「ムスリムと西洋 ─ 9 月 11 日の後」
パルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy) 氏の回状
'MUSLIMS AND THE WEST AFTER 11 SEPTEMBER' の全訳。
翻訳は田崎晴明による。
(英語版 12/8/2001、邦訳暫定版 12/9/2001、邦訳最終更新日 2/23/2002)
9.11の後、イスラムに関する簡潔で包括的かつ的確なコメントが出されていました。今日でも十分に傾聴に値すると思いますので、ここにそのサマリーを紹介します。
9.11の後、「反発をおそれて、合衆国、カナダ、ヨーロッパのムスリム共同体の指導者のほとんどは、ツインタワーでの残虐行為について予想通りの反応をした。 これは、本質的にふたつの部分からなる。第一に、イスラム教は平和の宗教であるということ。
第二に、9 月 11 日にイスラムは狂信者にハイジャックされたということ。彼らは、どちらの論点についても、誤っている。 」
「まず第一に、イスラム教は 他のすべての宗教と同様、 平和についての宗教ではない。 それは、戦争についての宗教でもない。 どんな宗教も、その宗教の優越性とその宗教を他者に押しつける神聖な権利についての絶対的な信念を扱うのである。 中世には、十字軍と聖戦(ジハード)はどちらも血に染まっていた。 今日、キリスト教原理主義者たちは合衆国で中絶病院を襲い医師たちを殺す。 ムスリムの原理主義者たちは互いに宗派戦争をしかけあっている。 ユダヤ人の入植者たちは、片手に旧約聖書を、もう一方の手にウージー軽機関銃を持って、オリーブの果樹園を焼き払い、パレスチナ人たちを先祖伝来の地から追い出している。 インドのヒンドゥー教徒たちは古代からのモスクを破壊し教会を焼き払っている。 スリランカの仏教徒たちはタミル分離主義者たちを虐殺している。」
「第二の論点は、さらに的を外している。 仮に、イスラムが、何らかの比喩的な意味でハイジャックされたのだとして、それがおこったのは 2001 年 9 月 11 日ではない。 それは、十三世紀頃におこったのだ。 ざっとまわりを見回せば、イスラムは未だ当時のトラウマから立ち直る必要があることがわかる。」
それはつまり、13世紀頃に原理主義がイスラムをハイジャックしたのだ、と著者は指摘します。
世界史的に見て「九世紀から十三世紀の間 ~ イスラムの黄金期 ~ に、堅実な科学、哲学、医学を実践していたのはムスリムだけであった。」「 五世紀の間とぎれることなく、(中略) 古代の知恵を保存しただけでなく、意味のある革新や拡張をももたらした。」
「イスラムの黄金期に科学が開花したのは、ムータジラ派として知られる知識人集団によって維持されていた強力な合理主義的な伝統がイスラムにあったからだ。この伝統は、すべてはあらかじめ定められていて人間にはアラーにすべてをゆだねる以外の道はないと説く宿命論者に強く反対し、人間の自由意志を強調した。 ムータジラ派が政治権力をもっている間、知識は育ったのだ。」
「しかし十二世紀になって、聖職者イマーム・アル・ガザーリーが先導したムスリム正統派が再び勃興した。 アル・ガザーリーは、合理性よりも天啓を、自由意志よりも宿命論を擁護した。 彼は、原因を結果と関連づける可能性に異議を唱え、人はこれから先に何がおこるかを知ることも予測することもできないと教えた。 それができるのは神のみであると。 彼は数学 ~信仰を弱めさせた精神の麻薬~ を反イスラムであると断罪した。」
「今日の悲しい状況は、昨日のイスラムとは見事なまでに対照的である。 」
「正統派の悪しき束縛のなか、イスラム世界は窒息した。 もはや、活動的な首長アル・マムーンと偉大なるハルン・アル・ラシッドの治世の頃のように、ムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒の学者たちが、宮廷に集って共同作業をすることもなくなった。 これは、ムスリム世界における、寛容さ、知性、そして、科学の終焉だった。 ムスリムの最後の偉大な思想家アブド・アル・ラーマン・イブン・ハルドゥーンが生きたのは、十四世紀であった。」
著者は、イスラムは西洋近代の植民地主義によって衰退したのではなく、自らの内在的な問題のために停滞してしまった、と厳しく指摘します。
「イスラムの偉大さの衰退は、重商的な帝国主義の時代よりはるか以前に生じていたというのが事実である。 その原因は本質的には内側からくるものだったのだ。 それ故、ムスリムは内省し、なにが間違っていたのかと問わねばならない。 」
「ムスリムは、千四百年前のアラビアの小さく均質な部族社会に比べれば、彼らの社会がはるかに巨大でずっと多様であることを認識しなくてはならない。 それ故、『イスラム法』 に則って支配されるイスラム教国においてのみイスラム教が生き残り繁栄しうるという考えはもはや捨て去るべきなのである。 ムスリムは、信仰の自由と人間の尊厳を重んじ、権力は国民にあるという原則に基づいた、非宗教的で民主的な国家を必要としている。」
これは、イスラム教国において主権はアラーの副摂政やイスラム法学者にあるとする正統派イスラム教学者の主張を否定し、主権は国民自身にあるという改革を行わなければならない、ということです。
そしてテロリストの活動は虐げられた者たちの反撃ではないとして否定します。
「ムスリムは決してビンラディンの同類に期待してはならない。こういった人たちは本物の解答は何らもっていないし、本物の建設的な代替案を示すこともできない。 彼らのテロ行為を賛美するのは忌まわしい誤りである。 パキスタンにおいて、シーア派、キリスト教徒、そして、アフマディー教徒が彼らの祈りの場で絶え間なく虐殺されていること、そして、他のムスリム諸国でも少数派が同じように虐殺されていることは、全てのテロリズムが奪われし者の反撃ではないことを証明している。」
これはまったく正鵠を得ています。同時にまた、アメリカの慢心も厳しく問いただされなければなりません。
「アメリカ人は、また、合衆国の帝国としての力は、すでにその頂点を過ぎていることをも認めなくてはならないだろう。 五十年代と六十年代は、永久に過ぎ去ってしまったのだ。 合衆国の勝利至上主義と国際法の軽視は、ムスリムの間だけでなく、いたるところに敵をつくりだしている。 それ故、アメリカ人も、横暴さをおさえ、この世界の他の人々ともっと同じようにならなくてはいけない。 」
まったくその通りです。イスラエルを盲目的に支持するアメリカ歴代の政策は非道そのものです。しかしトランプのバカ野郎はさらにそれを極端化しました。2019年のエルサレムの首都承認、ゴラン高原の併合承認は、自ら認めた国際規範にも違反し、横暴そのものです。どんな非道な抗議行動も正当化されかねないような、デタラメな判断といわなければなりません。テロリストはアメリカだけを標的にすれば少しは共感をえられるかもしれないが、それに留まるでしょうか。ますます混乱することになる可能性が大でしょう。
トランプを追放せよ。キリスト教原理主義とイスラム原理主義を折伏せよ。
狂信的な一神教を改革しよう。そういう運動がいまや必要とされているのではないでしょうか。
パルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy) 氏の回状
'MUSLIMS AND THE WEST AFTER 11 SEPTEMBER' の全訳。
翻訳は田崎晴明による。
(英語版 12/8/2001、邦訳暫定版 12/9/2001、邦訳最終更新日 2/23/2002)
9.11の後、イスラムに関する簡潔で包括的かつ的確なコメントが出されていました。今日でも十分に傾聴に値すると思いますので、ここにそのサマリーを紹介します。
9.11の後、「反発をおそれて、合衆国、カナダ、ヨーロッパのムスリム共同体の指導者のほとんどは、ツインタワーでの残虐行為について予想通りの反応をした。 これは、本質的にふたつの部分からなる。第一に、イスラム教は平和の宗教であるということ。
第二に、9 月 11 日にイスラムは狂信者にハイジャックされたということ。彼らは、どちらの論点についても、誤っている。 」
「まず第一に、イスラム教は 他のすべての宗教と同様、 平和についての宗教ではない。 それは、戦争についての宗教でもない。 どんな宗教も、その宗教の優越性とその宗教を他者に押しつける神聖な権利についての絶対的な信念を扱うのである。 中世には、十字軍と聖戦(ジハード)はどちらも血に染まっていた。 今日、キリスト教原理主義者たちは合衆国で中絶病院を襲い医師たちを殺す。 ムスリムの原理主義者たちは互いに宗派戦争をしかけあっている。 ユダヤ人の入植者たちは、片手に旧約聖書を、もう一方の手にウージー軽機関銃を持って、オリーブの果樹園を焼き払い、パレスチナ人たちを先祖伝来の地から追い出している。 インドのヒンドゥー教徒たちは古代からのモスクを破壊し教会を焼き払っている。 スリランカの仏教徒たちはタミル分離主義者たちを虐殺している。」
「第二の論点は、さらに的を外している。 仮に、イスラムが、何らかの比喩的な意味でハイジャックされたのだとして、それがおこったのは 2001 年 9 月 11 日ではない。 それは、十三世紀頃におこったのだ。 ざっとまわりを見回せば、イスラムは未だ当時のトラウマから立ち直る必要があることがわかる。」
それはつまり、13世紀頃に原理主義がイスラムをハイジャックしたのだ、と著者は指摘します。
世界史的に見て「九世紀から十三世紀の間 ~ イスラムの黄金期 ~ に、堅実な科学、哲学、医学を実践していたのはムスリムだけであった。」「 五世紀の間とぎれることなく、(中略) 古代の知恵を保存しただけでなく、意味のある革新や拡張をももたらした。」
「イスラムの黄金期に科学が開花したのは、ムータジラ派として知られる知識人集団によって維持されていた強力な合理主義的な伝統がイスラムにあったからだ。この伝統は、すべてはあらかじめ定められていて人間にはアラーにすべてをゆだねる以外の道はないと説く宿命論者に強く反対し、人間の自由意志を強調した。 ムータジラ派が政治権力をもっている間、知識は育ったのだ。」
「しかし十二世紀になって、聖職者イマーム・アル・ガザーリーが先導したムスリム正統派が再び勃興した。 アル・ガザーリーは、合理性よりも天啓を、自由意志よりも宿命論を擁護した。 彼は、原因を結果と関連づける可能性に異議を唱え、人はこれから先に何がおこるかを知ることも予測することもできないと教えた。 それができるのは神のみであると。 彼は数学 ~信仰を弱めさせた精神の麻薬~ を反イスラムであると断罪した。」
「今日の悲しい状況は、昨日のイスラムとは見事なまでに対照的である。 」
「正統派の悪しき束縛のなか、イスラム世界は窒息した。 もはや、活動的な首長アル・マムーンと偉大なるハルン・アル・ラシッドの治世の頃のように、ムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒の学者たちが、宮廷に集って共同作業をすることもなくなった。 これは、ムスリム世界における、寛容さ、知性、そして、科学の終焉だった。 ムスリムの最後の偉大な思想家アブド・アル・ラーマン・イブン・ハルドゥーンが生きたのは、十四世紀であった。」
著者は、イスラムは西洋近代の植民地主義によって衰退したのではなく、自らの内在的な問題のために停滞してしまった、と厳しく指摘します。
「イスラムの偉大さの衰退は、重商的な帝国主義の時代よりはるか以前に生じていたというのが事実である。 その原因は本質的には内側からくるものだったのだ。 それ故、ムスリムは内省し、なにが間違っていたのかと問わねばならない。 」
「ムスリムは、千四百年前のアラビアの小さく均質な部族社会に比べれば、彼らの社会がはるかに巨大でずっと多様であることを認識しなくてはならない。 それ故、『イスラム法』 に則って支配されるイスラム教国においてのみイスラム教が生き残り繁栄しうるという考えはもはや捨て去るべきなのである。 ムスリムは、信仰の自由と人間の尊厳を重んじ、権力は国民にあるという原則に基づいた、非宗教的で民主的な国家を必要としている。」
これは、イスラム教国において主権はアラーの副摂政やイスラム法学者にあるとする正統派イスラム教学者の主張を否定し、主権は国民自身にあるという改革を行わなければならない、ということです。
そしてテロリストの活動は虐げられた者たちの反撃ではないとして否定します。
「ムスリムは決してビンラディンの同類に期待してはならない。こういった人たちは本物の解答は何らもっていないし、本物の建設的な代替案を示すこともできない。 彼らのテロ行為を賛美するのは忌まわしい誤りである。 パキスタンにおいて、シーア派、キリスト教徒、そして、アフマディー教徒が彼らの祈りの場で絶え間なく虐殺されていること、そして、他のムスリム諸国でも少数派が同じように虐殺されていることは、全てのテロリズムが奪われし者の反撃ではないことを証明している。」
これはまったく正鵠を得ています。同時にまた、アメリカの慢心も厳しく問いただされなければなりません。
「アメリカ人は、また、合衆国の帝国としての力は、すでにその頂点を過ぎていることをも認めなくてはならないだろう。 五十年代と六十年代は、永久に過ぎ去ってしまったのだ。 合衆国の勝利至上主義と国際法の軽視は、ムスリムの間だけでなく、いたるところに敵をつくりだしている。 それ故、アメリカ人も、横暴さをおさえ、この世界の他の人々ともっと同じようにならなくてはいけない。 」
まったくその通りです。イスラエルを盲目的に支持するアメリカ歴代の政策は非道そのものです。しかしトランプのバカ野郎はさらにそれを極端化しました。2019年のエルサレムの首都承認、ゴラン高原の併合承認は、自ら認めた国際規範にも違反し、横暴そのものです。どんな非道な抗議行動も正当化されかねないような、デタラメな判断といわなければなりません。テロリストはアメリカだけを標的にすれば少しは共感をえられるかもしれないが、それに留まるでしょうか。ますます混乱することになる可能性が大でしょう。
トランプを追放せよ。キリスト教原理主義とイスラム原理主義を折伏せよ。
狂信的な一神教を改革しよう。そういう運動がいまや必要とされているのではないでしょうか。