一人でひまな時間を過ごす。休日になってすることは飯を作ることくらい。それ以外はだらだらと過ごしている。
充実した一日と、だらだら過ごした一日、どちらも同じ一日、どちらが良いのだろうか。
やること一杯の一日はしんどい、だらだらは楽、どちらが価値があるのだろうか。人生、全体についても、同じことが言える。だらだら過ごす人と、やること一杯の人、人と人の比較は難しい。自分の体験だけで比較しても、どちらが良いのかよく分からない。
そもそも、価値というのは利用価値や交換価値を価値と言っているが、人生や、時間について利用価値とか、交換価値ということは成立しないだろう。自分の人生に価値があるのかとか、時々思うけど、価値とか、意味とか、人の視点、観点、ものの見方に過ぎなくて、価値、意味というものは、本当にあるのだろうか。人の見方の問題で、色があるかないかのような話で、物の方に色があるわけでなくて、例えば赤なら、人の方で赤く見えるだけのように。価値とか、意味も、一種の見方、解釈に過ぎないのであって決まったものではない。
こう考えると、意味や価値は、実在ではなくて、一つの名前に過ぎない。唯名論の方があっていて、実在論は成立しないのではないかと思える。意味や価値が実在しないなら、何を目指して生きているのだろうと思うが、そんな事を考えなくても生きることはできるし、考えずに生きている人の方が多数派のように思う。
職場とか、周りの人を見ると、何を楽しみに生きているのだろうと思うことが時々あるが、そういう見方をする方が少数派のような気がする。これも、意味を問うていることになるが、意味を問うことは止めることができないのだろう。
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