長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

こんなところに総大将 ~ぬらりひょんサーガ 第16回~

2011年10月29日 13時51分31秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
《前回までのあらすじ》
 やべぇ! 10月終わるわ!!
 やはり、1ヶ月で「ぬらりひょんサーガ」を完結させることはかなわなんだか。
 でも、さすがに来月にはなんとかなるんじゃないかなぁ。
 冬が来るまでにはなんとかしようと、実にぬる~い決意を胸にいだくそうだいであった。いい加減に旋回!! ぶい~ん。


 これまでつづってきたように、日本で昭和時代に巻き起こった「妖怪ブーム」は2度あったわけで、最初は1970年前後、2度目はバブル期の1980年代中盤でした。有名な『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメシリーズで、最初のブームに放映されたのが第1・2期、文字通り2度目のブームの動力源となったのが第3期だったということもふれてきましたね。そして、それらのビッグウェーブにノリにノッてみるみるうちにイメージを巨大化させることに成功した妖怪の代表こそが! 他ならぬ我らがぬらりひょん先生だったというワケで。
 「凶悪」「妖怪総大将」「朱の盤が部下」「人類が生まれる前から生きてきた」などなど、あることないことグッチャグチャにとりまぜて現代のぬらりひょんイメージはできあがってきたのです。

 こういった戦後日本、はっきり言っちゃえば「鬼太郎サーガ」発信のイメージと、それとはまったく関係のない「いつの間にか家にいるなんだかよくわからない人畜無害な妖怪」(これも昭和発祥なんですが)というイメージのどちらを優先させてぬらりひょんというキャラクターを描くのか?
 平成以降の作家さんたちは、妖怪ぬらりひょんを登場させるにあたって常に、世間に浸透してしまった分裂症ぎみなイメージたちの取捨選択にせまられることになるのでした。


 ここでちょっとお話は変わりますが、平成に入ってからの「妖怪ブーム」について。

 そんなもの、平成にあったか? と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、私そうだいに言わせていただければ、いよいよ21世紀も間近に迫ってきた平成初期にちゃーんと、昭和から数えれば3度目、いわば「第3次妖怪ブーム」にあたるものは到来していたのでございます。


 「第3次妖怪ブーム」とはすなはち、「学校の怪談」&「京極夏彦」ブーム! いっしょくた!? 乱暴ね~。


 まず「学校の怪談ブーム」のほうを先に説明させていただきますと、その原点となったのは、当時、日本全国の小学生のあいだで口々にささやかれていた「怖いうわさ」「怪談」。今でいえばまさに「都市伝説」にあたるものの数々を、民俗学者・常光徹がまとめるという形で出版された児童書『学校の怪談』シリーズ(講談社 1990年から2011年現在まで20巻が刊行)だとされています。
 トイレの花子さん(伝承は1950年代からあったらしい)、上半身だけの幽霊テケテケ、ムラサキババア、音楽室のひとりでに鳴るピアノ……いろいろ流行りましたよねぇ!

 それまで、もうほとんど語り手がいなくなったと思われていた、伝承や説話の世界で使われていた怖い要素や語りパターンが、現代日本の学校という場所で生き生きと延命しているという事実は、マジビビリしている子ども以外の大人たちにも強烈なノスタルジーを喚起させることとなり、本来、子供向けの読み物だったはずのこのシリーズは、大人向けの怪談本、研究書、マンガ、アニメ、ドラマ、映画など、さまざまなジャンルに影響をあたえていくこととなりました。

 特に、「学校の怪談を映像で再現する」といったこころみは数多くの映像作家のクリエイター魂に火をつけていくこととなり、後世にその名を残すさまざまな映像作品が生まれることとなりました。「ヒュ~、ドロドロ」で足のない幽霊が出てくる怪談映画の世界はとっくの昔に消え去っていたわけなのですが、じゃあかわりに何が出て来るんだ? という需要にやっと本格的な回答がなされるようになったのは、まさにこの頃だったのではないでしょうか。


 ここで、だいたい代表的な当時の「学校の怪談」ものの映像作品を挙げてみましょう。


オリジナルビデオシリーズ『ほんとにあった怖い話』(1991年7月~92年7月 全3作)
 脚本・小中千昭、監督・鶴田法男によるオムニバスドラマ
 「ハイ!吾郎さん。」の『ほんとにあった怖い話』シリーズ(フジテレビ)とは関係がない

TVドラマシリーズ『学校の怪談』(1994年1~3月 関西テレビ)
 1話完結ものの30分番組
 2001年までにオムニバス形式のスペシャルドラマも制作されていた
 『スウィングガールズ』(2004年)の矢口史靖や「血を吸う」シリーズの山本迪夫、のちの「Jホラーブーム」をになう清水崇、鶴田法男らが演出を担当していた

ホラー映画『学校の怪談』(1995年7月 東宝)
 『愛を乞うひと』(1998年)の平山秀幸が監督
 『学校の怪談』シリーズは1999年まで4作が製作されているが、『1』『2』『4』を平山監督が担当している(『3』のみ「平成ガメラシリーズ」の金子修介監督)
 過去に有名になった人面犬(1989~90年に大流行)や口裂け女(1979年に大流行)、古典的な妖怪であるろくろ首やのっぺらぼうなども現代のお化けたちとともに登場している

サスペンス映画『トイレの花子さん』(1995年7月 松竹)
 『東京タワー』(2008年)の松岡錠司が監督
 トイレの花子さんがほっとんど登場しない異色作


 まぁこんな感じなわけですよ。
 そして、このあたりで「恐怖を映像で表現する技術」を身につけた作家のみなさんが、「学校の怪談」というくくりにとらわれないホラー映画作品の製作に取りかかっていき、一番乗りとしては『女優霊』(1996年)の脚本・高橋洋、監督・中田秀夫コンビによるホラー映画『リング』(1998年1月)が大ヒットして、いわゆる「Jホラーブーム」が始まることとなるんですな。「Jホラー」というブーム名で、主義も撮影法もまったく違うみなさんを同じ集団のように扱うことに異議をとなえる方も多いのですが、とにかく、当時は日本でしか観られなかったような恐怖表現の手法がこの時期に数多く成立したことは確かでした。もちろん、それの元ネタとなるものは過去の世界の映画界に点在していたのだとしても、それを眼の肥えた現代のお客が恐れおののくレベルに昇華させた熱意と技術は素晴らしかったと思います。おみごと!


 いっぽう、「学校の怪談ブーム」とほぼ時を同じくして巻き起こったのが、小説の分野での「京極夏彦ブーム」。

 正体不明(当時)の新人作家・京極夏彦が1994年9月に講談社ノベルスから発表したデビュー作『姑獲鳥(うぶめ)の夏』は、戦後1950年代の東京をおもな舞台に「どことなく妖怪の気配を感じさせる異常な犯罪」が起こり、それを古書店『京極堂』店主兼神主兼陰陽師の男・中禅寺秋彦がべしゃりだけで解決するという長編ミステリー小説だったのですが、その独特の雰囲気をただよわせた文章と豊富すぎる知識の洪水、それらに押されて読者も思わず「あ、あぁ~、ハイ……」と納得せざるをえなくなってしまう前代未聞の驚愕トリックが話題となりました。
 その後、ズビズバと妖怪にこだわりまくった続編がリリースされ、そのたんびに本がレンガのように巨大化していくというあたり、なおかつ作者自身があやしい&こっちも出す本同様にどんどん巨大化していくというあたりも世間の耳目を集めることとなり、未曽有の「妖怪小説ブーム」が発生することとなったのです。つってもまぁ、類似商品はほぼないんですけど。

 『嗤う伊右衛門』(1997年)や『塗り仏の宴』2部作(1998年)なども話題となりましたが、熱のあるブームとして京極さんの諸作がもてはやされたのは、デビューの1994年からだいたい1999年の『巷説百物語』くらいまでだったでしょうか?
 その後もコンスタントにあやしい作品を発表し続けて現在にいたるのですが、すでに一時の流行をこえて定評ある実力派の風格をおびておられますね。

 次の「京極堂シリーズ」最新作は『ヌエのいしぶみ』でしたっけ?
 「ヌエ」はねぇ……私そうだいも大変にお世話になった妖怪様なんですよ。京極先生、つまんない作品にしたら承知しませんよ。夜な夜なご自宅の屋根に陣取って頭痛のタネになってやる!


 こんなわけで、お互いの因果関係はいざ知らず、1994~95年に時をほぼ同じくして巻き起こった2つのブーム。
 現代の日本で現役ルーキーとして活躍する妖怪たちを描いた「学校の怪談ブーム」も、過去の昭和時代に忘れられかけた伝承世界の妖怪たちが跳梁跋扈する「京極夏彦ブーム」も、映像と小説という大きな違いはあったものの、まぁ大雑把にくくれば「妖怪」を平成の世にクローズアップするといった点で同様の効果を世間にもたらすこととなったのであります。これらの動きのひとつの成果となったのが、1996年1月~98年3月に満を持して放映されたアニメ第4期『ゲゲゲの鬼太郎』(主演・松岡洋子)だったということでして。

 しかし! こういった「平成妖怪ブーム」の中で、我らがぬらりひょん先生はのんべんだらりと鬼太郎の復活を待ちながら休養する、という愚挙にはおよんでいませんでした。わしはそんなに枯れちゃいねぇ!

 実は、ぬらりひょん先生は馴れない2つの新世界に果敢にもチャレンジしておられていたのです。まさしくこれは、来るべき再起に向けての武者修行! かっけぇ~。


 その新世界のうちの1つ目が、なんと実写の「スーパー戦隊シリーズ」というわけ。


『忍者戦隊カクレンジャー』(1994年2月~95年2月 全53話)
・東映伝統の「スーパー戦隊シリーズ」第18作(メイン脚本・杉村升)
・「忍者」をモチーフとした史上初の「和風戦隊」で、敵組織が日本古来の妖怪で構成されている
 ※「敵が妖怪」という設定では『仮面ライダー響鬼(ヒビキ)』(2005~06年)にさきがけている
 ※カクレンジャーメンバーのキャラクター設定は『西遊記』をもとにしている
・戦国時代に「妖怪忍者の頭領ぬらりひょん」ら妖怪軍団を地底界に封印した功績のある精鋭忍者集団「隠流(かくれりゅう)」の子孫5名が、現代にまた復活した妖怪たちを退治するためにスーパー戦隊を結成する物語
・戦隊のリーダーが女性(ニンジャホワイト)という珍しい設定
 ※ニンジャホワイトは忍者隠流の第24代宗家(演・広瀬仁美13歳 現在は女優業を引退)
 ※他のカクレンジャーメンバーは「猿飛佐助」「霧隠才蔵」「三好清海入道」「自来也」の子孫
 ※なんとなく真田家に関連がありそうだが、自来也だけは「江戸時代後期の熊本生まれ新潟育ち」なので無関係……っていうか、戦国時代に自来也はいねぇ!!
・主人公のニンジャレッドを小川輝晃(25歳)、ニンジャブラックをケイン=コスギ(19歳)が演じていた
・敵組織の大幹部「貴公子ジュニア」(大ボス妖怪大魔王の実子)を遠藤憲一(32歳)が怪演していた
・敵の妖怪はミリタリーやカジュアルを導入したスーツ造型にデザインされている(メインデザイン・篠原保)
・戦国時代に活躍していた妖怪忍者の頭領ぬらりひょんは、2000年前に地底界に封印された「妖怪大魔王」(声・柴田秀勝)の復活をもくろんでいた
・ぬらりひょんは第1話『忍者でござる』(1994年2月)にしか登場しておらず、戦国時代の隠流との最終決戦で封印されたのちは再登場していない


 こういったかたちになっとりまして、要するにぬらりひょんは、物語全体の「序章」となる戦国時代のくだりに第1回のゲスト妖怪として登場しているだけだったんです(人間の姿はしていない)。
 ただし、戦国時代限定で言えば日本の妖怪忍者軍団の首領だったということで、からくも「妖怪総大将」の権威を守ることには成功しています。外見はトカゲかワニみたいなレザーな質感のスーツ造型で、「おじいちゃん」の要素のまったくないマッチョな首領になっていたんですけど。
 さすがニンジャということで、この『カクレンジャー』は日本はもとより、海外でも大ウケだったようですね。1回だけの出演だったけど、いいポジションでしたねぇ~ぬらりひょん先生!


 そして、平成ぬらりひょん2番目の武者修行はと言いますと、おもむいた先は天下の『週刊少年ジャンプ』!!

 そうなんです、『マガジン』(講談社)と『サンデー』(小学館)それぞれで連載経験のあった水木しげる先生の「鬼太郎サーガ」も実は『ジャンプ』(集英社)にはとんと縁がなく、当然ながらぬらりひょんも出演はないままだったのですが、平成妖怪ブームのさなかで、『ゲゲゲの鬼太郎』とは関係のないある「妖怪ホラーエロギャグアクションマンガ」に彼がゲスト出演する運びとなったのです。
 『ぬらりひょんの孫』をさかのぼること約10年の昔に、すでにぬらりひょんはソロで『ジャンプ』デビューを果たしていたのだ……

 といった感じで、次回はぬらりひょんの『地獄先生ぬ~べ~』遠征記から。
 祢々子河童は……出てこない!! 残念ながら。
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