2011年のブログです
*
最近、フロイトさんとユングさんの本を読んだり、話を聞いたりしていて、フロイトさんとユングさんにとっての第一次世界大戦のショックや衝撃の大きなということに改めて考えさせられました。
フロイトさんが死の本能を考えたのもそうですし、ユングさんが『赤の書』という本を書いたのも第一次世界大戦の衝撃が大きかったと思いました。
日本ではやや遠くの出来事と捉えがちだったと思いますが、もっともっと思想的衝撃としての第一次世界大戦を考えてみる必要があるのかもしれないなと思ったりしています。
戦争は厭な出来事ですが、それも人間がしでかすおろかな、しかし、なかなか避けがたい出来事なのかもしれません。
戦争反対と唱えることは簡単ですが、戦争に簡単に至ってしまう人間のおろかさや弱さ、あるいは、人間の業というようなものを深く考えていく必要があるのかもしれません。 (2011.6 記)
*
2024年夏の追記です
そういえば、フロイトさんとアインシュタインさんの対話が本になっていて、読んだことがあります(フロイト(中山元訳)『人はなぜ戦争をするのか-エロスとタナトス』2008・光文社文庫)。
お二人が知恵をしぼって戦争などの争いについて考察をされていて、なかなか参考になります。
しかしながら、やはり戦争などは、理性よりは感情が優位の行動だな、とじーじなどは考えていて、憎悪や恐怖、不安などの感情をどれだけうまくそれぞれのこころの中で統合できるのかが大切になってくるのではないのかな、と思ったりしています。
じーじの大きなテーマである組織と個人の問題と同様、理性と戦争の問題も大きなテーマだなと感じています。 (2024.7 記)
*
同日の追記です
アメリカの大統領選挙で、憎悪と分断をあおる候補が銃撃をされました。
憎悪と分断をあおることは簡単で、人気も出るのかもしれないですが、それだけでは真の平和にはほど遠いのではないかと思います。