ホセ・クーラは、2008年、スイスのチューリヒ歌劇場で、マスネのオペラ、ル・シッドに出演しました。上演されることも少なく、めずらしい演目です。
実はこの出演の際に、クーラは、故郷アルゼンチンに住む最愛の父の死という悲劇にみまわれました。その一報を受けたのは、新プロダクションの初日の幕が開く、その朝だったそうです。
突然の悲報に加えて、めずらしいオペラのために、すぐに代役をたてることもかなわず、クーラは父の死を悲しむ間もなく、初演の舞台にたち、終幕まで歌い、演じました。
その時の舞台について、クーラのインタビュー、レビュー、録音などから紹介したいと思います。
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――2009年8月のインタビューより
Q、チューリヒでのマスネのルシッドの初演の日に、あなたは父親の死を知った。しかし、あなたは歌い続けたが?
A、イエス。それは悪夢であり、同時に、とても特別な状況だった。
この種のメッセージは、予期せずに届くということを直感的に知っていた。
しかし、父が亡くなったとしたら、私は崩れ落ち、一週間は涙にくれるだろうと思っていた。
ル・シッドのプレミアの日に、私は何をすべきか何もわからなかった。また迷ってもいた。
加えて、今私が歌わなければ、公演はキャンセルされた。レパートリーにル・シッドを持つ歌手はいなかったのだ。
途中でたびたび、私は自分自身にいった――"歌っている間、すべてをさらけだそう"。
劇場のマネージャー、アレクサンダー・ペレイラは、開演前に私のことを発表した。
そしてあえていえば、私はかつてないように歌った。いずれにせよ、これまでにないほど激しかった。
確かにそれを繰り返すことはできないだろう。私は、このパートを再び歌う必要がないことを願う。
Q、どんなふうに違っていた?
A、私は歌いながら泣いた。指揮者も泣いていた。観客もそうだった。
私は、終幕後のスタンディング・オベーションが、私のためではなく、私の父のためであったと信じている。
しかも、マスネのル・シッドは、最初から最後まで、父と息子の葛藤を扱っている。思い返せば、父に対するそれ以上の美しい賛辞はあり得なかったと私は信じる。
Q、歌っている作品に不安を感じることはある?
A、少し。アーティストの最も重要な特質、最も特徴的な性質は正直でなければならないことだ。私は本当に精神的に打ち込める何かをしているとき、より正直に、より純粋になる。
私は、限られた数の役柄の間で、あまりに多く歌ってきた。また私は、私の職業の有限な性質、限界に対して敏感だ。
最近亡くなったジュゼッペ・ディ・ステファノは、カラフルで、豊かに変化し、恐らく過度の人生を持っていた。彼は86歳まで生きたが、彼のキャリアのピークは、20年もなかった。
父の死は、全てがいかに有限で、限られているかを、私にふたたび痛感させた。
――2009年1月のインタビューより
Q、音楽のキャリアの始まりは?
A、それを私は覚えていないし、約1年前に亡くなった父にもう尋ねることもできない。
私は父がいつも言っていたことを覚えている。
「OK、ミュージシャンになりたいんだね、それはいい。だが、仕事は何をするつもりかい?」
ステージにあがっていない私の人生を、ほとんど思い出すことができない。ほぼ12歳の時に始めて、今、33年たった(当時)ので、ステージ上の思い出が、それ以前の記憶よりもはるかに長くなっている。
私はただアマチュアとして、コーラス、ポップミュージック、スピリチュアル、ジャズや、それと同じようなものを歌った。そしてブエノスアイレスの音楽学校で学びながら、作曲と指揮をすることが、自分自身を表現する方法だった。
それがなぜ私の職業になったかは思い出さないが、私が15歳の時に、父に「指揮者になりたい」と言ったことをおぼえている。
運命は人を何かに向かって突き動かすものだ。私が勉強をほぼ終えたとき、先生の一人が私に、正しく歌う方法を学び始めるほうがいいと言った。なぜか、私は歌手になりたいとは思わなかった。彼は、ヴァイオリン、フルート、トロンボーンなど、私が演奏できる楽器のすべてを理解することが良い指揮者であることを助けるのであり、それと同様に、歌を勉強することによって、私はもっと良い指揮者になることができると言った。
だから私は、本格的に歌を学び始め、1つのことが別のものにつながった。そしていま私はここにいる。
――2008年、チューリヒの舞台のレビューより
●スター・テノール、ホセ・クーラのためのスタンディングオベーション、エキサイティングなステージ、印象的な音楽!
ル・シッドの初演は、悲劇的な状況の下で行われなければならなかった。・・プレミアの朝、ホセ・クーラの父親が亡くなった。パフォーマンスがまだ舞台で行われているという事実は、すべての参加者のプロフェッショナリズムの証である。
特にホセ・クーラは、この重い個人的な運命にもかかわらず、素晴らしい夕べをつくりあげた。
最後に指揮者ミシェル・プラッソンがステージに来て、クーラを抱きしめた時、劇場中で誰もが胸を熱くした。オーディエンスは、尊敬と感謝の気持ちを込め、ホセ・クーラにスタンディングオベーションで敬意を表した。
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いくつか、チューリヒの舞台の録音(音声のみ)がYouTubeにアップされていますので紹介します。
正規のものではないため、音質が悪いのが残念です。
第1幕 主人公のロドリーグは、父から、父の名誉を汚した相手への復讐を請われる。ところがその相手は、ロドリーグの恋人シメーヌの父だった。苦悩するロドリーグ。父と息子の二重唱。
Jose Cura 2008 Le Cid Act1 duo
第3幕 苦悩の末に、父の名誉のため恋人シメーヌの父を決闘で倒したロドリーグの苦悩。父を失いショックを受け、復讐と裁きを求めつつ、ロドリーグを愛し続けるシメーヌの苦しみ。その2人の二重唱。
Jose Cura 2008 Le Cid duo
第3幕 有名なアリア。戦場に赴くロドリーグの祈り「おお、父なる主よ!」
Jose Cura 2008 "O souverain, o juge, o père" Le Cid
こちらは同じ「おお、父なる主よ!」ですが、コンサートヴァージョン。
José Cura "O souverain, o juge, o père"
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最愛の父の死に直面しながら、舞台に立ち続け、悲しみをすべて歌と演技にそそぎこんだクーラの姿は、劇場のすべての人々に感銘を与えたようです。
プロフェッショナルな舞台人として、当然のことかもしれませんが、本当に、胸に迫るエピソードです。
そういう背景を知って、父と息子の葛藤、父の名誉と恋人との愛の板挟みを描いたル・シッドでのクーラの歌唱を聴いてみると、やはりいつも以上の激しさと悲痛さを感じました。特にクーラが「父なる主よ!」と歌った時、劇場中が涙であふれたと書いたレビューもありました。
映像が何らかの形で公表されることを願います。
*写真は、クーラのHPなどからお借りしました。