今日も暑かったな~!! みなさまどうもこんばんは、そうだいでございます~。本日も無事に過ごせましたか? 熱中症、大丈夫!?
いや~、これ「残暑」って言うべきものなんですかねぇ!? ほんとに夏が終わってくれるのかどうか、はなはだ不安になる連日の暑さでございます。うちの地元では、若干朝夕しのぎやすくなったかな~ってくらいで、お盆前とぜんぜん変わらないんですがねぇ……
ともあれ、今年2023年の夏も過ぎゆこうとしております。なんだかんだ言っても光陰矢のごとし。今年ももう後半戦ですか~。一日一日、健康に、悔いなく過ごしていきたいものですね。こちとら、来月以降の秋もいろいろと楽しみなスケジュールでうまってるんでい!
さて今回は、自分の中でハッと思い立って、昨年の暮れくらいから個人的に始めたくわだて「黒澤明とアルフレッド=ヒッチコックのほぼ全作品を観てみる」から、記念すべきこの作品の感想記をば!!
映画『下宿人』(1927年2月公開 アメリカ公開版80分 イギリス)
『下宿人( The Lodger A Story of the London Fog)』は、1927年に制作されたイギリスのサイレント映画である。
あらすじ
毎週火曜日の夜に、必ず金髪巻き毛の美人女性を殺害する謎の殺人鬼「 THE AVENGER(復讐者)」による7件目の凶行に騒然とする帝都ロンドン。貸部屋業をいとなむバウンティング家に、入居を希望する謎の男がやって来る。
おもなスタッフ(年齢は映画公開当時のもの)
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(27歳)
助監督 …… アルマ=レヴィル(27歳 ヒッチコック夫人 新婚ほやほや)
製作 …… マイケル=バルコン(30歳)
原作 …… マリー=ベロック・ローンズ(58歳)
脚本 …… アルフレッド=ヒッチコック、エリオット=スタナード(38歳)
製作 …… マイケル=バルコン(30歳)
おもなキャスティング(年齢は映画公開当時のもの)
下宿人 …… アイヴァー=ノヴェロ(34歳)
デイジー=バウンティング …… ジューン=トリップ(25歳)
バウンティング夫人 …… マリー=オールト(56歳)
バウンティング …… アーサー=チェスニー(45歳)
ジョー=ベッツ刑事 …… マルコム=キーン(39歳)
ついに、正面切ってちゃんと観る時が来ましたか、この作品を! いや、そんなに思い入れがあるわけでもないんですが。
まず、黒澤明とヒッチコックという取り合わせについてなのですが、まぁ要するに、「なんとなく世間的に有名なものを、ちゃんと観てないのにふわっと知った気になるのはよそう。」という気持ちと、「人生もどうやら半分を過ぎたみたいなんで、おもしろい監督の作品くらいは全作観てみよう。」という、ぬるっとした決意に基づくチョイスなのであります、はい。
それで、黒澤明作品の方は30作なのでまぁまぁ全部観られる範囲ですし、もうすでに何回も観ている作品も多いので簡単そうなのですが(現時点でのマイベストはやっぱ『用心棒』!)、ヒッチコックさんの方はといいますと、黒澤明と同じくらいの約半世紀の作家人生の中で、その監督作数、53本!! さすがはサスペンスの巨匠であります。なんてったってサイレント時代からのたたき上げですから!
ただ、ご存じの方も多いかとは思いますが、ヒッチコック監督はその全作がサスペンススリラーものというわけでは決してなく、そのキャリアの初期は、当時のベストセラー小説や戯曲を、文芸作やコメディ、メロドラマといった作風にこだわらずにポンポン無難に映画化するエンタメ職人監督という感じの方だったのです。今回私は、ソフト商品の形で手軽に入手できるヒッチコック作品を、いちおう最初っから順番に観ているのですが、肩の力を抜いてフフッと笑いながら観られる作品が、そのサイレント時代のキャリアには多かったかと思います。全般的にテンポはゆるめですけど、まぁそこは時代が時代ですからね。映画と言うよりは、たまたま TVをつけた時にやってたドラマを観ているような感覚でした。
そんでま、この試みを始めて半年が経ったのですが、現時点ではヒッチコック監督の方は第12作『殺人!』(1930年)を観ているところです。一般に、ヒッチコック監督がサスペンススリラー専門になるのは第17作『暗殺者の家』(1934年)あたりからと言われていますので、まだまだヒッチコック監督の全盛期は遠いですね。もちろん、まだまだイギリス時代のモノクロ映画です。
ちょっと、さすがに100年近い昔の映画なので見づらい部分も多いし、日本語訳ソフト商品が入手困難になっている作品もあります。そして、アマゾンレビューを読むだに買う気になれないタイトルもあるのですが……腐ってもヒッチコック監督作品ですので、さすがといいますか、非サスペンス映画でも、やっぱりおおっと目を見張ってしまう斬新なカット割りや演出は、どの作品でもちらほらあるんですよね。そこはやっぱり、すごい。
現時点では、私が観たヒッチコック監督の非サスペンス系映画の中では、第9作『マンクスマン』(1929年)が頭一つ抜きんでて面白かったでしょうか。ラストカットの登場人物のむなしさに満ちたまなざしが印象的でしたね。
さて、それで本題となるこの『下宿人』はといいますと、ヒッチコック監督としては第3作、初めてサスペンススリラーに挑戦した記念すべき作品となります。とはいえ、その後またサスペンス系を撮るのは第10作『ゆすり』(1929年)までしばらくお預けとなりますので、ヒッチコック監督にとって、この『下宿人』で「この路線でいこう!」みたいな気になった手ごたえは、正直言ってそんなには無かったのではないでしょうか。
実は私も、この作品の存在自体はヒッチコックの人生を扱った伝記バラエティ番組(『知ってるつもり?!』とか『西田ひかるの痛快人間伝』とか。なつかし~!!)の中で必ず取り上げられるので幼い頃から知っていましたし、なにしろあの「切り裂きジャック事件」を元にした物語だそうなんですから! 興味がわかない訳がありませんよね。
だもんで、なにしろ暇な時間がジャブジャブある大学生時代にこの『下宿人』も VHSビデオの形で入手しまして、あの伝説の作品をやっと手に入れたぞ~!なんて意気込んで、デッキにカセットをガチャコンと入れて観てみたんですよ。それが……
ぜんっぜん最後まで観れない。必ず開始30分で眠くなっちゃう……結末の記憶がまるでない!!
ビックラこいた……私、当時から『カリガリ博士』(1919年)や『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)といったサイレント映画は大好きだったので、多少の画質の悪さやテンポの悪さには耐性ができてるとふんでいたのですが、この『下宿人』だけはホンマ、眠くなって眠くなって……ぜんぜんダメだったんですよ。結局、一度もちゃんと観られないまま忘却の彼方に。
それで、あの大学生時代のトラウマも薄れかけた2020年代の今になって、四半世紀ぶりのリベンジに挑むべく、あらためて DVDと、今作の原作であるマリー=ベロックローンズの小説(早川書房ハヤカワポケットミステリ版)を手に入れてのぞんだわけだったのですが……
やっぱ、つらかった。80分間という上映時間の、長いこと長いこと!
でも今回、6月ごろに入手したはずの『下宿人』のレビュー記事を、なんでまた夏も終わろうかという8月にあげてるのかといいますと、これは映画のほうじゃなくて、原作小説を読破するのに2ヶ月もかかっちゃったからなんですよ! こっちが、また難物だったの!!
眠い、ひたすら眠い……私がトシになっちゃったことが一番大きいのでしょうが、2~3行読むとすぐに眠くなっちゃうの。まさか、1987年に翻訳された文章が、これほどまでに読みにくいものであるとは……いや、訳文が下手とかじゃなくて、少なくとも私の感覚的には「そこ、そんなに掘り下げる必要ある!?」みたいな回想とか人物描写に異常に文章を割いてる脱線のオンパレードのような気がして、とにかく読むのが苦痛になっちゃうんですよね。いや~、そもそも私、若かった大学生の頃から、ヴァン=ダインとかエラリイ=クイーンの創元推理文庫版とか翻訳ミステリを読むの苦手だったからなぁ。
まぁ、とにもかくにも最近になってやっと原作小説も読み終えましたので、やっとこさ『下宿人』のレビューに入ろうかという段階に入ったわけなのでした。でも、苦労して原作小説を読んだ意味は、ちゃんとあった! だって、原作小説とヒッチコック監督版って、内容ぜんぜん別ものなんだもん!! いや~これはビックラこいた。作品それぞれの内容よりも、両者の違いの方が断然おもしろかったりして。
そこらへんの原作小説の話は後にしまして、まずはヒッチコック監督版を単体で観て気になったポイントだけを、ずらずらっと羅列してみましょう。
眠くなるとかテンポが悪いとか散々言っておりますが、でもまぁ、ほぼ100年前の映画ですから、しょうがない部分は多いですよね。むしろ、ちゃんと腰を据えて観れば、評価すべき点は充分にありますよ、ええ。
≪注意! ここからはヒッチコック版および原作小説版『下宿人』のオチに触れる内容がズビズバ出てきます。未見未読の方の中で、これから作品を楽しむ予定のある方は、以下の文章を読むことはお勧めしません! 楽しんでから読んでください!!≫
・エドワード=エルガー『行進曲 威風堂々』(1901年初演)が盛大に流れて始まる DVD版。こういうサイレント映画の音楽選曲って、誰がやってるんだろう。DVDの製作会社が全責任を負っているのか?
・ロンドンでの電話ボックスの普及は1926年から(コンクリート製の電話ボックスは1920年から運用開始)。それがさっそく登場している。
・本作のモデルとなった「切り裂きジャック」による連続殺人事件は1888年に発生した。確実な犯行は5件、可能性のある犯行も含めると11件(1891年まで)。原作小説『下宿人』は1913年刊行。
・広告ネオンのように明滅する字幕、鏡に写ってゆがむ顔、人間の目のように見える新聞紙輸送車のリアウィンドウ、口をポカーンと開けてラジオに夢中になる若者、金髪の女性を狙う復讐者対策のために黒髪の付け毛をして帰宅するモデルなどなど、いろいろと印象的なカット演出が。
・記者の電話、新聞社のタイプライター、大手新聞紙の巨大な印刷輪転機、街頭の電光字幕ニュース、ラジオの全国ニュース、モードファッションショーといった当時最新の都市文化が出てくる。
・扉に迫る影から映すテクニック、室内のガス灯の光量が少なくなる演出、下宿人の玄関登場シーンのカット割りの異常な細かさ。
・動作が異様に緩慢な下宿人のミステリアスな演技。
・電気のついていない暗い部屋の中に一瞬、外を走る自動車のライトが差し込んで明るくなる演出が細かい。
・金髪の美人画や人の声を過剰に嫌悪する下宿人、中性的な容貌、大切にしている往診カバンの謎。
・1ヶ月分の宿代をいっきに払う、気前のいい下宿人。下宿人に一目惚れしたらしいデイジー。
・復讐者の逮捕に異常に自信満々な刑事ジョー。もう7人死んでるんですが……
・有名な二階の下宿人の透明床シーン。
・火かき棒を握る下宿人のショットでシーンが切り替わる演出が、実にヒッチコックらしい。
・公務用の本物の手錠で恋人にからみまくる刑事ジョー……現代だったら懲戒免職モノじゃない!?
・自室の暖炉の上に硬貨を放り投げ、金銭にあまり頓着しない下宿人。ドレスのプレゼントもなんなくできる。
・深夜11時30分に下宿を抜け出す下宿人。しかし、30分後には帰ってきたとバウンティング夫人は語る。
・吹き抜け階段の上から、手すりをつたう下宿人の手首だけが見えるショット。
・切り裂きジャックと違い、毛皮のコートを着た婦人も被害者にする復讐者。
・あくびが何往復もうつるバウンティング夫妻。
・デイジーの絶叫を聞いて下宿人の部屋に押しかける刑事ジョー。しかし、その理由は……
・ふだんはボーダー柄のベストを着ている下宿人。冷徹な表情のわりにポップなファッションセンスでかわいい。
・後ろめたいことのない人間でも、借りている部屋に勝手に知らない男があがりこんできたら怒ると思うが、ましてやその男の職業(警察官)を知ってしまえば……解約どころか刑事ジョーの責任問題では!?
・デイジーに逢いにファッションショーに来た下宿人をゲットしようとして失敗するモダンガールの悔しがり方が、ちょっと粋で面白い。
・深夜に徘徊する下宿人への疑心から、彼がデイジーに贈ったドレスを箱ごと突き返すバウンティング夫妻。
・シャワールームの扉ごしの下宿人とデイジーの会話シーンは、当時としては結構攻めていたのでは?
・下宿人とデイジーの仲直りデートの出発が、雨のために遅くにずれこんでいるという伏線が用意周到。
・おそらくは公務の警邏中にデイジーと下宿人のデートに出くわし、ショックで復讐者の捜査どころじゃなくなる刑事ジョー。こいつ……!!
・下宿の部屋に戻ったデイジーと下宿人のラブシーンが、キスまでたっぷり2分もかけるという粘着質な構成。デイジーからの目線で、スクリーンいっぱいに迫る下宿人の顔が、いくら美形とはいえキツい!!
・証拠品はいっさい無いはずなのに、完全な私怨で下宿人を逮捕する刑事ジョー。令状、よく出たな!
・ガサ入れの結果、部屋の鍵付き金庫から復讐者の犯行現場をメモしたロンドンの地図や事件記事の切り抜きを入れた往診カバンを発見して、確かな手ごたえを感じる刑事ジョー。しかし下宿人が、カバンに一緒に入っていた復讐鬼の第1の犠牲者の写真を指して「妹だ」と語った瞬間に、あからさまに「あ、やべ……」という表情になるのが、なんとも正直でよろしい。
・クライマックス前に語る下宿人の回想から、復讐者が完全に上流階級の女性を狙っていることと、下宿人がダンスパーティに家族(母と妹)で参加できるという相当な身分の人物であることがわかり、物語はサスペンス映画と言うよりは伝奇ロマンス映画の様相を呈してくる。この構造は、『緋色の研究』や『恐怖の谷』的な探偵小説の古態を連想させるものがある。そこはやっぱ、1910年代の小説よね。
・パブの電話を借りた刑事ジョーの警察連絡を小耳にはさんだ客達が義憤に駆られて下宿人狩りに乗り出し、あっという間に暴徒と化してしまうさまと、その直後に下宿人が復讐者でないことが明らかになるくだりが非常にスピーディでうまい。さすがですわ。
・刑事ジョーが、「急げ、大変なことになるぞ!」と部下にあごで指示してパブを出るしぐさが、今までの愚行の数々から一転してカッコいいだけに、めちゃくちゃ腹立つ。誰のせいでこうなったと思ってんだコノヤロー!!
・かなりの数の群衆が下宿人のリンチに殺到するシーンでヒッチコック監督自身もエキストラとして出演しているのだが(本作では2回目の登場)、セリフこそないものの、わりとど真ん中の位置に陣取って「あいつ、復讐鬼じゃなかったのか……」という反応の演技もしているのが珍しい。しかし、若いな~!
・エンディングの「 ALL STORIES HAVE AN END(めでたしめでたし)」という字幕の後に、ちゃんとハッピーエンドのおまけも付いているのが粋である。ここで、やっぱりこの作品がロマンス映画であることがよくわかる。窓越しにちょっとだけ見えるロンドンのネオンが、またいい。
とまぁ、こんな感じなんですけれども、とにかく驚いてしまうのは、この作品において、帝都ロンドンを恐怖のどん底に叩き込んだ殺人鬼「復讐者」の正体は、まるで明かされないという点なのです。それどころか、クライマックス直前に登場人物のだぁれも知らないロンドンのどっかで捕まっちゃってるという! エンタメ映画の展開として、そんなのあり~!? OSO18じゃないんですから、あーた……
つまるところ、このヒッチコック版『下宿人』の最大の特徴は、「サスペンス映画ではあるがミステリー映画ではまったくない。」という、この一点に尽きます。突然ふらりとやって来た下宿人の正体が殺人鬼なのか?というハラハラ要素は十二分に効いていますし、クライマックスにおいて「殺人鬼じゃなかった!」と判明した下宿人の救出に向かう登場人物たちが、果たして間に合うのか?という展開も非常にドキドキものなわけですが、ふつう「切り裂きジャックの映画やるよ~。」と聞いたら、お客さんの9割9分が興味を持つ「殺人鬼の正体は?」という問題は、ビックリするくらい華麗にスルーしてしまっているのです。なので、はっきり言ってこの作品は、いいとこ『切り裂きジャック外伝』、感覚としては『切り裂きジャックこぼれ話』といったポジションにとどまる異色作なのではないでしょうか。
お話の筋の他にも、「切り裂きジャック事件の映画化」と聞いてこの作品を観た人がまず違和感を覚えるものとして、この映画が撮影された1920年代の最先端文明が、冒頭から意図的に多用されていることも挙げられます。「復讐者また犯行」というニュースを聞いて記者が公衆電話を利用して報告し、それを記事に載せた新聞が大量に印刷され、朝イチでロンドン中の売店に配るべく配送トラックが市内を爆走するというくだりは、切り裂きジャック事件の発生したヴィクトリア朝では見られなかったスピーディな風景ですよね。原作小説『下宿人』でも、確かに新聞というメディアの重要性は言及されているのですが、どっちかというと「かわら版」のような悠長な空気が漂っていました。
こんな感じの、実に近代的でヒッチコック的な冒頭シークエンスを観るだに、私は「これ、切り裂きジャックの時代じゃないよな……?」と強く感じたわけだったのですが、逆に終盤に判明する下宿人の正体と、その下宿人と真の復讐者との因縁、そしてすべてが解決したのちの、下宿人とヒロインとの甘ったるいにも程のある結末といったつれづれは、ディズニー系のおとぎ話かと見まごうご都合主義にまみれており、ロマンあふれる「貴種流離譚」の典型となっているのでした。この、最先端の時代に展開されるベッタベタなロマンスという感じが、実にトレンディで韓流……
こういった点から見ても、この『下宿人』という作品は、「サスペンスの巨匠の記念すべき実質第1作」というしゃっちょこばった肩書は決して似合わず、「器用なプロが売れ線目当てでやってみたハラハラドキドキもの」というくらいの扱いでよろしいのではなかろうかと思うわけなのです。
そう考えてみると、男である私から観たら「誰得!?」としか思えない、あの下宿人のキス顔アップの長回し接写も、観客が女性層メインであることを想定したからに他ならず、美形でお財布にも余裕のありそうな下宿人をゲットしそこねて悔しそうにするモデルっぽい女性というモブキャラ造形も、いかにも同性ウケのしそうなギャグカットですよね。
あと、ヒロインのデイジーの職業が「ファッションモデル」というのも、実に先鋭的です。物語が始まると、結局そこら辺の要素は薄まってふつうに下宿で下働きをする物静かな女性に収まってしまうのですが、ヒロインの生き方にあこがれを抱く女性も多かったのではないでしょうか。それでしまいにゃ、ああいうご身分の彼氏とねんごろになっちゃうんだもんねぇ。理想的な玉の輿ストーリーですよ。
こういう風にヒッチコック版『下宿人』の印象を整理してみると、これって、今でいう「女子中高生中心のカップル向け青春恋愛映画 or ホラー映画」とまったく同じ需要にこたえた作品なのではないかと思い当たるわけでして、監督の個性や思想というよりは、完全にニーズ重視で作った「商業映画」のお手本のような作品であろうことを確信せずにおられません。筒井康隆先生でいうところの『時をかける少女』だ、こりゃ!
ただ、さすがそこはヒッチコックといいますか、そんな中でも下宿人のファーストカットを筆頭として、100年経った今でも絶対的にセンスの良いカット割りの技術は随所に見られます。ただ短いカットを連続させるだけでは目が疲れるだけですが、カットそれぞれに意味のある要素(開くドア、下宿人の全身シルエット、おびえるバウンティング夫人の表情など)があり、それらの連続で周辺情報と観る者の注目が集約されていき、最後に「観たいもの(下宿人の顔のアップ)」がドーン!と画面に現れるという、観客の渇望と充足のツボを的確につかんでいる映像感覚は、ちょっとこの才能が政治的なものに利用されたら怖いぞ……とゾッとしてしまうくらいの鋭さに満ちているのです。この時、ヒッチコック若干27歳! この青年がイギリス生まれで、ほんとによかった。
すごいなぁ。もうこの時点で、後年の『サイコ』(1960年)のシャワーシーンとほぼ同じレベルのスピード感ができあがってるんだもんなぁ。こういうのを見ちゃうと、あの歴史的怪SF『フェイズ4』(1973年)を世に出したソウル=バスの肩も持ちたくはなりますが、やっぱヒッチコックに軍配が上がりますよね。
そういえば、『サイコ』でもヒッチコックは、序盤から観客の興味を引きまくっていた「マリオンが持ち逃げした現金4万ドル(-中古車代)の行方」というサスペンス要素を、いとも簡単にぽいっと捨てちゃうんですよね。そこらへんの、観客の心理状態をわかったうえで繰り出す裏切りセンスは、ほんとに『下宿人』の頃から変わってないんですねぇ。
この他にも、ヒッチコック版は「透明な二階の床を歩く下宿人を一階から見上げる」という伝説的なカット挿入も有名ですし、一定の見ごたえのある作品にはなっています。なってはいるのですが、そこはやっぱり甘~い味付けの当時はやりのエンタメ作のひとつという但し書きは忘れてはならず、間違っても「映画史上に残る巨匠のサスペンス第1作!!」という惹句を鵜吞みにして期待値を上げてはいけないのではないのでしょうか。
そんなな感じで、ヒッチコック版『下宿人』を観た感想はここまでなのですが、ここからは、マリー=ベロックローンズの原作小説『下宿人』(1913年刊)について、ちょっとだけ。
私、大学時代にヒッチコック版『下宿人』を観てからず~っと気になってたのが、「こんなミステリ要素皆無の作品が、なんでイギリス推理小説史上に残る名作と評されているのか?」という点だったんです。だって、はっきり言って謎解きしてないじゃん! なんなら切り裂きジャック関係ないし!
でも、これは原作小説からすれば完全事実無根なとばっちりで、原作小説の内容は、ヒッチコック版とはまるで違うんです。ほんと、登場人物の頭数が同じだけで、そのキャラクターも時代設定も、話の流れも結末もぜ~んぶ別もの! これを見比べちゃうと、キューブリック版の『シャイニング』(1980年)とか市川崑監督版の『獄門島』(1977年)やら『八つ墓村』(1996年)がかわいく見えてきちゃう。
まず、原作小説は1913年ですから、ヒッチコック版の公衆電話やらファッションモデルやらは出てくるわけがありません。そして、物語の主人公は下宿を切り盛りしているバウンティング夫人であり、ヒッチコック版でヒロインを務めていたデイジーは登場こそするものの、バウンティング夫人の夫と先妻との間の子という微妙な距離感のある関係にあるため夫人とは同居しておらず、普段住んでいる伯母(夫人の夫バウンティング氏の姉)の家で感染症がはやったために一時的に夫人の下宿に住み込むという設定になっているのです。したがって、デイジーが下宿にやって来るのは下宿人(原作では「スルース」という名前がある)が来てだいぶお話が進んでからで、当然、ロンドン警視庁勤務のジョー刑事(原作では「ジョー=チャンドラー」という名前)と恋仲になるのも下宿に来て以降になるので、ヒッチコック版の序盤から観られていたような「むしろ倦怠期になりつつある半婚約状態」になどなっておりません。
そして、最大の違いは何と言っても下宿人スルースの正体とその結末で、原作版のスルースは「きわめてクロに近いグレー」といった感じの扱いで、ある偶発的に起きたアクシデントをきっかけに何の前触れもなく下宿から姿を消して、「あの下宿人は、いったい何者だったんだろう……?」というバウンティング夫人の感慨をもって、物語は終わってしまうのです。もちろん、殺人鬼「復讐者」も逮捕されずじまいです。
え、えぇ~!? 違う、何もかもが違う! もうこれ、ヒッチコック版は「映画化」じゃなくて「パロディ映画化」ですよ! 原作者のベロックローンズさんも、よく許可したな!
こんな感じの筋立てなので、ヒッチコック版がミステリーじゃないのとは全く別の意味合いで、原作小説もまた、ミステリーではありません。だって、「復讐者」の正体はわからずじまいなんですからね。ただし、かなり肉薄するところまで状況証拠はそろい、バウンティング夫人の下宿人スルースへの疑惑は高まっているので、「最後の答え」が無いだけでミステリーとしては充分に成立しているとも、原作小説に関しては言えるとも思います。
それよりも印象的なのは、自分よりも「先妻との間にできた娘」デイジーを大切にしている夫への複雑な思いや、体面的にデイジーに優しく接しなければならないという道徳観に無言の圧力を感じていたり、普段のたたずまいは知的かつ紳士的な下宿人スルースを殺人鬼の可能性があるとして疑いながらも、金払いのいい客としての恩もあるという「ストックホルム症候群」みたいな秘密の共有関係を持ってしまうバウンティング夫人の心理状態の彫りの深さがものすっごく現代的で、そういう心理小説という意味でも、原作小説の『下宿人』は、イギリス文学史上に残る名作であると思うのです。これは間違いない! 新訳版、早川さんか創元さんで出してくんないかなぁ!?
『下宿人』における原作小説版とヒッチコック版の異様な相対関係は、実に興味深いですね! 原作小説の方が前近代的なはずなのにあいまいな物語の結末も登場人物の心理描写もかなりモダンで、ヒッチコック版の方が20世紀的なお膳立てなのにむちゃくちゃ古臭くて子どもだましに見えてしまうのです。「時代に寄り添うエンターテインメントとは何なのか?」という問題を思い起こさせる好例だと思います。
いや~、こういう知見を得るためにも、やっぱ原作小説はちゃんとチェックしとかなきゃいけませんわな! にしても、読むのに2ヶ月かかっちゃったよ……
さぁ、こうして始まりました「ヒッチコックほぼ全作コンプリート計画」、こんどレビューするのは第10作『ゆすり』になりますかね! 故きを温ねて新しきを知る旅になりそうで、非常に楽しみであります! 肝心かなめの『サイコ』にいたるのは、一体いつのことになるのやら……
あらためて思いましたが、ヒッチコック映画はミステリーじゃありませんよね。とにかく徹底的にその場のスリラー展開にこだわる、その即物性! しかし、その即物性が100年を超えるエターナルな魅力になっているのだ……
いや~、映画って、ホンッッッットに!! すばらしいもんですねェ。それじゃあまた、ごいっしょに楽しみましょう~。
いや~、これ「残暑」って言うべきものなんですかねぇ!? ほんとに夏が終わってくれるのかどうか、はなはだ不安になる連日の暑さでございます。うちの地元では、若干朝夕しのぎやすくなったかな~ってくらいで、お盆前とぜんぜん変わらないんですがねぇ……
ともあれ、今年2023年の夏も過ぎゆこうとしております。なんだかんだ言っても光陰矢のごとし。今年ももう後半戦ですか~。一日一日、健康に、悔いなく過ごしていきたいものですね。こちとら、来月以降の秋もいろいろと楽しみなスケジュールでうまってるんでい!
さて今回は、自分の中でハッと思い立って、昨年の暮れくらいから個人的に始めたくわだて「黒澤明とアルフレッド=ヒッチコックのほぼ全作品を観てみる」から、記念すべきこの作品の感想記をば!!
映画『下宿人』(1927年2月公開 アメリカ公開版80分 イギリス)
『下宿人( The Lodger A Story of the London Fog)』は、1927年に制作されたイギリスのサイレント映画である。
あらすじ
毎週火曜日の夜に、必ず金髪巻き毛の美人女性を殺害する謎の殺人鬼「 THE AVENGER(復讐者)」による7件目の凶行に騒然とする帝都ロンドン。貸部屋業をいとなむバウンティング家に、入居を希望する謎の男がやって来る。
おもなスタッフ(年齢は映画公開当時のもの)
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(27歳)
助監督 …… アルマ=レヴィル(27歳 ヒッチコック夫人 新婚ほやほや)
製作 …… マイケル=バルコン(30歳)
原作 …… マリー=ベロック・ローンズ(58歳)
脚本 …… アルフレッド=ヒッチコック、エリオット=スタナード(38歳)
製作 …… マイケル=バルコン(30歳)
おもなキャスティング(年齢は映画公開当時のもの)
下宿人 …… アイヴァー=ノヴェロ(34歳)
デイジー=バウンティング …… ジューン=トリップ(25歳)
バウンティング夫人 …… マリー=オールト(56歳)
バウンティング …… アーサー=チェスニー(45歳)
ジョー=ベッツ刑事 …… マルコム=キーン(39歳)
ついに、正面切ってちゃんと観る時が来ましたか、この作品を! いや、そんなに思い入れがあるわけでもないんですが。
まず、黒澤明とヒッチコックという取り合わせについてなのですが、まぁ要するに、「なんとなく世間的に有名なものを、ちゃんと観てないのにふわっと知った気になるのはよそう。」という気持ちと、「人生もどうやら半分を過ぎたみたいなんで、おもしろい監督の作品くらいは全作観てみよう。」という、ぬるっとした決意に基づくチョイスなのであります、はい。
それで、黒澤明作品の方は30作なのでまぁまぁ全部観られる範囲ですし、もうすでに何回も観ている作品も多いので簡単そうなのですが(現時点でのマイベストはやっぱ『用心棒』!)、ヒッチコックさんの方はといいますと、黒澤明と同じくらいの約半世紀の作家人生の中で、その監督作数、53本!! さすがはサスペンスの巨匠であります。なんてったってサイレント時代からのたたき上げですから!
ただ、ご存じの方も多いかとは思いますが、ヒッチコック監督はその全作がサスペンススリラーものというわけでは決してなく、そのキャリアの初期は、当時のベストセラー小説や戯曲を、文芸作やコメディ、メロドラマといった作風にこだわらずにポンポン無難に映画化するエンタメ職人監督という感じの方だったのです。今回私は、ソフト商品の形で手軽に入手できるヒッチコック作品を、いちおう最初っから順番に観ているのですが、肩の力を抜いてフフッと笑いながら観られる作品が、そのサイレント時代のキャリアには多かったかと思います。全般的にテンポはゆるめですけど、まぁそこは時代が時代ですからね。映画と言うよりは、たまたま TVをつけた時にやってたドラマを観ているような感覚でした。
そんでま、この試みを始めて半年が経ったのですが、現時点ではヒッチコック監督の方は第12作『殺人!』(1930年)を観ているところです。一般に、ヒッチコック監督がサスペンススリラー専門になるのは第17作『暗殺者の家』(1934年)あたりからと言われていますので、まだまだヒッチコック監督の全盛期は遠いですね。もちろん、まだまだイギリス時代のモノクロ映画です。
ちょっと、さすがに100年近い昔の映画なので見づらい部分も多いし、日本語訳ソフト商品が入手困難になっている作品もあります。そして、アマゾンレビューを読むだに買う気になれないタイトルもあるのですが……腐ってもヒッチコック監督作品ですので、さすがといいますか、非サスペンス映画でも、やっぱりおおっと目を見張ってしまう斬新なカット割りや演出は、どの作品でもちらほらあるんですよね。そこはやっぱり、すごい。
現時点では、私が観たヒッチコック監督の非サスペンス系映画の中では、第9作『マンクスマン』(1929年)が頭一つ抜きんでて面白かったでしょうか。ラストカットの登場人物のむなしさに満ちたまなざしが印象的でしたね。
さて、それで本題となるこの『下宿人』はといいますと、ヒッチコック監督としては第3作、初めてサスペンススリラーに挑戦した記念すべき作品となります。とはいえ、その後またサスペンス系を撮るのは第10作『ゆすり』(1929年)までしばらくお預けとなりますので、ヒッチコック監督にとって、この『下宿人』で「この路線でいこう!」みたいな気になった手ごたえは、正直言ってそんなには無かったのではないでしょうか。
実は私も、この作品の存在自体はヒッチコックの人生を扱った伝記バラエティ番組(『知ってるつもり?!』とか『西田ひかるの痛快人間伝』とか。なつかし~!!)の中で必ず取り上げられるので幼い頃から知っていましたし、なにしろあの「切り裂きジャック事件」を元にした物語だそうなんですから! 興味がわかない訳がありませんよね。
だもんで、なにしろ暇な時間がジャブジャブある大学生時代にこの『下宿人』も VHSビデオの形で入手しまして、あの伝説の作品をやっと手に入れたぞ~!なんて意気込んで、デッキにカセットをガチャコンと入れて観てみたんですよ。それが……
ぜんっぜん最後まで観れない。必ず開始30分で眠くなっちゃう……結末の記憶がまるでない!!
ビックラこいた……私、当時から『カリガリ博士』(1919年)や『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)といったサイレント映画は大好きだったので、多少の画質の悪さやテンポの悪さには耐性ができてるとふんでいたのですが、この『下宿人』だけはホンマ、眠くなって眠くなって……ぜんぜんダメだったんですよ。結局、一度もちゃんと観られないまま忘却の彼方に。
それで、あの大学生時代のトラウマも薄れかけた2020年代の今になって、四半世紀ぶりのリベンジに挑むべく、あらためて DVDと、今作の原作であるマリー=ベロックローンズの小説(早川書房ハヤカワポケットミステリ版)を手に入れてのぞんだわけだったのですが……
やっぱ、つらかった。80分間という上映時間の、長いこと長いこと!
でも今回、6月ごろに入手したはずの『下宿人』のレビュー記事を、なんでまた夏も終わろうかという8月にあげてるのかといいますと、これは映画のほうじゃなくて、原作小説を読破するのに2ヶ月もかかっちゃったからなんですよ! こっちが、また難物だったの!!
眠い、ひたすら眠い……私がトシになっちゃったことが一番大きいのでしょうが、2~3行読むとすぐに眠くなっちゃうの。まさか、1987年に翻訳された文章が、これほどまでに読みにくいものであるとは……いや、訳文が下手とかじゃなくて、少なくとも私の感覚的には「そこ、そんなに掘り下げる必要ある!?」みたいな回想とか人物描写に異常に文章を割いてる脱線のオンパレードのような気がして、とにかく読むのが苦痛になっちゃうんですよね。いや~、そもそも私、若かった大学生の頃から、ヴァン=ダインとかエラリイ=クイーンの創元推理文庫版とか翻訳ミステリを読むの苦手だったからなぁ。
まぁ、とにもかくにも最近になってやっと原作小説も読み終えましたので、やっとこさ『下宿人』のレビューに入ろうかという段階に入ったわけなのでした。でも、苦労して原作小説を読んだ意味は、ちゃんとあった! だって、原作小説とヒッチコック監督版って、内容ぜんぜん別ものなんだもん!! いや~これはビックラこいた。作品それぞれの内容よりも、両者の違いの方が断然おもしろかったりして。
そこらへんの原作小説の話は後にしまして、まずはヒッチコック監督版を単体で観て気になったポイントだけを、ずらずらっと羅列してみましょう。
眠くなるとかテンポが悪いとか散々言っておりますが、でもまぁ、ほぼ100年前の映画ですから、しょうがない部分は多いですよね。むしろ、ちゃんと腰を据えて観れば、評価すべき点は充分にありますよ、ええ。
≪注意! ここからはヒッチコック版および原作小説版『下宿人』のオチに触れる内容がズビズバ出てきます。未見未読の方の中で、これから作品を楽しむ予定のある方は、以下の文章を読むことはお勧めしません! 楽しんでから読んでください!!≫
・エドワード=エルガー『行進曲 威風堂々』(1901年初演)が盛大に流れて始まる DVD版。こういうサイレント映画の音楽選曲って、誰がやってるんだろう。DVDの製作会社が全責任を負っているのか?
・ロンドンでの電話ボックスの普及は1926年から(コンクリート製の電話ボックスは1920年から運用開始)。それがさっそく登場している。
・本作のモデルとなった「切り裂きジャック」による連続殺人事件は1888年に発生した。確実な犯行は5件、可能性のある犯行も含めると11件(1891年まで)。原作小説『下宿人』は1913年刊行。
・広告ネオンのように明滅する字幕、鏡に写ってゆがむ顔、人間の目のように見える新聞紙輸送車のリアウィンドウ、口をポカーンと開けてラジオに夢中になる若者、金髪の女性を狙う復讐者対策のために黒髪の付け毛をして帰宅するモデルなどなど、いろいろと印象的なカット演出が。
・記者の電話、新聞社のタイプライター、大手新聞紙の巨大な印刷輪転機、街頭の電光字幕ニュース、ラジオの全国ニュース、モードファッションショーといった当時最新の都市文化が出てくる。
・扉に迫る影から映すテクニック、室内のガス灯の光量が少なくなる演出、下宿人の玄関登場シーンのカット割りの異常な細かさ。
・動作が異様に緩慢な下宿人のミステリアスな演技。
・電気のついていない暗い部屋の中に一瞬、外を走る自動車のライトが差し込んで明るくなる演出が細かい。
・金髪の美人画や人の声を過剰に嫌悪する下宿人、中性的な容貌、大切にしている往診カバンの謎。
・1ヶ月分の宿代をいっきに払う、気前のいい下宿人。下宿人に一目惚れしたらしいデイジー。
・復讐者の逮捕に異常に自信満々な刑事ジョー。もう7人死んでるんですが……
・有名な二階の下宿人の透明床シーン。
・火かき棒を握る下宿人のショットでシーンが切り替わる演出が、実にヒッチコックらしい。
・公務用の本物の手錠で恋人にからみまくる刑事ジョー……現代だったら懲戒免職モノじゃない!?
・自室の暖炉の上に硬貨を放り投げ、金銭にあまり頓着しない下宿人。ドレスのプレゼントもなんなくできる。
・深夜11時30分に下宿を抜け出す下宿人。しかし、30分後には帰ってきたとバウンティング夫人は語る。
・吹き抜け階段の上から、手すりをつたう下宿人の手首だけが見えるショット。
・切り裂きジャックと違い、毛皮のコートを着た婦人も被害者にする復讐者。
・あくびが何往復もうつるバウンティング夫妻。
・デイジーの絶叫を聞いて下宿人の部屋に押しかける刑事ジョー。しかし、その理由は……
・ふだんはボーダー柄のベストを着ている下宿人。冷徹な表情のわりにポップなファッションセンスでかわいい。
・後ろめたいことのない人間でも、借りている部屋に勝手に知らない男があがりこんできたら怒ると思うが、ましてやその男の職業(警察官)を知ってしまえば……解約どころか刑事ジョーの責任問題では!?
・デイジーに逢いにファッションショーに来た下宿人をゲットしようとして失敗するモダンガールの悔しがり方が、ちょっと粋で面白い。
・深夜に徘徊する下宿人への疑心から、彼がデイジーに贈ったドレスを箱ごと突き返すバウンティング夫妻。
・シャワールームの扉ごしの下宿人とデイジーの会話シーンは、当時としては結構攻めていたのでは?
・下宿人とデイジーの仲直りデートの出発が、雨のために遅くにずれこんでいるという伏線が用意周到。
・おそらくは公務の警邏中にデイジーと下宿人のデートに出くわし、ショックで復讐者の捜査どころじゃなくなる刑事ジョー。こいつ……!!
・下宿の部屋に戻ったデイジーと下宿人のラブシーンが、キスまでたっぷり2分もかけるという粘着質な構成。デイジーからの目線で、スクリーンいっぱいに迫る下宿人の顔が、いくら美形とはいえキツい!!
・証拠品はいっさい無いはずなのに、完全な私怨で下宿人を逮捕する刑事ジョー。令状、よく出たな!
・ガサ入れの結果、部屋の鍵付き金庫から復讐者の犯行現場をメモしたロンドンの地図や事件記事の切り抜きを入れた往診カバンを発見して、確かな手ごたえを感じる刑事ジョー。しかし下宿人が、カバンに一緒に入っていた復讐鬼の第1の犠牲者の写真を指して「妹だ」と語った瞬間に、あからさまに「あ、やべ……」という表情になるのが、なんとも正直でよろしい。
・クライマックス前に語る下宿人の回想から、復讐者が完全に上流階級の女性を狙っていることと、下宿人がダンスパーティに家族(母と妹)で参加できるという相当な身分の人物であることがわかり、物語はサスペンス映画と言うよりは伝奇ロマンス映画の様相を呈してくる。この構造は、『緋色の研究』や『恐怖の谷』的な探偵小説の古態を連想させるものがある。そこはやっぱ、1910年代の小説よね。
・パブの電話を借りた刑事ジョーの警察連絡を小耳にはさんだ客達が義憤に駆られて下宿人狩りに乗り出し、あっという間に暴徒と化してしまうさまと、その直後に下宿人が復讐者でないことが明らかになるくだりが非常にスピーディでうまい。さすがですわ。
・刑事ジョーが、「急げ、大変なことになるぞ!」と部下にあごで指示してパブを出るしぐさが、今までの愚行の数々から一転してカッコいいだけに、めちゃくちゃ腹立つ。誰のせいでこうなったと思ってんだコノヤロー!!
・かなりの数の群衆が下宿人のリンチに殺到するシーンでヒッチコック監督自身もエキストラとして出演しているのだが(本作では2回目の登場)、セリフこそないものの、わりとど真ん中の位置に陣取って「あいつ、復讐鬼じゃなかったのか……」という反応の演技もしているのが珍しい。しかし、若いな~!
・エンディングの「 ALL STORIES HAVE AN END(めでたしめでたし)」という字幕の後に、ちゃんとハッピーエンドのおまけも付いているのが粋である。ここで、やっぱりこの作品がロマンス映画であることがよくわかる。窓越しにちょっとだけ見えるロンドンのネオンが、またいい。
とまぁ、こんな感じなんですけれども、とにかく驚いてしまうのは、この作品において、帝都ロンドンを恐怖のどん底に叩き込んだ殺人鬼「復讐者」の正体は、まるで明かされないという点なのです。それどころか、クライマックス直前に登場人物のだぁれも知らないロンドンのどっかで捕まっちゃってるという! エンタメ映画の展開として、そんなのあり~!? OSO18じゃないんですから、あーた……
つまるところ、このヒッチコック版『下宿人』の最大の特徴は、「サスペンス映画ではあるがミステリー映画ではまったくない。」という、この一点に尽きます。突然ふらりとやって来た下宿人の正体が殺人鬼なのか?というハラハラ要素は十二分に効いていますし、クライマックスにおいて「殺人鬼じゃなかった!」と判明した下宿人の救出に向かう登場人物たちが、果たして間に合うのか?という展開も非常にドキドキものなわけですが、ふつう「切り裂きジャックの映画やるよ~。」と聞いたら、お客さんの9割9分が興味を持つ「殺人鬼の正体は?」という問題は、ビックリするくらい華麗にスルーしてしまっているのです。なので、はっきり言ってこの作品は、いいとこ『切り裂きジャック外伝』、感覚としては『切り裂きジャックこぼれ話』といったポジションにとどまる異色作なのではないでしょうか。
お話の筋の他にも、「切り裂きジャック事件の映画化」と聞いてこの作品を観た人がまず違和感を覚えるものとして、この映画が撮影された1920年代の最先端文明が、冒頭から意図的に多用されていることも挙げられます。「復讐者また犯行」というニュースを聞いて記者が公衆電話を利用して報告し、それを記事に載せた新聞が大量に印刷され、朝イチでロンドン中の売店に配るべく配送トラックが市内を爆走するというくだりは、切り裂きジャック事件の発生したヴィクトリア朝では見られなかったスピーディな風景ですよね。原作小説『下宿人』でも、確かに新聞というメディアの重要性は言及されているのですが、どっちかというと「かわら版」のような悠長な空気が漂っていました。
こんな感じの、実に近代的でヒッチコック的な冒頭シークエンスを観るだに、私は「これ、切り裂きジャックの時代じゃないよな……?」と強く感じたわけだったのですが、逆に終盤に判明する下宿人の正体と、その下宿人と真の復讐者との因縁、そしてすべてが解決したのちの、下宿人とヒロインとの甘ったるいにも程のある結末といったつれづれは、ディズニー系のおとぎ話かと見まごうご都合主義にまみれており、ロマンあふれる「貴種流離譚」の典型となっているのでした。この、最先端の時代に展開されるベッタベタなロマンスという感じが、実にトレンディで韓流……
こういった点から見ても、この『下宿人』という作品は、「サスペンスの巨匠の記念すべき実質第1作」というしゃっちょこばった肩書は決して似合わず、「器用なプロが売れ線目当てでやってみたハラハラドキドキもの」というくらいの扱いでよろしいのではなかろうかと思うわけなのです。
そう考えてみると、男である私から観たら「誰得!?」としか思えない、あの下宿人のキス顔アップの長回し接写も、観客が女性層メインであることを想定したからに他ならず、美形でお財布にも余裕のありそうな下宿人をゲットしそこねて悔しそうにするモデルっぽい女性というモブキャラ造形も、いかにも同性ウケのしそうなギャグカットですよね。
あと、ヒロインのデイジーの職業が「ファッションモデル」というのも、実に先鋭的です。物語が始まると、結局そこら辺の要素は薄まってふつうに下宿で下働きをする物静かな女性に収まってしまうのですが、ヒロインの生き方にあこがれを抱く女性も多かったのではないでしょうか。それでしまいにゃ、ああいうご身分の彼氏とねんごろになっちゃうんだもんねぇ。理想的な玉の輿ストーリーですよ。
こういう風にヒッチコック版『下宿人』の印象を整理してみると、これって、今でいう「女子中高生中心のカップル向け青春恋愛映画 or ホラー映画」とまったく同じ需要にこたえた作品なのではないかと思い当たるわけでして、監督の個性や思想というよりは、完全にニーズ重視で作った「商業映画」のお手本のような作品であろうことを確信せずにおられません。筒井康隆先生でいうところの『時をかける少女』だ、こりゃ!
ただ、さすがそこはヒッチコックといいますか、そんな中でも下宿人のファーストカットを筆頭として、100年経った今でも絶対的にセンスの良いカット割りの技術は随所に見られます。ただ短いカットを連続させるだけでは目が疲れるだけですが、カットそれぞれに意味のある要素(開くドア、下宿人の全身シルエット、おびえるバウンティング夫人の表情など)があり、それらの連続で周辺情報と観る者の注目が集約されていき、最後に「観たいもの(下宿人の顔のアップ)」がドーン!と画面に現れるという、観客の渇望と充足のツボを的確につかんでいる映像感覚は、ちょっとこの才能が政治的なものに利用されたら怖いぞ……とゾッとしてしまうくらいの鋭さに満ちているのです。この時、ヒッチコック若干27歳! この青年がイギリス生まれで、ほんとによかった。
すごいなぁ。もうこの時点で、後年の『サイコ』(1960年)のシャワーシーンとほぼ同じレベルのスピード感ができあがってるんだもんなぁ。こういうのを見ちゃうと、あの歴史的怪SF『フェイズ4』(1973年)を世に出したソウル=バスの肩も持ちたくはなりますが、やっぱヒッチコックに軍配が上がりますよね。
そういえば、『サイコ』でもヒッチコックは、序盤から観客の興味を引きまくっていた「マリオンが持ち逃げした現金4万ドル(-中古車代)の行方」というサスペンス要素を、いとも簡単にぽいっと捨てちゃうんですよね。そこらへんの、観客の心理状態をわかったうえで繰り出す裏切りセンスは、ほんとに『下宿人』の頃から変わってないんですねぇ。
この他にも、ヒッチコック版は「透明な二階の床を歩く下宿人を一階から見上げる」という伝説的なカット挿入も有名ですし、一定の見ごたえのある作品にはなっています。なってはいるのですが、そこはやっぱり甘~い味付けの当時はやりのエンタメ作のひとつという但し書きは忘れてはならず、間違っても「映画史上に残る巨匠のサスペンス第1作!!」という惹句を鵜吞みにして期待値を上げてはいけないのではないのでしょうか。
そんなな感じで、ヒッチコック版『下宿人』を観た感想はここまでなのですが、ここからは、マリー=ベロックローンズの原作小説『下宿人』(1913年刊)について、ちょっとだけ。
私、大学時代にヒッチコック版『下宿人』を観てからず~っと気になってたのが、「こんなミステリ要素皆無の作品が、なんでイギリス推理小説史上に残る名作と評されているのか?」という点だったんです。だって、はっきり言って謎解きしてないじゃん! なんなら切り裂きジャック関係ないし!
でも、これは原作小説からすれば完全事実無根なとばっちりで、原作小説の内容は、ヒッチコック版とはまるで違うんです。ほんと、登場人物の頭数が同じだけで、そのキャラクターも時代設定も、話の流れも結末もぜ~んぶ別もの! これを見比べちゃうと、キューブリック版の『シャイニング』(1980年)とか市川崑監督版の『獄門島』(1977年)やら『八つ墓村』(1996年)がかわいく見えてきちゃう。
まず、原作小説は1913年ですから、ヒッチコック版の公衆電話やらファッションモデルやらは出てくるわけがありません。そして、物語の主人公は下宿を切り盛りしているバウンティング夫人であり、ヒッチコック版でヒロインを務めていたデイジーは登場こそするものの、バウンティング夫人の夫と先妻との間の子という微妙な距離感のある関係にあるため夫人とは同居しておらず、普段住んでいる伯母(夫人の夫バウンティング氏の姉)の家で感染症がはやったために一時的に夫人の下宿に住み込むという設定になっているのです。したがって、デイジーが下宿にやって来るのは下宿人(原作では「スルース」という名前がある)が来てだいぶお話が進んでからで、当然、ロンドン警視庁勤務のジョー刑事(原作では「ジョー=チャンドラー」という名前)と恋仲になるのも下宿に来て以降になるので、ヒッチコック版の序盤から観られていたような「むしろ倦怠期になりつつある半婚約状態」になどなっておりません。
そして、最大の違いは何と言っても下宿人スルースの正体とその結末で、原作版のスルースは「きわめてクロに近いグレー」といった感じの扱いで、ある偶発的に起きたアクシデントをきっかけに何の前触れもなく下宿から姿を消して、「あの下宿人は、いったい何者だったんだろう……?」というバウンティング夫人の感慨をもって、物語は終わってしまうのです。もちろん、殺人鬼「復讐者」も逮捕されずじまいです。
え、えぇ~!? 違う、何もかもが違う! もうこれ、ヒッチコック版は「映画化」じゃなくて「パロディ映画化」ですよ! 原作者のベロックローンズさんも、よく許可したな!
こんな感じの筋立てなので、ヒッチコック版がミステリーじゃないのとは全く別の意味合いで、原作小説もまた、ミステリーではありません。だって、「復讐者」の正体はわからずじまいなんですからね。ただし、かなり肉薄するところまで状況証拠はそろい、バウンティング夫人の下宿人スルースへの疑惑は高まっているので、「最後の答え」が無いだけでミステリーとしては充分に成立しているとも、原作小説に関しては言えるとも思います。
それよりも印象的なのは、自分よりも「先妻との間にできた娘」デイジーを大切にしている夫への複雑な思いや、体面的にデイジーに優しく接しなければならないという道徳観に無言の圧力を感じていたり、普段のたたずまいは知的かつ紳士的な下宿人スルースを殺人鬼の可能性があるとして疑いながらも、金払いのいい客としての恩もあるという「ストックホルム症候群」みたいな秘密の共有関係を持ってしまうバウンティング夫人の心理状態の彫りの深さがものすっごく現代的で、そういう心理小説という意味でも、原作小説の『下宿人』は、イギリス文学史上に残る名作であると思うのです。これは間違いない! 新訳版、早川さんか創元さんで出してくんないかなぁ!?
『下宿人』における原作小説版とヒッチコック版の異様な相対関係は、実に興味深いですね! 原作小説の方が前近代的なはずなのにあいまいな物語の結末も登場人物の心理描写もかなりモダンで、ヒッチコック版の方が20世紀的なお膳立てなのにむちゃくちゃ古臭くて子どもだましに見えてしまうのです。「時代に寄り添うエンターテインメントとは何なのか?」という問題を思い起こさせる好例だと思います。
いや~、こういう知見を得るためにも、やっぱ原作小説はちゃんとチェックしとかなきゃいけませんわな! にしても、読むのに2ヶ月かかっちゃったよ……
さぁ、こうして始まりました「ヒッチコックほぼ全作コンプリート計画」、こんどレビューするのは第10作『ゆすり』になりますかね! 故きを温ねて新しきを知る旅になりそうで、非常に楽しみであります! 肝心かなめの『サイコ』にいたるのは、一体いつのことになるのやら……
あらためて思いましたが、ヒッチコック映画はミステリーじゃありませんよね。とにかく徹底的にその場のスリラー展開にこだわる、その即物性! しかし、その即物性が100年を超えるエターナルな魅力になっているのだ……
いや~、映画って、ホンッッッットに!! すばらしいもんですねェ。それじゃあまた、ごいっしょに楽しみましょう~。
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