長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

時をかけるじじい ~ぬらりひょんサーガ 続百鬼・明~

2011年10月05日 14時27分24秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
《前回までのあらすじ》
 恐怖の落とし穴&コンクリート詰め作戦によって鬼太郎を倒したかのように見えた凶悪妖怪ぬらりひょん!
 しかし、驚異的な生命力の鬼太郎は右手首を分離させ、「鬼太郎憑き」を駆使してぬらりひょんを苦しめる。
 命の危険を感じたぬらりひょんは盟友・蛇骨婆の助けをえて鬼太郎の右手を分離させることに成功し、ただちに反撃に転じるのだった!


 蛇骨婆のまさかの「ぬらりひょんの手ごと直火焼き」作戦によって、たまらず分離した鬼太郎の右手首。
 しかし、蛇骨婆の家から抜け出した手首はトテトテと5本の指を使って疾走し、古代岩の落とし穴でコンクリート詰めになっている鬼太郎本体(とねずみ男)のもとに駆けつけます。
 どこかから拾ってきたカナヅチで必死にコンクリートを叩き壊す手首!
 苦労の甲斐あって、上半身を地上に出した鬼太郎は右手首をもとに戻し、フーよっこらせっとコンクリート穴から立ち上がろうとします。

 ところが、その鬼太郎の胴体を持って引きあげる2人の影!
 ぎょっとする鬼太郎。助けたのは他ならぬ、ぬらりひょんと蛇骨婆のシルバー妖怪ペア。なぜ?


ぬらり「鬼太郎さん! ほんとにえらいあやまちをしてしまって、ぼく、とても反省してるんです。」
蛇骨婆「鬼太郎さん! ぬらりひょんがとんだことをしまして、ゆるしてくださいね。ひひひひひ。」

 まさしく手のひらを返したような物言いで鬼太郎に平謝りする2人。

鬼太郎「(穴を指して)この中にもうひとり(ねずみ男)いるんですけど……」
ぬらり「ま、そんなのあとでもいいじゃないの。」
蛇骨婆「さ、そこで甘酒でものみましょ。」
鬼太郎「甘酒? そりゃあ気がききますなぁ。ぼくも長いあいだ飲んでいないもんですからねぇ……」


 蛇骨婆は、甘酒が入っていると思われる、栓をした古風な壺を持っていました。
 甘酒のもてなしに態度を軟化させる鬼太郎。親友であるはずのねずみ男の救出よりも甘酒を優先させたのは、ねずみ男の強靱な生命力を信頼したからだったのだ……たぶん。

 言うに及ばず、甘酒は罠。
 蛇骨婆の持っている壺はあらゆる物体を吸い込み封印してしまう「魔法の壺」であり、甘酒に酔っぱらった鬼太郎を中にシュポン! 永久にサヨナラ、というのがぬらりひょんの考えた第2の作戦だったわけなのです。
 さすがは凶悪妖怪。みずからが苦労して相手と闘うという発想はまるでありません。使えるものは友だちの秘蔵武器でも使う! ジャイアンイズム全開だ……

 一見、甘酒の話を信じきってウキウキしているような鬼太郎だったのですが、なぜか飲む場所だけは指定し、藁でできた小さなあずまやのような無人の建物に2人を連れていきます。


蛇骨婆「どこでもようごさんすよ。ひひひ。」
ぬらり「(ひそひそ声で)成功しそうだよ。」


 鬼太郎が親切心で飲む場所を用意してくれたと思いこんだ2人は、早すぎる勝者の余裕で鬼太郎の誘うあずまやに入りますが、中には、直径1メートルもの巨大な石ウスが意味ありげに置かれていました。十数本の取っ手がついた、船のかじを横にしたようなフタがあり、これを回して中の穀物を挽くという形式の本格的なものです。ここをカウンターにして立ち飲みしようというのか?


ぬらり「あっ、これはなんですか?」
鬼太郎「ああ、これ。なーに、これをまわすと外の景色がかわるんだよ……まぁ、いってみれば、ぼくの映画かも知れないね。」

 かなりの上から目線で自分のホームシアターらしきものを説明する鬼太郎。窓の外の風景が変わる? がぜん興味を示すぬらりひょん。

ぬらり「おばば! さっそくまわして見ようじゃありませんか。」
蛇骨婆「その前に甘酒を一ぱいずつのもうや。」


 さすがは水木しげる神先生! ここで注目しておきたいのは、「テンションが上がって大事な目的を忘れてしまう男子」ぬらりひょんと、「目的が気になっていまいち場の盛り上がりについていけない女子」蛇骨婆の対比が見事に描写されているところなのね。
 嗚呼、男と女……妖怪の世界でも永久に埋まらないミゾは確かに存在していた。

 ともあれ、少なくともこの場では蛇骨婆の冷静な判断の方が断然正解だったはずなのですが、年甲斐もなく鬼太郎の自慢にアツくなってしまったぬらりひょんは、甘酒作戦もそっちのけで石ウスを回してくれとせがみます。

 リクエストにこたえ、巨大な石ウスを左へ左へとクルクルかろやかに回す鬼太郎。
 すると、鬼太郎の言った通り、見る見るうちに外に広がる天気が変わり、季節が変わり、生えている植物の種類が変わり、地形までもが変わっていきます。
 昨今の3D映画ブームにさかのぼること40年以上! 1967年当時では東京の一流映画館でも観ることができなかったド迫力の光景に度肝を抜かれる2人。
 思わず、冷静だったはずの蛇骨婆までもが見とれてしまいます。


蛇骨婆「うわあっ、おもしれえや……もっとまわしてみろよ……」
ぬらり「あっ、マンモスだ!」


 いつしか外では、石ヤリを手にした原始人たちがマンモスを取り囲む壮絶な狩りが展開されていました。
 そう、鬼太郎の招いたあずまやは、中にある石ウスを左に回せば回すほど空間を過去に逆行することができる一種のタイムマシンのような装置だったのです! これは男子にはたまんねぇや!!
 そして、マンモスと原始人がいるということは、この時点であずまやは旧石器時代、少なくとも3万年前の世界までさかのぼっていたことに。

 なんというダイナミックアトラクション! 汗びっしょりで興奮してしまったぬらりひょんは、ついに窓の外に身を乗り出してしまいます。


ぬらり「おばば! あの活劇を外に出て見よう。」
蛇骨婆「おい! あわてるでねえ……」


 さすがにこれはなんかヤバいと思ったのか、ぬらりひょんを静止しようとする蛇骨婆。

 しかし。この瞬間を鬼太郎は待っていたのだ……

 すかさず、ぬらりひょんと蛇骨婆を後ろからあずまやの外に押しだし、魔法の壺もぽいっと外に投げて、なんの良心の呵責もなく石ウスを「右」にクルクル回しだす鬼太郎!
 「左」に回して過去に行くとしたら、「右」に回せば……

 あずまやは一転、老いさらばえた爺さまと婆さまをマンモス時代に取り残して未来へと急進していきます。
 外に出た瞬間にパッと消えてしまったあずまやを見て、2人の胸に去来したものはなんだったでしょうか。


思ったよりも   夜露はつめたく
2人の声も    ふるえていました
「僕は君を」と  言いかけた時
街のあかりが  消えました
もう星は帰ろうとしてる
帰れない2人を残して       (作詞・井上 陽水)


 『墓場の鬼太郎 妖怪ぬらりひょん』、完。


 以上です……

 いや、ほんとほんと!
 実はですね、水木しげるが描いた純粋な「ぬらりひょんと鬼太郎との対決」は、『週刊少年マガジン』で1967年10月に展開されたこの1回(前後編)だけなんですよ!
 つまり、この回に登場した凶悪妖怪ぬらりひょんと連れの蛇骨婆は、3~5万年前の旧石器時代に置いてきぼりにされたまま、それ以降現代日本には戻ってこなかったのです……死んじゃった?

 ただし、蛇骨婆に関しては確かにそれっきりなんですが、正確に言えば、ぬらりひょんは以後、水木しげるによるマンガの世界に「2回」再登場しています。
 ところが、具体的にはそれぞれの時に説明しますが、「あの時マンモス時代に流されたぬらりひょんと同一人物かどうか怪しい」や、「どちらかというとアニメ版の設定よりのゲスト扱いになっている」という理由もあり、最初の「無差別爆弾テロを楽しむ凶悪妖怪ぬらりひょん」その人が復活することは、水木先生本人の手ではいまだ実現していないのです。

 要するに、のちのち『ぬらりひょんの孫』のヒットまでに拡大していく強力な「妖怪総大将ぬらりひょん」イメージは厳密な意味では水木しげるの発案ではなく、その点ではぬらりひょんは、今や「鬼太郎にとってかけがえのないヒロイン」にまでのぼりつめてしまったあの猫娘と非常に似た距離感を原作マンガとのあいだに持っているのです。良くも悪くもアニメのほうが影響が大きいんですね。


 ともあれ、以上のごとく、鬼太郎の秘技「先祖流し」(あのあずまやが原作で使用されたのは、この1度だけ!)によってあっさり葬られてしまった妖怪ぬらりひょんだったのですが、この『墓場の鬼太郎』の大ヒットによって始まった戦後初の「妖怪ブーム」の波に乗って、虎視眈々と妖怪総大将の座をねらいながら命脈をたもっていくこととなります。

 原作ではさっさと退場せざるをえなかったぬらりひょんがどうやって有名になっていくのか?
 おのれ鬼太郎! 復讐の炎に燃えるぬらりひょんのサクセスストーリーは、まだ始まったばかりなのだ~。
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発動、鬼太郎抹殺計画!! ~ぬらりひょんサーガ 続百鬼・晦(かい)~

2011年10月03日 13時58分43秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
《前回までのあらすじ》
 関東地方全域に波及する一大妖怪組織「奴良組」の頭領ぬらりひょん。
 四国の「八十八鬼夜行」、京都の「羽衣狐連合」、東京の謎の勢力「百物語組」らと日夜抗争に明け暮れる若手妖怪たちのカリスマ。
 しかし、実はそんな彼にも、若手時代にはなみなみならぬ辛酸をなめた苦々しい記憶があったのだ! だって、3~4万年生きなきゃいけなかったんだもの……


 1967年10月。
 明治維新以後最大の妖怪作家と言ってもいいマンガ家・水木しげるの手によって、『週刊少年マガジン』版『墓場の鬼太郎』の中で、気ままな無差別爆弾テロ生活をたのしむ前代未聞の凶悪妖怪に生まれ変わってしまったぬらりひょん。生まれ変わりすぎ!
 しかし、悪事を生き甲斐にする彼にとっては、どうしても始末しておかなければならない不倶戴天の存在が。

 その名は、ゲゲゲの鬼太郎!

 数年前から、バックベアード率いる西洋妖怪軍団を撃退したり、マッドサイエンティストのせいで身長50m の大海獣に変身させられて東京でメカ大海獣と闘ったり、政府の要人の血を狙った世界的に有名な吸血鬼エリートにドロドロに溶かされたり、日本をタヌキの国にしようとした八百八狸軍団と闘ってやっぱりドロドロになったりと、なにかと人類側の肩を持つ存在として活躍していた幽霊族の最後の生き残り・ゲゲゲの鬼太郎少年が、そう遠くない未来に大都会の一匹狼ぬらりひょんにとって邪魔なものとなることは、火を見るよりも明らかなことでした。

「あんしんして悪事をたのしむためには
 鬼太郎をかたづけなくてはならないな……」

 そう確信する背広姿のぬらりひょん。
 そして! なにげなく入ったパチンコ屋で隣の客があのねずみ男だったことから、彼は鬼太郎抹殺計画の端緒をつかむことに成功します。

 この後、さまざまな局面でぬらりひょんとからむこととなる希代のワル「ねずみ男」なのですが、その正体は謎に包まれており、「自称300歳の半妖怪」「黄色か灰色の布を身体にまとっている」「ずるがしこい」「全身がくさい」というくらいしか確かな情報はつかめていません。
 「正体不明」で「ずるがしこい」。う~ん、なんかぬらりひょんと似ている! 確かに気の合うことも多いこの2人なのですが、最終的には必ず決裂するというパターンを繰り返しており、似た存在を決して認められない同族嫌悪のような関係になっています。複雑!

 そんな2人の記念すべき初対面だったのですが、パチンコ屋で床に落ちた玉を取り合ったのが出会いのきっかけとは……最高のシチュエーションじゃないですか!!

ねずみ「ぼくのきょうの運命はこの玉1個にかかっているのです。」
ぬらり「あなたの運命がかかっていようといまいとその玉はぼくのものです。」

 これ、少年マンガですよ。

 まったく譲らないぬらりひょんに、ヒートアップしたねずみ男が「なんなら鬼太郎呼ぼうか!?」と口走ってしまったことから、ぬらりひょんの態度は一変します。

ぬらり「なにっ鬼太郎? するとあなたは鬼太郎の親類かなんかで……」
ねずみ「べつに親類ではないが先輩として尊敬されております。」

 ねずみ男の根拠のない発言を真に受けたぬらりひょんは、ねずみ男を喫茶店に誘います。

ねずみ「ところでこの(パチンコ)玉は……」
ぬらり「ああ、それなら、さしあげましょう。わたしはこんなにもってますから。」

 おもむろにねずみ男の前にぬらりひょんが出して見せたのは、100万円の札束。
 ぬらりひょんはねずみ男に「金持ちの山田老人」と名乗ります。それなのにパチンコ玉1個さえ手放さないとは……よくわかんないけど、とにかく普通の人間じゃねぇ!

 おしゃれな喫茶店でねずみ男にコーヒーとケーキをおごりながら、途中で偶然あらわれた鬼太郎本人とねずみ男とのケンカを目撃するひとこまも挟みつつ、
「明日の真夜中にトウモロコシ畑の古代岩ですき焼きパーティを開くから、ぜひとも鬼太郎を連れてきてほしい。」
 とねずみ男にもちかけます。かなり怪しい話なのですが、ついでに1万円ももらってしまったねずみ男に断る理由はありません。

 10円のキャラメルをめぐってねずみ男と殴り合いのケンカになるような生活状態の鬼太郎は、「すき焼き」という言葉につられ、ねずみ男とともになんの警戒心もなく予定の日時に古代岩をおとずれます。

 余談ですが、実はこの「ぬらりひょん事件」が発生した1967年の秋は、なぜか鬼太郎のかけがえのない父親であるはずの「目玉の親父」がまったく登場しないエピソードが連続しています(「見上げ入道」「ぬらりひょん」「毛羽毛現」「ぶるぶる」「かみなり」)。特にハッキリした理由は明らかになっていないのですが、アニメ版と違って、水木しげるの原作マンガでは目玉の親父が鬼太郎に付き添っていないことも多く、そのへんに親父の「かわいい子には旅をさせろ」的な教育方針が見え隠れしています。

 あるいは目玉の親父がいたのならば、怪しいすき焼きパーティに行くことも止められたのかもしれませんが、鬼太郎はのこのことやって来てしまいました。
 そして、のこのこついでにぬらりひょんが勧めた「皿に載ったあんパン3個」をつまもうとして、まんまと深さおよそ10m の落とし穴にねずみ男ともどもはまってしまいます。
 すかさず、チャーターしたコンクリート車をバックさせて鬼太郎とねずみ男のいる落とし穴にドボドボと生コンクリをそそぎ込むぬらりひょん。この時のコンクリ車の運転手ははっきり描写されてはいないのですが、どうやら妖怪ではない闇社会の人間のようです。リアルにこわい!

 さすがはぬらりひょん、知能的作戦だ! というか、こんなに妖怪らしくない妖怪がかつていただろうか……とにかく全てが金づくし。

 なんとかもがいて地上に出ようとした鬼太郎なのですが、生コンクリはぬらりひょん特注の「超絶速乾性」となっていたため、やっとコンクリから右手首をつき出したところで力つきてしまいます。
 ミッション・コンプリート。鬼太郎死す!?

 すべてが計画通りにいったぬらりひょんだったのですが、それゆえの慢心が! のちに3~4万年ぶん後悔しなければならなくなる大失敗の元凶を生んでしまった……

「ひひひひひ……
 おわかれの握手をしたいのならしてあげるよ。」

 やっちゃった! 特撮作品とかで有利になった敵キャラクターがついつい余計なことをして失敗しちゃう、「冥土のみやげに教えてやろう」パターンね。
 上機嫌なぬらりひょんは鬼太郎の右手首と握手をしたのですが、それが運の尽き!

 熱心な鬼太郎ファンならご存じのことかと思われるのですが、鬼太郎には、自分の手首を自由にはずしてリモートコントロールできるという脅威の超能力があるのです!

 ぬらりひょんの右手をガッチリつかみ、スポッと地面から抜けてしまう鬼太郎の右手首! ぬらりひょん1人の力ではどうしてもはずすことができず、しかも鬼太郎の右手は「鬼太郎憑き」というテクニックを発動させて、いつのまにかぬらりひょんの右手と同化してしまいます。
 ぬらりひょんの意志にまったく従わず、自由に暴れ出して自分の首を絞めようとしだすぬらりひょんの右手! かと思えば突然、通りすがりの体格のいい青年を殴り、ぬらりひょんは怒った青年に殴り飛ばされてしまいます。
 さすがの凶悪妖怪といえども、どうやら肉体そのものは人間の老人と変わらないようで、疲労困憊のぬらりひょんは、盟友の婆ちゃん妖怪「蛇骨婆(じゃこつばば)」に相談に行きます。

 イメージとしては、「大蛇を身にまとった鬼の形相の老婆」といった画像が有名な蛇骨婆なのですが、この水木しげるの原作マンガ版では、着物にどてらを着込んでわらぶき屋根の民家に住む、ごく普通の性格の悪そうな婆さんにしか見えません。よく見ると口から2本のキバが見えますが。

 意のままにならない自分の右手をなんとかしてほしいとやって来たぬらりひょんに、蛇骨婆はその右手を火であぶるという荒行を敢行します。
 見事、熱さに耐えかねて分離して逃げ出す鬼太郎の右手。そして普通にヤケドするぬらりひょんの右手! 蛇骨婆……恐ろしい婆さんだ。

 なんとか右手の自由を取り戻すぬらりひょんでしたが、逃げ出した鬼太郎の右手は必ず鬼太郎本体を救出するに違いないと予想する蛇骨婆にたいして、

「あいてはコンクリートの中でも死なないやつです。
 魔法のつぼに入れるしかたおす方法はありません……
 おばば たすけてくださいっ。お礼はたんまり出します。」

 ひたすら敬語で下に出るぬらりひょん! そう、ぬらりひょんは最初から蛇骨婆の秘蔵する「魔法の壺」目当てで彼女に接近していたのです。哀しいドライな関係だ……

 蛇骨婆の持つ「魔法の壺」とは、あらゆる物を中に封印してしまう能力を持つ恐怖の壺です。ちなみにこの設定は水木しげるオリジナルのもので、妖怪伝承の世界で蛇骨婆がこういった壺を持っているという説はありません。

 死なないのなら、永久に封印してしまえ……ぬらりひょんの起死回生の「第2作戦」、ここに発進す!

 どうなる鬼太郎~!?
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2011年9月度版 そうだい短期観測調査(そうだい短観)

2011年10月01日 14時04分18秒 | 日記
 どうもこんにちは~、そうだいでございます。
 秋だねぇ。10月になっちゃったねい。残暑は意外とすんなり去ってくれましたね。もう暑さが戻ってくることは……ないかな?
 10月だって! 2011年も終わりにさしかかっちゃったよ。いろいろありましたねぇ、今年は。なるべくは静かな秋と冬になって、上向きな話題の多い2012年を迎えたいですね!

 私の生活も、演劇というところへのウェイトがだいぶ軽くなって(観劇はやってますが)まる半年がたちました。
 そんな中でも、私の出ていた舞台を観たことのあるまわりの方たちに「またやるんじゃない?」とか、たま~に「またやってよ~!」とか言っていただける機会があって、そう言ってもらえるのはありがたいことなんだなぁ、と感じるわけなのですよ。

 だが、断る。

 いやいや、そんな岸辺露伴先生のような口はたたけないわけなのですがね。

 これは言うまでもなく私個人の感覚の話なのですが、演劇に限らず、人が何年にもわたってなにかを続けるという行為は、各駅停車ごとに新しい貨物を積み込んだり車輌を連結させたりしながら列車の運行を続けるようなものなんじゃないかと、今さらになってしみじみ実感してきました。
 要するに、私の9年間続けてきた「私鉄演劇線」の車輌は、現在ある駅で運行を停止しております。で、今のところ運行を再開する予定はないし、電気も通らせていません。そんな状態が半年経ってしまったので、車輌は余熱もすっかりなくなって冷めてしまいました。
 こうなるとねェ、また電気を通して車輌をあっためて「ゴットン、」と再発進をさせるのは至難のわざよ~!?
 私の場合は、最初に「演劇をやろう。」と決めたころは1人乗りの手こぎトロッコみたいな軽さで発進してしまったわけなのですが、最終的には京成線6両編成くらいにはなっていたでしょうか。微妙!
 最初の車輪のひとまわり、いや 1cm前に進める最初の動き出しこそがもっとも大変なエネルギーを必要とするわけなんですよ。そのあとはもう、スピードを上げれば上げるほどラクになるわけなんですから。

 多くの人たちと毎日顔をつきあわせて、同じ時間を共有しながらひとつの作品をつくりあげていくという作業。アホなわたくしはやってる最中、走行中にはそのことの「本当の大変さ」を知らなかったわけなのね。止まってみて、しばらくしてから、
「あぁ~、こんなに重いモンがあんなスピードで走ってたんだぁ。」
 と今さらになって驚いているわけなんでございますよ。まぁ、重い重いって言ってても、あくまでも私の主観からの重さなわけなんですが。

 止まらずに走りながら「疾走していることの奇跡」を実感することができる人が「その道のプロ」なんじゃないだろうか。そりゃもう、毎日毎日アタマで感謝するってことじゃなくても、身体で疾走を楽しんでいれば実感してるってことなんですよ。

 んで、今現在の私はどうしようとしているのかというと、演劇線車輌に積んでいた荷物の中で「再利用」できそうなものだけを選んで持ち出して、唐草模様のふろしきに包んで徒歩旅行をしているところです。
 もうちょっと、今年いっぱいは身軽さを楽しんでいようかとも思っていたのですが、いい加減そろそろ、新しい私鉄を開業するべきころなのかなぁ、という気にもなってきました。

 なにが起こるかわからない世の中でありますが、なんとか新しい私鉄を発展させて、余裕ができた時に演劇線とレールをつなげてあの古い車輌を回収することができたら満足だな、と妄想しています。
 さぁ、まずは自分の脚で歩いていきましょうかい。


 ということで、歩いてきた道をちらっ、ちらっとふりかえる毎月恒例の企画にいきましょう。

 2011年9月の『長岡京エイリアン』全17回。ラインナップは以下のようになりました。


読んだ本について
 山中恒『おれがあいつであいつがおれで』は本当におもしろい!(全3回)
好きな映画について
 「バンダイ SD ホラーワールド」かぁーらぁーのぉ~『サイコ』(全6回)
アイドルについて
 亀井絵里と加護亜依(全2回)
 生まれて初めての日本武道館コンサート観覧
好きな妖怪について
 ぬらりひょんの歴史(5回、まだ途中です)
日記
 ちょっぴり怒ってしまいました


 いやぁ~、やっぱり何回か続く話題がごろごろっと並んじゃいましたね。

 『おれがあいつであいつがおれで』は「男女の中身が入れ替わる」パターンの代表的作品だったわけなのですが、これをやってて私の中でムクムクとわいてきた次なる興味が、

「朝の登校中に道の角でぶつかった知らない美少女(美少年)が、実は同じクラスの転校生だった。」

 パターンの起源ね。
 これを最初にやったのは一体どなたなのだろうか。やっぱり日本人? 手塚治虫以降? もしかして外国発祥? アレクサンドル=デュマとかだったらおもしろいねぇ。
 それとつなげて、「ちこくちこく~!」って言いながら食パンをくわえて疾走するキャラクターの第1号が誰だったのかも知りたいですね。

 『サイコ』関連は本当に大好きなんですけど、とにかく家にあるDVDが観られないのが無念で仕方ありません。
 だいたいメドはついてきたから、今年中には絶対に新しいパソコン買って観たおしてやるぞコノヤロー!

 アイドルコンサートは素晴らしい経験になりましたね。ステージもやっぱりいいんですけど、元気な人たちがいっぱいいて自分もむちゃくちゃ大声を出して楽しめる場ってのはいいですわ。
 ま、ちょっと疲れすぎたんでライヴコンサート中毒になる余裕はまったくありませんけど。半年に1回くらい行けたらいいかな! あと、座席の左右どちらか片方でもいいから女性だったら最高ですね。

 でも、今回初めて実物のモーニング娘。のみなさんを観るにつけて強く感じてしまったことなんですけど、
「嗚呼、あそこに亀井さんがいてくれれば。」
 と……

 身勝手な願望なんですが、本人がこの世界のどこかで元気に生きていらっしゃるのであれば、その姿を無理に見せていただかなくてもいいわけでね。
 いいんですいいんです。遅れてしまったあっしがいけねぇんだよ。
 だが、私がいつか死ぬまでのあいだに、もしかしたら1回くらいはどっかですれ違えるんじゃないかという希望だけは持って生きて参りたいと思う所存なのでありました。みれん~。

 妖怪ぬらりひょんの歴史はねぇ。
 当初はこれ、『ぬらりひょんの孫』だけにしぼった1回分の話題にしようと思ってたんですよ、ほんとに!
 それが、例のごとくぬらりひょん全体のお話にズルズル拡大してしもうて……大好きなんだからしょうがない。
 今日から始まる10月も、青野武さんの快復を心から願いつつ、精魂を込めてぬらりひょん企画を通させていただきたいと思います。打倒鬼太郎!!


 そんなこんなで、あと、9月に読んだ本を少々。


岩井 志麻子   『ぼっけえ、きょうてえ』(1999年)   角川ホラー文庫
           『タルドンネ 月の町』(2006年)    講談社
           『月夜に鴉が啼けば』(2009年)     幻冬舎文庫
松本 清張     『ミステリーの系譜』(1967年)     中公文庫
筑波 明      『津山三十人殺し』(1981年)      新潮文庫
保阪 正康     『真説 光クラブ事件』(2004年)    角川文庫
村上 春樹     『約束された場所で アンダーグラウンド2』(1998年) 文春文庫
宮本 輝      『地の星 流転の海第2部』(1992年)  新潮文庫


 いやぁ~、宮本輝さん以外の作品は見事にダークなやつばっかですね!
 ほとんど「実録犯罪もの」だけしか読んでねぇじゃねぇか……

 特に「津山事件」関連に火がついてしまったのですが、おもしろいもんで、中学生だった時に『八つ墓村』とか『丑三つの村』とか、岩井志麻子の『夜啼きの森』なんかを読んでいたときには犯人の青年の悲劇性とか村の閉鎖性とかを強く感じていたんですが、30過ぎたオッサンになってからこういった記録を読み返してみると、やたら「みなごろし」に走ることしか考えられなかった犯人の身勝手さしか頭に入ってこないのね。
 そりゃそうだよねぇ、だって、本人が思ってるように結核がひどいんだったら約2時間のあいだに30人なんて殺す体力ねぇもの。結局は「どうせ早死にするんだ。」という安易な結論しか見つけなかった若さが原因なのよね。
 そんな犯人にカリスマ性を見ちゃってた昔の私の若さもよくわかるんだけど……若さゆえのアホさですよね。

 岩井志麻子はもうちょっと何作か読むつもりなんですが、この人はもう、2006年前後の段階で『ぼっけえ、きょうてえ』のような精巧な作品を書ける作家さんじゃなくなってたのね。『タルドンネ』の後半からガラガラと小説が崩壊していっちゃって、『月夜に鴉が啼けば』にいたってはただの「書きたいシーンだけ集めたスケッチ集」になってますから。エッセイストとしてはおもしろいのかもしれないけど、フィクション作家であり続けるということは大変なことなんだね。
 やっぱり、宮本さんとか村上さんはすげぇんだなや~。


 まぁ、こんな感じで10月もよろしくお願いいたしまーっす。
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