日記のようなもの

不思議に思うこと、思いついたことを記録しています。

パンと労働

2020-05-16 10:42:14 | 日記
   パンドカンパーニュを焼いた。ピザに比べると、かなり時間と手間のかかるパンだが、上手く出来た。ザワークラウトにウインナーを入れて炊いたものと一緒にワインを飲む。パンが良く焼けていたのでフランスワインの白、いつものチリワインより大分美味い。
    こういう単純なことで喜んでいる。
    子は2人いるのだが、1人は就職した、1人は未だ学生だが、親がかりだが家を出て生活をしている。子供中心の生活ももうすぐ終わる。
    自分で自分が何をして生活がしたいのか、未だに分からない。今の自分の仕事には、個人的生活からの関心はない。労働と、個人生活は分離している。パンを焼いた時のような喜び、そういうものが、労働にはない。
    労働の中に、自分のやりたいことがあれば、そういう仕事を選んでいれば、そう思う事が多い。どんな仕事でも、当人次第で喜びを見つける事が出来るという考えもあるかもしれないが、本質的な喜びは、そこには無い。付随的に、働く事で人と話す中に喜びがあったりすることは否定しないが、当の仕事が喜びである事とは別の事だ。
    世の中には、金のために働く、それ以上の意味は労働にない。それは、一つの真理だろうと思う。自己実現とか、自己啓発とか、そういう言葉があるが、それは、使用者が自分の都合が良い搾取対象である労働者が、自己の意思と信じてキャリアアップ、技術を身につけてくれればいい、そういうものだと思う。
 何をしていようが、自己が実現されている。好きなことをしようが、嫌だと思いながら何かをしようが、そこにあるのはそれを選択した自己、選択せざるを得ない環境も含めて自己が実現されている。そういうものだと思う。
    人に使われて暮らすのは、現代社会の在りようそのもの、そこに、自分の目的を人に使われる。良いように、自分の目的が誘導されていること、そういう事は多い。
    自分がやりたいことが何であるのか、いい歳をして未だ見つからず、もう見つけることも無いのではと思いながら暮らす。
    そんなものは、初めから無いのかもしれない、もっと、今、目の前のパンの出来を見る、やりたくもない仕事も、黙ってする。それだけ、考えて、どうこうなる訳でもないが、そういう風に、考えるのが良いのか、なるようにしかならない。