気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

叡智

2019-12-17 05:29:47 | 内奥への旅

 紅炎 

 

 上の写真はスマートフォンでとったものだが、これではカメラが売れなくなるわけだと思う。(ChromeではなくMicrosoft Edgeでみるとよりきめ細かく見えます)スマホでこれだけの精密な写真が取れるなら、初心者や中級者でさえ、わざわざ何十万円もする高級カメラを買う人はすくなくなっていくだろう。確かにスマホではしっかりとホールドしずらいので手振れの危険はある、でも、それもこれからの技術の発展しだいでは非常に高精度の手振れ補正機能が付いたスマホカメラが登場してくるのもそう遠くないと思う。
 そういうスマホが出てきたら…さらに高級カメラの売れ行きは落ちていくだろう。

 いまカメラメーカーの売り上げはかなり落ちているみたいだが、これからどうするのだろうと心配になる。
僕はもう数十年前になるが、初めてガラケーにカメラが付いたときから、これはいわゆるコンパクトデジカメといわれる大衆向けのカメラは売れなくなっていくなと思っていた。(同時に時計や書籍も携帯で代用されるようになるだろうと思っていて、当時それを人に伝えたら即座に否定されたのを覚えているが、今果たしてその通りになっている)だが、当時の大手カメラメーカーはほとんど何もせずそれまでの路線を歩いてきた。あたかも性能のいいカメラを作れば当然の結果として売れていくとでも言わんばかりに。

 メーカーがいわゆる高級カメラを作れるのも、そのすそ野にある大衆がエントリーカメラを買ってくれるからこそである。その上の高級カメラを買う層はあくまでユーザーの中では少数派の層にすぎない。その少数にのみ目を向け続けてきたことの失敗だろうと思う。
 今まで通りのことが続いていくはずだ、続いていってほしい、という人間心理の陥穽に完全にはまってしまった。

 やはりあの時点で、カメラメーカーは畑違いではあるが勇気をもって携帯機器製造にふみだすべきだった。
僕はこう云う時いつもアップル創業者のスティーブ・ジョブスを思う。千里先を見通す先見の明を持ち、常識を覆す革新的なことを勇気をもって果断に実行できるかれならばやっただろうと。

 これからは少数の既存のハイエンドデジカメユーザーを各メーカーが取り合う熾烈な戦いになるだろうが、非常に少数の椅子を取り合う椅子取りゲームになるだろうから生き残りは本当に大変だろうと思う。ただし、すでに高級カメラも作りスマートフォンもつくっているソニーやパナソニックが圧倒的に有利であるのは動かしがたい。
 

 さて、話題は変わって今読んでいる本のことを書きたい。
それは五木寛之の「迷いながら生きていく」と題された本で、そのなかで心に触れるものがあった。

 彼は終戦を朝鮮半島の平壌で迎えた。この本の中の「自分なりの『生きて死ぬ』物語を持つ」と題されたところに以下のような文章がある。

 『そんなある日、大雨で増水した大同江(テドンガン)を向こう岸まで泳いで渡ってみようと思い立ちました。無謀としか言いようがありませんが、当時の私は、無鉄砲な冒険にかけてみたいという衝動を抑えることができなかったのです。
 黄色く渦巻く川の流れに、私は飛び込みました。見た目以上の急流で、途端に下流まで流されそうになりましたが、どうにか岸に這い上がりました。そして日が暮れるまで、その濁った川の流れを、唖然と眺めていました。すると、自分がその大きな流れに吸い込まれるような、そしてどこまでもともに流れていくような、異様な感覚を覚えたのです。

 あの時、私が感じたのは恐怖だけではなかった。自分という存在が、目に見えない大きなリズムの中に溶け込み、無限に延長していくかのようで、奇妙ですが、決していやではない感覚でした。思い返すと「大いなるもの」「運命の力」といった大きな流れを自覚したのは、この時が初めてだったような気がします。

 その時の実感からか、大いなるものに還ることについて、不思議な安堵感を覚えるのです。大いなるものに溶け込んで、「私」が消滅することには、恐怖感はありません。
むしろ、母なるものに還っていくという仄かな喜びがあります。

 もちろんこの物語は、真理に近いのか遠いのかもわからない。私の空想にすぎません。
しかし、「どう生きればいいんだろう」──道を見失い、立ち止まってしまう時、私はこの物語の最中(さなか)にいる自分に思いを馳せます。
すると、少しだけ我に返る。そして、自分が見失って、わからなくなっているだけで、道は確かにあるのだということを思い出すのです。


 そして最終章の「わが計らいにあらず」と題された文章へと続く。


 『~前略~40代から50代にかけては、いつもぎりぎりで生きていました。体のどこかしらに問題を抱え、ともすると絶望の淵に漂ってしまう弱いこころをどうにか保ちながら、生き延びたのです。
 「他力」という言葉が、しきりに身近に感じられるようになったのは、その頃だったと思います。歩かなくてはならないのに、腰痛で一歩も歩けなくなった時も、頭痛で何日も眠れずに、苦しみのあまり絶望した時も、何かそういうものがあるような気がして、思いとどまるものがあった。
 どんなに願ってもどうにもならないことが、まるでふっと軛(くびき)を外されたように動き出す時に、私はどうしても大いなるもの、つまり、「他力」を感じずにいられなかったのです。

~中略~

 この「本眼力」、つまり「他力」は、自分の力ではどうにもならないような時、船の帆を揺らしてくれる風のように、さっと吹いてくれるもの、いつ吹いてくれるかもわからない。しかし吹くべき時に吹いてくれる、大いなるもの。そうしたある種のエネルギーとして私はとらえているのです。

~中略~

 「わが計らいにあらず」。浄土真宗の宗祖、親鸞の言葉ですが、いつも私の頭に響いて、消えません。この言葉には「向こうからやってくる力」の気配がある。「新しい世界」(五木のいうこれからやってくるの世界のこと)にも、他力の気配を感じます。この新しい世界で、私は何が正解なのかと悩みつつも、必死に生きて、その時を迎えるのでしょう。
 なるようにしかならない。しかし、自(おの)ずとなるべきようになるだろうと思います。』
                                                                                太字への変更は私 


  この最後の一文、「なるようにしかならない。しかし、自ずとなるべきようになるだろうと思います。」という一文に強い力が込められているのを僕は感じる。
彼は自分で言っているが浄土真宗を信仰しているわけではないそうだ。それなのになぜ、このような確信に近い言い切り方をするのか…それは部分的には上に書いた終戦の時、中学一年の時に体験した「不思議な」体験と、その後の彼がたどった幾多の苦難を乗り越えてきた折々に体験的に感じ取ってきた経験から生まれるのだろうとおもう。しかしそれだけではおそらく説明できない。

 思うに彼は、特定の宗教を信仰しているわけではない(と思う)が、なぜかこのような「自然な信仰心」のようなものを持っている。それがなぜなのかはぼくにはわからない、ただ、その理由の一つは明らかに彼が生来持っている叡智のたまものであろう。特定の権威を持った教団や人物の教唆ではなく、自然にかれはここにあるようなことに気づいたのであろう。

 僕はここにこの人の偉大さを見る。
 

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晩秋

2019-12-02 16:50:04 | 写真

 

 

 

 

 

 ようやく先週鎌倉の紅葉を撮ってきた。幸い間に合ったみたいでよかった。
 今年は明月院と円覚寺での写真が中心になった。中に入ったのは結構久しぶりで、そのため以前訪れたときにはなかったものを今回は見ることになった。
それは御朱印をもらう専用の窓口が作られていたことと、例のこのお寺の有名な撮影スポットである丸窓からの庭の風景を写す人が長蛇の列を作って順番待ちをしていたことだ。

 

 


 

 

 

 そのことで御朱印をいろいろなところでもらうことが一種のブームになっていることを知ったし、また、あの例の丸窓の写真がなにかの理由で急に有名になったのだろうということを知った。御朱印の窓口では、御朱印とは本来先祖のことを想い写経をしてそれを納める時にもらうものであるという旨のことが立て看板に書いてあった。そういうことが書いてあるということは、観光地のスタンプ感覚、ただ単に御朱印をもらえば御利益をもらえるという発想で来てもらっては困るというお寺側の意思表示だろう。
 僕はこれを読んで改めてこのお寺を見直すような気持ちになった。

 

 

 

 

 

 


 それにしてもおもうのは、この御朱印ブームにしても、あの丸窓の写真に長蛇の列ができているのを見ても、また、ユーチューブでもスピリチャル系の動画が驚くほどたくさんアップされているのを見ても、ここ10~5年来それまでとは打って変わって精神世界のことに対して関心を持つ人々が増えてきたことをはっきりと感じる。
 そのこと自体は素晴らしことだと思う。時代の潮流は変わっていることは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 鎌倉の街を歩きながら思ったのは、あぁ来てよかった、ということだった。またこの地にこれたことにたいする安ど感、解放感…僕にとってはこの街そのものがおおきなパワースポットである。何十年たっても変わらない街並、これからも大きくは変わっていかない街並み、宗教的浄寂…が実際に日帰りで足を延ばせる場所にあり、望めばいつでもそこに行けるという環境にいるということの幸福は言葉にできない。

 

 

 


 

 

 

 でも、このような場所とそれにかかわる趣味が生活圏内にあった事は僕にとって本当に幸いだった。

 

 


 

 

 

 

 よく坊主〇儲けとか、葬式仏教とかとかく仏教をひぼうする言葉があるが、たとえ一部にはそういう仏教徒がいるとしても、上記の明月院の但し書きにも表れているように、まじめにこころただしく精進、行に励み、ひとびとをみちびいている仏教徒も大勢いるわけであり、また、そのようなひとびとが守っている寺院、神社が存在するおかげで、魂の平安、調和を取り戻している人々は大勢いることであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 とかく日本では宗教というと、怪しいことの代名詞のようになっている観があるが、今回晩秋の鎌倉をあるいてみて、案外非常に大切な役割を果たしているのではないかということを思った。

 

 

 

 

 

 

 

 今年の紅葉撮影はこれが最初で最後だろう。北鎌倉だけの撮影になったが十分に満足した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 海外のユーチューバーの写真動画をよく見ているのだが、それらをみているとやはりいい写真に仕上げるには画像加工というのが不可欠であることを感じる。
現在僕が持っている加工ソフトはニコンのCapture NX-DとフリーソフトのGimpだけであり、たぶんこれらだけでは不十分な時が来るだろうと予測している。おそらくLiteroomやPhotoshopを使いたくなる時がもうそこまで来ているという予感がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 画像を加工していると、なにか「創っている」という気持ちになる。いままでのただ現場で撮影しただけだと、何か受動的過ぎてつまらないのだ。もちろん、構図や物象の切り取り方などにそのひとのオリジナリティーが現れるのだが、どうもそれだけでは満足できなくなってきている。

 

 

 

 

 

 

 

 やはり「なにかしたい」のだ(笑)
これからどんどん撮影が面白くなるという予感がしている。

 

 

 

 

 

 

 

 今は物事を学ぶ側にとっては本当にいい時代になった。ほぼ、ユーチューブやウェブの内容、本だけでかなり高度な技術も身に着けられるようになっている。
実は写真は特に好きだったわけではなくて、以前お付き合いしていた女性からぜひ始めて見るようにと勧められたのがきっかけだった。それが今、僕の生きがいといってもいい人生の相棒になっている。本当にいい置き土産をしてもらったと思っていて、心の底から感謝している。

 

 



 

 

 ということで、僕のカメの歩みのように遅い写真道はこれからも続いていきます。

 


 



 

 

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