気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

鎌倉散歩 2018.06.24

2018-06-25 21:20:51 | 日記



 ものすごく久しぶりに(多分10年ぐらいぶりに)僕のかつて先生の写真教室に出てみた。
お年を感じるかと思ったが、それほど変わられたようには見えなかった。

 また先生のご指導を受けてみて感じたのは、相変わらず指導の仕方が論理的だということ。
なので僕好みである。ほかの先生についたことがないのでわからないが、先生の話によると感性だけで教える先生がいて、自分はうまい写真を撮れるのだが、肝心の生徒は置いてけぼりにされるということがあるらしい。

 とにかく教え方がうまい。
スポーツなどでは名選手必ずしも名指導者にあらず、といわれているが、たぶんそれは芸術などの世界でも同じはずで、この先生はまさに名選手でありながら同時に名指導者である見本のような方だろう。

 この10年間全くご指導を受けてこなかったことが悔やまれる。

 今回久しぶりに写真教室にでてみて特に感じたことはそれ以外にもあった。
それは参加している生徒さんたちの人間性の良さである。
 世の中こういう人たちばかりなら何の悩み苦しみもないのになぁ~、と思うほどだった。

 正直、毎日仕事だけの生活をしていると、心が潤いを失って干からびていく…
今まではそのことの深刻さに気付いていなかったが、今回そのことを強く感じた。
これはある意味恐ろしいことだ。

 そのこと自体も怖いことだが、一番怖いのは自分の心がだんだん干からびていって最後は…
ということの自覚さえなかったことである。そう、まるでゆでガエルと同じ状況である。

 今回本当に久しぶりに写真教室に参加したことの最大の収穫はそのことに気づかせてもらったことだろうか。


 



 この写真などは、「おおむね」(正確には違うかもしれない)先生に教えてもらった通りに撮ったものである。古都の写真を専門に撮るプロの写真家ならではのものだろう。
一緒に参加していた生徒さんとも話したのだが、自分だけで来ていたならこういう写真は撮れなかっただろうということ。このアングルでとるということに気づけなかっただろうからだ。

 
 写真の技術面においても、人の生き方という面においても、本当に大切なことに気づかせていただいた『写真教室』だった。

 

 
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名文の味わい

2018-06-13 15:34:25 | 文学

東京カテドラルで



 以前、ふらっと立ち寄った本屋で手に取った本がずっと心に残っていて、それは安い値段ではなかったがこれはそれだけのお金を払っても買う価値があると判断して買った。
 タイトルは『陰翳礼賛』作者は言わずと知れた谷崎潤一郎、そして、この本は素晴らしい写真とのコラボ作品になっていて、それは大川裕弘という写真家の作品で、谷崎の名文の合間合間に『陰影』をテーマにした美しい写真が随所にはめこまれていてそれがあたかも一つの織物のようになっている。
 文章と他のジャンルの芸術とのこれほどぴったりとはまった、見事なコラボ作品を僕は見たことがない。
 
 さて、肝心の谷崎の文章を載せてみたい。

  
 『もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色のもっとも淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し光と蔭の使い分けに巧妙であるかに感嘆する。
 なぜなら、そこにはこれと云う特別なしつらえがあるのではない。要するにただの清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り、そこへ引き入れられた光線が凹みの此処彼処へ朦朧たる隈を生むようにする。
 にも拘らず、われらは落懸(おとしがけ)のうしろや、花活けの周囲や、遠い棚の下などを填(う)めている闇を眺めて、それがなんでもない蔭であるのを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。

 思うに西洋人の云う「東洋の神秘」とは、かくの如き暗がりが持つ不気味な静かさを指すのであろう。
~中略~しかもその神秘の鍵は何処にあるのか。種明かしをすれば、畢竟(ひっきょう)それは陰翳の魔法であって、もし隅々に作られている蔭を追い除けてしまったら、忽焉(こつえん)としてその床の間はただの空白に帰するのである。

 われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自ずから生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。これは簡単な技巧のようであって、実は中々容易ではない。たとえば床脇(とこわき)の窓の刳(く)り方、落懸の深さ、床框(とこがまち)の高さなど、一つ一つに眼に見えぬ苦心が払われていることは推察するに難くないが、分けても私は、書院の障子のしろじろとしたほの明るさには、ついその前に立ち止まって時の映るのを忘れるのである。

 元来書院というものは、昔はその名の示す如く彼処で書見をするためにああ云う窓を設けたのが、いつしか床の間の明り取りとなったのであろうが、多くの場合、それは明り取りと云うよりも、むしろ側面から射してくる外光を一旦障子の紙で濾過(ろか)して、適当に弱める働きをしている。まことにあの障子の裏に照り映えている逆光線の明かりは、何と云う寒々とした。わびしい色をしていることか。

 庇をくぐり廊下を通って、ようようそこまで辿り着いた庭の陽光は、もはや物を照らし出す力もなくなり、血の気も失せてしまったかのように、ただ障子の紙の色を白々と際立たせているに過ぎない。私はしばしばあの障子の前に佇んで、明るいけれどもすこしも眩ゆさの感じられない紙の面を視つめるのであるが、大きな伽藍建築の座敷などでは、庭との距離が遠いためにいよいよ光線が薄められて、春夏秋冬、晴れた日も、曇った日も、朝も、昼も、夕も、ほとんどそのほのじろさに変化がない。

 そして縦繁(たてしげ)の障子の桟の一とコマ毎に出来ている隅が、あたかも塵がたまったように、永久に紙に沁み着いて動かないのかと訝(あや)しまれる。そう云う時、私はその夢のような明るさをいぶかりながら眼をしばたたく。何か眼の前にもやもやとかげろうものがあって、視力を鈍らせているかのように感ずる。それはそのほのじろい紙の反射が、床の間の濃い闇を追い払うには力が足らず、却って闇に弾ね返されながら、明暗の区別のつかぬ昏迷の世界を現じつつあるからである。

 諸君はそう云う座敷へ這入った時に、その部屋にただようている光線が普通の光線とは違うような、それが特に有難味のある重々しいもののような気持がしたことはないであろうか。
 或いはまた、その部屋にいると時間の経過が分からなくなってしまい、知らぬ間に年月が流れて、出てきた時は白髪の老人になりはせぬかと云うような、「悠久」に対する一種の恐れを抱いたことはないであろうか。』



 日本建築の建物が本当に少なくなっている今、谷崎が見たこのような世界は小さいころ日本建築の家に住んでいた僕でさえもうその多くの部分は想像するしかない・・・・・するしかないのだが、やはり谷崎の描写力の故だろう、彼がこの文章の中で表現している陰翳の「幽玄味」というものが僕のこころのなかにかげろうのように映じてくるような気がする……
 
 とはいえ、彼が見ていたもの、彼が感じていたものは、今僕の心に映じてきたものをはるかに越えているであろうことは、この文章から容易に察することができる。実際に「それ」を見たことがないものに、「それ」の神秘性とそれが彼にもたらした恍惚たる愉悦と畏(おそ)れのようなものを想像させる…この人がいかに達意の文章家であるかがわかる。

 とにもかくにも…これはまがうことのないうつくしい、日本の名文章である。

 
 
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