日記のようなもの

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大学受験について

2017-01-28 07:45:50 | 日記
  高校生の息子が大学受験真っ最中、受験校も決まった。難しい挑戦をするか、現役合格を目指すか。難しい選択、こちらにとっても難しい選択、現役合格を目指すと地方大学になるので、仕送りが必要になる。理系なので院も含めると6年が必要。学費と仕送りと足すと、6年間にかかる費用は大きなものがある。こちらの生活設計が変わるほどのものだ。どちらの選択でも誤りはない、どちらがより良いかを選ぶ選択だ。この選択も済んだので、後は子のがんばりに期待するだけ。
  学生の奨学金の借り入れが社会問題化しているが、うちの子も学校の先生に、奨学金を借りて地方大学に行ったら、生活も楽しいよと言われたそうだ。
  奨学金を月10万円借りると4年で480万円、返済は20年で利息3%で650万弱、大学卒業後の10月から返済が始まり、払い終わるのは、うちの子が42歳になるまで、毎月27000円弱の返済になる。
  気が遠くなる話だ。うちの子が42歳というのがショック、毎月27000円の返済を抱えて社会に出るのはきつい。先生は半額くらいを想定しているのかもしれないが、家庭事情によっては学費、生活全て学生自身で用意しなければならない人もいるだろう。この金を20年間返済することを考えると、一年浪人してでも近くの大学を目指すのが合理的だろう。
  地方大学に行かせることができるのはある程度の資力のある家庭に限られる。子供は現役で大学に行けるので就労が生涯で1年長くなる。子供の代で元は取れる。恵まれた家の子供はここで有利になるのだが、一年浪人した家庭の子供は、一年就労期間が短くなる。
  働くことが、生涯の全てではない。それは個人の視点に立てばそうなのだが、大きなシステムとして捉えると、家庭による教育を受ける機会、ハンデ、アドバンテージ、社会に既に組み込まれたことだが、社会階層の固定化、金持ちの子は教育を得て金持ちに、金のない家庭の子は教育がなくブルーワーカーや単純作業を主とした労働に就くことになる。
  会社での採用の前提が初めから、大卒、高卒でルートが違う。また、大学も社会階層化の一環になっている。
大学のヒエラルキーによって、採用する会社も違えば、同じ会社でも本社人員とそれ以外、これも構造化している。
  高校生でこのことに気がつくことは難しい。先生もあからさまに社会が大学ヒエラルキーを元に、会社のヒエラルキーが家庭のヒエラルキーを生産しているとは言いにくいだろう。このシステムが機能しているから、金持ちは総じて金持ちでいることができるだから。先生自身も、気がつかずそのシステムの構成員として影響しているのだが。

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