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ベニシアが好きです。

2015-04-26 01:26:31 | 日記
ベニシア エッセイ  ~ベニシアの旅~ 後編


 何か暇な時間があると、あるいは仕事の合間にベニシアの映像を見ている。
その中でもこれは特に印象的な映像だ。

 イギリス出身のベニシアが故郷イギリスに帰り、少女時代の事から彼女の母親の思い出話などをする。

 そのなかで、特に印象に残ったのは彼女が母親の墓参りをしているときに語る次のような言葉。37分29秒あたり。

 『ほとんどの人は、人の人生を評価するときその人が幸運だったか、不運だったか、何をやったか、何をやり遂げたか、で判断しようとする。
  でも私は、そのひとが毎日どれだけ充足し満ち足りていて、そこに幸せを感じていたか、で判断したい。』

 原語だと

 I'd like to judge our lives by how content and happy we are each day.

 彼女の母親は生前何度も結婚と離婚を繰り返し、それぞれの結婚でそれぞれの子供をもうけた。そのたびに彼女は新しい父親と、その連れ子たちと一緒に住むことになった。
 今ではあまり珍しくない人生かもしれないが、当時であれば結構世間の目を引いただろう。陰口もたたかれたに違いない。
じっさい、ベニシアはそのことでよくいじめられたというようなことを述べている。

 実はこのビデオを見る前に、ベニシアのいろんなほかのビデオを見ていると、たまーに彼女が見せる表情の中に微妙な、非常にかすかな「翳(かげ)」のようなものがあるのを感じていた。
 僕はいったいあれはなんなのだろう…とずっと思っていた。

 今回このビデオを見て、もしかしたらそのような幼少期にその源があるのかもしれないと思った。
もちろん、それだけではないかもしれない、でも、少なくともその原因の一つには違いないと思った。

 28分38秒あたりで、彼女が兄弟たちと母親の思い出話をするシーンがある。
そこで彼女の弟のチャールズが、母親の生き方の批判をしている。
 文字通り、この見方が世間一般の常識的な見方だろう。

 でも、僕がベニシアが偉いと思い、またますます好きになったのは、彼女はもちろんそういう側面があったことは理解しながらも、母親に母親の生まれながらの性格や個性、運命というものがあり、母親はそれに正直に、一生懸命に生きたのだ。
 だから、私は彼女は幸せだったと思う、楽しかったと思う、なにも後悔はしていないと思う、と述べるシーンがある。(33分27秒あたり)

 僕はこれを聞いてますますベニシアが好きになった。
真実にやさしい人だと思った。

 「楽しかったと思う」という言葉は、いわゆるたんに楽しかった、という意味ではなく、悲しみも苦悩も悔恨も、すべてを含めて「楽しかった」といっているのだろうと思う。
 英語のenjoyという言葉にはたんに日本語でいう「楽しむ」という意味以上の深い意味が込められていることは少し英語を勉強したことのある人は知っていると思う。もう少し広い意味が込められているのだ。

 彼女の言う、母親が人生を「楽しんだ」と述べた背景には、そういう含意があることにも留意しなければならないだろう。
それは、他でもないベニシア自身も母親と似た奔放さを個性として秘めていて、その個性の命じるとおりに生きてきたからこそ、このような見方ができるのだろうと思う。

 他人の人生を自分だけの視点で、価値観で、ジャッジ(批評)しない、そもそもする権利などない、みんなそれぞれの「運命」の中で一生懸命に生きているのだから、ということを彼女は教えている。

 話は少し変わるが、僕はこのビデオを見てやはり何とも言えない懐かしさを感じていた。
というのも、僕は17年ぐらい前だったかな、イギリスに滞在(留学)していたからだ。
 このビデオに映っているイギリスの田園風景はまさに、僕が見てきたイギリスの田園風景そのものである。
このビデオには前編もあるのでそれもぜひ見てほしい。

 人の手が最小限にしか入っていない、川は護岸工事などしていない自然のままの川、田舎に行けば今でも舗装してない土のままの道路もたくさんあり、電柱もほとんどない。まさに中世からずっとそのままではないかと思うような田園風景である。

 当時はイギリスというとなんか重い感じがして、正直大好きというわけではなかった。
なのに、今は、あれほど好きなカナダ以上によく思い出すのだ。
 ちなみに僕はイギリスで生きた前世もあるらしい。時代は忘れたがオックスフォード(たぶんオックスフォード大学)かどこかで医学を教えていたという。

 生まれ変わると好みもかなり変わるものだ、今の僕は医学など全く興味がないから。
そして不思議なことに、今日郵便受けを見るとこの留学時代に向こうで知り合った友人から手紙が来ていた。
 もう10年以上連絡を取り合っていなかった友人である。

 うれしい驚きというよりも、彼と僕の共通の友人に何かあったのではないかという恐れだった。
手紙を開けてみるとそれは杞憂であり、近況を知らせる普通の手紙だった。
 小さかった彼の子供たちは今ではイギリスで一人は弁護士になり、もう一人は医者になったという。そして彼自身は、フィリピンかどこかの大学で神学を教える教授(彼はキリスト教徒であり牧師でもある)になったらしい。

 よかった…まるで自分の家族のことのようにうれしい。
というのも僕は彼と彼の家族の運命に大きすぎる影響を与えたからである。
 留学中かれは経済的に行き詰まり、また悪いことに、ちょうど韓国(彼は韓国人)の財政危機があり、帰国しなければならない状況だといっていた。

 僕は彼が非常にまじめで、一生懸命勉強をしている姿をよく図書館で見かけていたので、こんなに努力しているのにこのまま返すのはもったいない、気の毒すぎると思い授業料を貸すことを申し出た。
 彼は幸いにもそれを受けてくれて、そのまま帰国することなく勉強を続けることになった。

 当時韓国は財政危機にあり、もし彼が帰国していたら…どんな人生になっていたかわからない。
でも僕は、あれ以来あんなことをしてよかったのかな、という気持ちもないわけではなかった。

 というのも、一人の人生だけでなく、彼の家族の人生さえも左右する重要なことをしたわけで、もしそれが吉と出ればいいがその逆になっていたら…とおもうと…少し空恐ろしい気がしていたことも告白しなければならない。
 しかし、先を見通すことができない人間はその時正しいと判断したことをする以外にないのであり、あれでよかった、あれ以外になかったと自分を納得させていた。

 今回彼の手紙を見て、それらの重荷のようなものから解放されたような気がした。

 それとさらに付随して、(全然別の話なのだが)これまたずっと6年ほどあってなかった友達から数日前に電話があり、久しぶりに会わないかといわれ会った。実をいうと、この友人とは気まずいことがあり、しばらく関係が悪化していたのだ。もう修復はできないだろうな、と正直あきらめていた。
 ただ、時々メールや電話で話はしていたので、完全に絶交していたわけではない。

 それが何を思ったのか、数日前に電話が来て会おうと云う事になった。
僕はこれはなんだろうと考えた。
 10年以上も連絡が途絶えていたイギリス時代の友人から突然手紙が来て、6年間全くあっていなかった友達が合おうといってきた…それがほぼ同じ時期に来たと云う事…僕はこういうことを単なる偶然としてはかたずけられない人間である。

 何かある…と思っている。
いずれにしても、いいことなので、うれしいことに変わりはない。

 ということで今日はこれで寝ます。

 
 
 
コメント
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