことがあるだろう。それにもかかわらず、晩年になってもどこに行きたいかと問われて湯島聖堂に行きたいと答えたという祖父に…微笑を禁じ得ない。
湯島聖堂といえば論語、論語といえば孔子である。
孔子像
この孔子像の前で撮影していると、真後ろの石段に座っている白人の男性がいた。何をしているのかと思いきや、この像を写生していた。
この像を写生するということは、アジアの歴史、文化に対して相当造詣の深い人ではないかと勝手に想像した。
仏教もそうだが、論語も僕らが学校で習うテキストはみな難しい漢語であり、そういうものに抵抗のない人はいいだろうが、僕のようにそれだけでアレルギー反応を起こしてしまう人間とっては、たぶん、成人になってあらためてアジアの生んだこの二人の大巨人の思想に興味を持つまでは縁が遠い人も少なからずいると思う。
それは非常にもったいない。
僕はもうずっと前だが、NHKの番組でこの論語についてある学者(坂田 新 先生だったと思う)が解釈しながら語るものがあってそれをたまたま見ていたことがある。
最初は何だあの論語か、と思いながら聞いていたのだが、聞いているうちにしらずしらずひき込まれた。何に引き込まれたか?それは論語を通じて見えてくる孔子というひとりの人格の持つ美しさである。
そう、ちょうど同じころインドにいたもう一人の巨人、ブッダのことを書き記した原始仏教経典を通じて伝わってくる、ブッダというひとりの人格の持つ精神の美しさに心動かされる、それとおなじ体験だ。
残念ながら、それ以降いつかは論語全体を丹念に読んでいこうと思っていたのにもかかわらず、まだそれは実現していない……
この、我々アジア人にとっては聖書にも匹敵するような大著をいまだに丹念に読んでいないというのは実はかなり恥ずかしいことなのかもしれない。
今はもう少し時間をとって、このかつての僕の心の琴線に触れてきた孔子という人をもう一度よく知りたい、と思うようになっている。それは僕の知識欲からというよりも、美しいものに触れたい、感動したい、それによって自分の人格を少しでもただしたいという想いでからである。
孔子のことばが小難しい漢語になっているのはわかる、そもそも孔子は中国人だからだ。ただ、なぜいまだに漢語のテキストを後生大事にありがたがって読み続けているのかがわからない。なぜ、わかりやすい邦訳を読み、その「読み方」よりもはるかに重要な「内容」により重点を置いた教育をしないのか、僕にはわからない。いや、わかるのだがわかりたくない、というのが本音である。
湯島聖堂内
ブッダや孔子のことを考えていると、ちょうど永井荷風の文章に「倦怠」と題されたものがあると記憶しているのだが、その内容がいまよみがえってきた。
それは2500年前からブッダや孔子、そしてキリストが人の守るべき道、教えを説いてきたにもかかわらず、われわれ人間のその後の歴史をみると彼らの教えは全く生きてない、と嘆いている文章だと記憶している。
今問題になっている日韓関係のことを思うにつけても、荷風のあの文章が僕の中でよみがえってくる。
人に被害を加えたのなら、そしてその人に詫びず、また、償っていないのなら、その人の前にいき詫び、できうる限りの償いをする、それが人の道であり、法の解釈などやメンツ、プライドなどという矮小なことにとらわれて人の道を誤ってはならない、という孔子やブッダ、キリストが今生きていたなら当然そう教えたであろうことがあれから2500年たった今でもあいかわらずできないわれわれがいる。
荷風が数十年前についたため息を、真の良心を持つものは今でもつかなければならない。
もちろんどのくらいの被害を与えたのかいまではもう正確にはわからなくなっているかもしれない。(その事実そのものを否定するものは論外として)
それならば、国際的な検証委員会を作ってもらい委員の選択なども全部当事国以外の国の人々で行い、検証すればいい。『なぜ』江戸の敵を長崎で討つようにして、全く関係のない分野である貿易上のペナルティをかけて火に油を注ぐ必要があるのか。
韓国がGSOMIAから手を引いたことは確かに良くなかった。ただし、そのことを我が国は非難できないだろう。なぜなら、そもそも徴用工問題に対して全然関係のない貿易問題にすり替えるような感情的なことを最初にやったのは日本なのだから。
日本の政策中枢部にいる人々は韓国がGSOMIAから手を引くとは予想していなかったような印象を受ける。それをやれば韓国はアメリカから強い批判を受けるし、なによりも、韓国自身の防衛も弱体化するからだ。それを重々承知の上でそれだけのリスクをとって韓国はそれをやった。つまり、それだけ『本気だ』ということだろう。
「やられた」「いややってない」といった低いレベルの感情論争を、よりにもよって国家レベルの中枢にいる人々がやってはいけない。
2500年間のあいだ儒者、仏教徒たちが死に物狂いで学び、修行し、それを教え諭してきたあの努力は、あれはいったい何だったのか…この2500年という歳月は無駄だったのか…この長い年月の間書かれてきたおびただしい聖典の数々、建設されてきたおびただしい寺院、聖堂の数々、それらはまったく無駄だったのか…
The answer my friend is blowing in the wind......
湯島聖堂