長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくり世界史 第9回『パトリキVSプレブス ローマの充実』

2010年10月21日 18時04分48秒 | ざっくり世界史
 こんばんは! そうだいです。今日はどんな日でしたか?
 いや~、行って参りました、銀座・日生劇場で上演中の舞台『カエサル』! 原作・塩野七生、演出・栗山民也、主演・松本幸四郎。
 幸四郎さん、68歳なんですよね? いやいや、若い若い! 気力の充実した壮年のカエサルを堂々と演じきっておられました。とにかく元気な幸四郎さんご本人が観られたのがとてもよかったです。
 この「ざっくり世界史」でもいつかは必ず取り上げることになるユリウス=カエサルなんですが、この舞台でも、平和好きかつ戦争好き、国民の自由を愛しつつ権力の独裁を目指すという矛盾した人物像がクローズアップされていました。こういう複雑な英雄を演じきることのできる名優もそう多くはないでしょうが、幸四郎さんは持ち前の魅力に満ちあふれた存在感でカエサルを日本で復活させていました。
 名優とは存在感なんだな、と感じる舞台でしたね。幸四郎さんの数え切れない豊富な経験によって彫りだされてきた見事な人生は、舞台と客席の距離でもはっきりと届いてくるものでした。小沢征悦さんや渡辺いっけいさん、水野美紀さんたちの演技も素晴らしいものでしたが、やっぱ別格なのよねぇ。

 さぁ、そんなカエサルを目指して、今日も今日とてローマの歴史をエーンヤコーラ。

 みなさん、「SPQR」という略語をご存じでしょうか? 実はこの4文字が、共和国時代から使用されるようになったローマという国の「紋章」というか「サイン」なんです。もともとの言葉は、
「Senatus Populusque Romanus」(セナトゥス・ポピュルスク・ロマヌス って読むのカナ~? ラテン語わかりません……)
 意味はすなわち、「元老院とローマの人民」。要するに「ローマ」という国を形作っている本質はこの2つだと言い表しているんですね。
 この「SPQR」印はローマの勢力のおよぶ地域の建造物や文書の中で無数に刻印されてきました。「ローマ」という国家自体が消滅した現在でも、イタリアのローマ市内のいたるところに「SPQR」の文字は使用されています。
 かつては演説の冒頭で「レディス・アンド・ジェントルメン」のように必ず言われていたという文句「SPQR」。今なお、世界帝国を創り上げたのはオレたちなんでぇ!というローマっ子の心意気が伝わってくる4文字です。

 さて、この「SPQR」でも並んで語られている「元老院」と「人民」。ごく簡単にいってしまうと、それぞれは身分でいう「貴族(パトリキ)」と「平民(プレブス)」ということになります。
 王国時代から、ローマの政治を担当してきたのはパトリキで構成された元老院であり、その元老院のさだめた政策にしたがってローマという国を作り、時には武器を取って兵士として闘ったのがプレブスでした。
 当時のローマでは、闘う兵士はみな、普段はそれぞれ別の職業を持って生活している健康な男子であり、専門職としての「軍人」はいなかったのです。
 必然的に、ローマの総理大臣ともいえる執政官に就任するのもパトリキ階級の人物ということが当たり前になってきていたのですが、違った身分の人々の気持ちまで考えてくれる政治家というものは、どの時代でもなかなか出てきてくれるものではないようで、共和国の発足したローマでも、さっそくパトリキ中心の政策に対してプレブスが不満をうったえるようになりました。
「元老院、元老院って言ってっけど、ほんとに戦争で戦ってんのは俺たちプレブスなんだぜ! もちっと俺たちの意見も聞けってんでぇ!」

 そうした状況の中で、前回に取り上げた「第1次ラティウム戦争」も後半にさしかかった紀元前494年。度重なる戦争に疲れ切ったプレブスのストレスがついに爆発してしまいました。
 兵士としていつものように戦争に行くはずだったプレブスが、こぞってローマの聖なる山「モンテサクロ」に引きこもるというストライキを決行したのです。
 これにはさすがの元老院も頭を下げざるをえませんでした。兵士がいないのでは戦争もへったくれもありません。プレブスの要求を呑んで和解することとなりました。
 プレブスの要求とは、自分たち平民の中から選出した「護民官(トゥリブヌス・プレビス)」を政治に参加させること。護民官は、元老院の決定した政策を拒否することができる要職で、執政官の決定も拒否することができるんだから大役です。
 この「聖山(モンテサクロ)事件」をきっかけに、ともすればパトリキ中心になりがちだったローマ共和国の政治にプレブスが加わっていくようになったのです。

 この流れの中でさらに重要なのが、第1次ラティウム戦争も集結してから半世紀たち、ようやくローマの国作りも落ち着いてきた紀元前450年に制定された「12表法」です。
 「12表法」が重要なのは、ローマ史上初めて作成された「成文法」であること。つまり、「字になっている法律」だということなんです。内容自体は古くから守られていたローマの伝統的な法律がまとめられているだけなので、特に目新しいものではありません。
 つまり、これまでは法律を知っている人から次の人への「口伝え」だけで継承されていたローマの法律が、12枚の銅板を読むことで、字が読める人なら誰でも理解できるようになったのです。これはもんのスゴいことですよ!
 今で言う「情報の開示」ということでしょうか。それまでパトリキだけで独占されていた法律の知識がプレブスにも解放されるようになり、プレブスの政治参加ボルテージは上がりっぱなしになりました。

 こうして、ローマ政治でのプレブスの重要度の拡大は進んでいき、「12表法」の1世紀後の紀元前367年に制定された「リキニウス・セクスティウス法」で2人いる執政官のうち1人は必ずプレブス出身であることが定められ、さらにそののちの紀元前287年に制定された「ホルテンシウス法」ではついに、プレブスだけの集まり「平民会」が、元老院と同様にローマの法律を制定できる権利を持つようになったのです。

 まぁ、こういった感じでローマ共和国の国内政治は安定していくことになり、イタリア半島の中部にあるちっぽけな都市国家であることに違いはないものの、国民のやる気アップによりしだいに国力を充実させていったローマは、イタリア半島を代表する国家になっていったのです。
 でもなんか、こうして見るとまさに「民主主義バンザイ」って流れで、とてもこの国が「帝国」になるようには思えないんだけどなぁ……歴史って不思議ですね。

 ところが、国内ではこうした実りある成長をとげていたローマ共和国も、国外ではある重大な問題に直面していました。
 エトルリア人とのかねあい? いやいや、そんなこともふっとんじゃうような新たな問題だったのです。もう、ラテン人だエトルリア人だといがみあってる場合じゃなかった!

 以下、次回。いち、にい、さんガリア!

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