【麒麟がくる完結記念】本能寺の変、諸説検証~明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか~
大河ドラマはもう終わっただろうなと思っていたら、なんとまだ続いているんですね。例のコロナで撮影が遅れた影響でしょうか。
実は僕は日曜も仕事をせざるを得ず、ずっとあれほど楽しみにしていたこのドラマを見ていなかった。ユーチューブで予告編のようなものを細切れに見ていたにすぎない。ただいずれはNHKのアーカイブのサイトでお金を払ってみるつもりではあるが。
巷ではNHKに対する敵意を露骨に表現する人々がいるようだが、そんな声など気にする必要などないと僕は思っている。
日本のどこにNHKほどのハイレベルなドキュメンタリー番組を作り(これに比肩しうるほどの質のドキュメンタリー番組を作れるのはNHK以外ではたぶんイギリスのBBCだけだろう)、日本のどこにNHKほどハイレベルな芸術関係の番組を作り、日本のどこにNHKほどのハイレベルなドラマを作れる集団がいるだろうか?ぼくの知る限りはない。
NHKは僕から言わせると無形文化財のようなものであり、これをなくせというのはたとえるならある非常に価値の高い陶器を実用的ではないからという理由で捨ててしまえというようなものである。文化財というのはその国全体の財産であり、それはたとえその価値に実用性がなかろうが、あるいはその価値そのものがわからない人であろうが、その国の国民である以上それを守る義務があるというのが僕の考え。
さて話を戻すと、光秀のことである。昨年からずっとこの人のことが僕の心の隅のほうを占めていて、事あるごとに考え、そして感じ、そのことはこのブログにも何度か書いてきた。
そうしているうちに偶然非常に、非常に、すぐれた動画をユーチューブで見つけた。(さきほどNHKよりハイレベルなドキュメンタリー番組はないといったが、これはそのとても稀有な例外かもしれない)
古事鏡という動画制作者が作った動画だが、本当に質が高いのでちょっと感動さえしている。論理の展開の仕方が緻密で「隙がない」。しかもそれでいて、いやそれだからこそというべきだが、ものの見方が多角的で、高度な知的相対性(はじめに結論ありきではなく、その上から全体をバランスよく相対的に可変的に俯瞰している感じ)を保っている。
この動画を見て、あらためて以前このブログに書いたことである、僕が変の決行日から類推した、光秀は謀反の決行を直前まで迷っていたという「勘」と、様々な黒幕説、野望説というものに否定的である僕の考えがより強固なものになっていった。そして思うのは、あの謀反の原因と考えられるものはこの動画で挙げられている様々な説のどれか一つだけではまずなくて、野望説、黒幕説をのぞくほぼすべての原因が複合的に光秀の中で蓄積され、絡み合った結果おこったのではないか…ということだ。
それらのどれにより多くの比重が置かれていたかということはあっても、それらのうちの一つあるいは二つというものではなく、おそらくそのすべてが絡んだ結果であったことはほぼ間違いないと思う。
司馬遼太郎氏は光秀の謀反をノイローゼという一言でかたずけてしまっていて、まぁ、彼の生きていた時代にはまだこの謀反に関する様々な資料が発見されていなかったこともあって無理もない部分もあるのだが、司馬氏のような解釈をするのはあまりに短絡的、表層的であろう。
それではこの謀反が高度な政治的意図や綿密にねられた計画性のあったものであったかというと、そういう要素はあるにせよ、必ずしもそうでもないだろうというはっきりと断定できない部分が濃厚にあることも確かである。
ただ…僕のなかでいままで煮詰めてきたものから感じることの中に、この司馬氏の言うような「精神的な」要素も多分にあるであろうこと、つまり、この謀反はきわめて「光秀固有のメンタリティー」との絡みをぬきにしてはその真相にはたどり着けないと思うようになってきている。そしてたぶんそれゆえにこの謀反が日本史最大の謎とされるのではないかと思う。
そのことはこの動画の結論部(59分43秒あたり)に平井上総氏の言葉が紹介されていて、これが結論部に紹介されているということはこの古事鏡の作者もこの見解に強く共感しているのであろうことが推し量れるが、僕もこれは平易な表現であるものの、この謀反の本質というものを暗に、また、方向としては正確に捉えた言葉であると思える。
日本史を劇的に変えた事件、それとそれが起こる原因のひとつとなった二人(信長と光秀)の非常にパーソナルな関係性(精神性)との対比、平井氏のこの言葉はおそらくそれを洞察したうえでのものであり、この極大と極小のコントラストを控えめに、しかし鋭く浮き上がらせている。