日記のようなもの

不思議に思うこと、思いついたことを記録しています。

2011-04-17 22:50:17 | 原発問題
  今日、原発からの風が吹いている。ここ数日間、風の方向と放射性物質の状況を確認することが日課になった。
  私が住むところは、福島からは遠く離れている。それでも風の向きには注意をすることにしている。今のところ、これ以上の悪化はないようにも思えるが、最悪のケースの可能性もある。アメリカの評価は、今のところ変わらない。日本の発表よりも、アメリカの評価とドイツやイギリスの天気予報が役に立つ。
  どうしてこんなことになったのだろうかと思う。安全な原子力はどこへいったのだろうか。このことを訴えていたCMもめっきり見なくなった。CMに出演したタレントは今何を考えているのだろう。自身への信用を売り物にして原子力の信用をアピールしたのだが。タレントも原子力については、よく考えていなかったのだろう。
  多くの学者がテレビで解説をしているが、彼らは今までに何をなしてきたのだろう。本当に安全だと思ってきたのだろうか。だとすれば、バカに過ぎない。用意した答えは想定外だが、それでも責任はとらなくても良い。彼らは賢い、強いものになびいただけだろう。そして今テレビの前で説明をしている。それでも彼らに責任はない。
  東京電力の誰も責任はとらないだろう。最悪でも株主代表訴訟で個人資産を吐き出す人が数名でるだけだろう。
  今回の事故は、人道に対する罪と思うが、直接に起訴されるべき人は見出せないシステムが作られていることだろう。誰もが巧妙に責任を逃れていくことだろう。このことに責任を取れる人もいないことは、はっきりとしている。
  多くの責任は、現場で働く労働者に押し付けられるだろう。彼らが得るものは小さいだろう。彼らの健康管理は、これから国の責任で行うことが発表されたが、この記録も全てアメリカやフランスへと流れていくだろう。彼らは、初めての長期的被爆についての貴重な観察対象となるだろう。250ミリシーベルト以下で、直ちに健康に影響がないはずの直ちでない確率的影響を観察することができるのだろう。
  私は、この事故を観察しつづけているが、テレビで大きな声をしている人は言う必要がないことを言っているにすぎない。安全です。危険だから事故なのだろう。危険だから報道しているのだろう。危険を回避することを説明する人は、ネット上で個人的に発言しているに過ぎない。マスメディアとして、危険を報じることはとても少ないと感じる。危険であることを考えなかったが故にこのような状態になったにもかかわらず。
  反省のない人達は、また多くの事故を引き起こしていくことだろう。今避けることができる危機について、危険でなく安全を強調し続けることだろう。
  今、CMは普通に戻りつつある。誰も危険を感じることが少なくなりつつあるのだろう。ACのCMも役に立った。そして原子力発電のCMもいつかは戻ってくるだろう。そしていつかは原子力にも安心するのだろう。